第三十話EX 秋風と君の影/幻想の舞踏会への召命状
嗅ぎ慣れた油具の香り。
自分の頬に感じる冷たい床の感触に、僕は目を覚ました。
「……っ……寝ちゃってたのか……」
硬くなった体を起こし、背筋を伸ばすといくつかの骨が鳴った。
その気持ちよさのまま部屋の窓を開けると、秋の匂いが入ってきた。
涼しさを帯び始めた風、遠くで鳴く鈴虫の鳴き声、咲き始めた銀杏の息吹。
そのどれもが眩く、そして、僕の部屋に暗い影を落とす。
―――彼―――遠野陽太くんと水族館に行った日から約一か月半が経った。
学際の準備と、各美術展にエントリーする作品を描き上げるために自分の部屋に籠っていてバイトにも顔を出せていないから、遠野陽太くんとはあの日以降会っていない。
……なんてのは、事実であり、事実ではない。
つまるところ、僕は、彼と接するのが怖いのだ。
水族館のあの日。僕は彼に対して酷いことをした。
いや、それ以前からの問題だから、出会ってから水族館まで、ずっと。
あろうことか僕は彼を、ゲームの中の推しと重ねて見ていた。
現実の彼に、虚構の彼を重ねて、喜んで、浮かれて……そして傷つけて。
まるで推しを独り占めしているような、感覚に溺れていた。
遠野陽太くんは、一人の人間なのに。
ちゃんと、目を見て、声を聞いて、触れたことだってあるのに。
なのに僕は、そんな彼の存在を、どこかフィクションにしていた。
それがどれだけ失礼なことか、あの時、遅すぎるけれど、初めて気づいた。
……だけど、自分の中では、その思いとは別の感情が巡っていた。
今までミナトくんに向けていた感情は、遠野陽太君への感情になるのだろうか、と。
僕は今でもミナトくんは好きだ。
そして、遠野陽太君のことは、好き……なのだと思う。
水族館での思い出も、温かい感情も、そのすべてが嘘だとは思わない。
けど……。
「僕に人を好きになる資格なんて……」
そう、自分に言い聞かせるようにつぶやいた言葉は……僕以外誰もいない部屋に溶けて、窓から流れ出る。
……もうすぐ学園祭、か……。
窓辺から、風が入り込み、カーテンを揺らし、そして、僕の描いた作品の足元を照らす。
―――製作期間―――三ヶ月。
―――作:鳳仙大学経済学部三年 燕尾 司
―――作品名『----・-----』―――――――。
◆
私が通う、秋桜学園、文化祭前日――。
教室の準備は、もう何もかも整っていた。
クラスの男子の悪ノリで始まった、なんとも愚昧で理解不能な男装メイド喫茶というテーマのもと、狂宴の舞台たる教室は、ピンクのフリルに彩られ、薄桃色の死兆星のような装飾が並び、行ったことはないけど、想像の中のメイド喫茶そのもののようだった。
「なぁ、後輩のクラスもメイド喫茶らしいんだけど~」
「いやいや、こっちは女子がメイド服着る男装メイドだから(笑)」
「うわ~! 佐藤似合ってんじゃんウケる」
「当たり前じゃん? 私何着ても似合うからさ!」
「ウザ~(笑)」
流石に年に一回の大イベントである文化祭の前日には、もう夜も遅いというのにも関わらず、部活動で顔を出せない人らを除いて全員がクラスに集まって談笑していた。
女子は当日に着るメイド服の確認をして、それを男子が見て茶化す。
実にくだらないやり取りの中に、当然私は参加していないわ。
……まぁ、女子は全員参加でメイド服を着させられるが故に、私のも用意されているが……まぁ、クラスで異端とされる私の存在など、誰も気にかけはしないのだけれどね。
こういった文化祭の前日の盛り上がりで考えれば、尚のこと気にする余裕もないのだろうから。
「なぁ、明日って招待参加限定だけど、誰か誘った~?」
「あ、私、彼氏誘ったよ~!」
「え~! 華高の?? いい男子紹介してよ~!」
――と、その会話に、ふと私の脳裏に一人の男の人が浮かんだ。
たった一人。
私のことを嘲笑せず、引きもしなかった存在。
……よ、陽太を誘ってもいいのかしら……?
―――妄想という名の鏡に手を伸ばしてみる。
一緒にお化け屋敷に行って……怖がる陽太……。
わ、私のメイド服を見て笑う陽太……。
……って、ば、馬鹿か私は……!
己の中に渦巻く妄念に、思わず口元を押さえる。
想像の中で、陽太が微笑んでくれる。
ただそれだけで胸がきゅっと締め付けられた。
……いけない、これは感情の揺らぎ。
想定外の精神攻撃は世界の理に干渉する危険性が……!
……なんて、いくらそんな妄想したって、こんな学校での情けない姿なんて見せられるわけがないんだから……。
「いやぁ~、でもこれが最後の文化祭か~!」
「確かに、もう卒業だもんね……」
「最後の思い出に彼氏ほしかったな~~~!!!」
「お前には無理だよ(笑)」
……あ、そうか。
もう、高校生活では最後の文化祭なのね……。
そう意識したとき、ふっと少しだけ肩の荷が下りた気がした。
高校最後の文化祭。
これが終われば受験シーズンの私たち。
それならば、わざわざ先の短い学校の体面を気にしないで、陽太との思い出を作ったほうがいいんじゃないかしら?
けど、なんて言って誘うべきかしら……。
いったん普通に土曜日暇って打って……。
――――あっ!!!!!!?
送っちゃった!!!!!
ど、どうしよう!?
まずは訂正して……うわぁ既読ついた!?
えっと、えっと、文化祭……えっと、年に一度の―――。
ど、どうだろうかだと高圧的すぎるかしら!?
え~~~ん、どうしていつもこうなっちゃうのかしら――――!?
◆
―――して、来る、運命の文化祭―――秋桜文化祭の日。
当日朝。
陽太からの連絡では、魔導列車に無事に乗ることができたと連絡を受けた。
……って、あれ、そういえば私、陽太に高校の道のり教えたかしら……?
教えてないわよね……?
あ、男の子一人で夏のあの道を来させるのは酷だったかしら……!?
もしかしたら途中で嫌になってしまうかも……!?
――などと、不安で頭がグルグルしていた時。
「あれ? 笹草、なんかソワソワしてない?」
「うわ、ほんとじゃん、何? 家族でも呼んだ?? あ、親も天使だったりすんの?」
「佐藤それおもろ(笑)」
ふと後ろから例の三人組が声をかけてきた。
この学校の中でも、特に厄介な人物……。
今までは衝突を避けてきたけど……。
―――今日の私は、一味違う!
「ふ、ふん、私は今日は構ってる暇ないの。悪いけど、私用事があるから……」
背後から嫌な言葉が聞こえてくる気がするけど、私はそう言って立ち去る。
陽太が来るのなら、今日の私はこの学校を完璧に案内しなければいけないの!
だからこんなのに構うより先に、この学校にある出し物のルートとかを完璧に覚えて、陽太と一緒にいい思い出を作るのよ――――!!!
―――って思ってたのに!
いろいろ準備してたら夢中になっちゃって、陽太が来ていることに気が付かなかったわ!?
どうしよう……! もう着いているって連絡あったし……。
もし変な女の子に絡まれてたら……って、あっ――――。
「あの! 誰の知り合いすか? もしかして卒業生の方すか?」
「へぇ~~! かわいいすね! 誰の招待? 彼女とかいるんすか~?」
「えっと……あの……」
―――なんてこと……!
寄りにもよってまさかあの三人に見つかるなんて……!
どうすれば……。
~~~いえ、笹草心愛! 覚悟は決めたでしょう!
さぁ、行くのよ!!!!!
「――あっ、あの、陽太……こ、こっち……!」
「あぁ! 心愛! よかった、勝手に入っていいのか分からなくて……」
「う、うん……そう、だと思って……受け付けはこっちだから……い、行こっ!」
「あ、あぁ、うん。あ、そうだ。あの人らは知り合い?」
「……っ、し、知らないっ! いいの、行こ!」
今日だけは、周りを気にしないで楽しむって……そう決めたんだから……!
◆
「それで、まずはどこ行く~?」
そう口にしながら、楽しそうに歩く陽太を見て、私はもうそれだけで嬉しさが溢れそうだった。
けれど、私の戦いはまだ始まったばかりよ!
「えぇ、まずは―――」
―――そうして私たちは談笑しながら最初の目的地へと辿り着いた。
「ふふっ、ここが最初の目的地だ。我が学び舎が誇る最凶の呪術迷宮にして禁忌の館……! 曰く、入った者の魂を蝕むという……災厄の巣窟っ!」
「……お化け屋敷ね?」
「っ……よ、陽太? それを言うのは無粋というものよ……!」
ふふっ、怖かったら私にしがみついてもいいのよ?
よくわからないけど、男の子はみんなこういうの苦手なんでしょう!?
……と、意気込んで入ったお化け屋敷は……。
――――五分後。
「……あ、出口だね」
「……ふむ、やはりこの程度では私と陽太にとっては児戯に等しかったわね!」
全っっっ然驚かないじゃない!?!?!
まぁ確かに、最近はPTA関連で怖すぎるのはダメだってあったから微妙な出来だったけれど……。
にしてもなんか途中から心ここにあらずって感じだったし、もしかしてあんまり楽しめなかったのかしら!?
「あ、あの……お、お気に召さなかったかしら?」
「え!? あぁいや、楽しかったよ!」
そ、そう……それならいいのだけど……。
えっと、となると他に陽太が楽しめそうな場所は……。
「ね、ねぇ心愛? 次はあそこに行ってみない?」
――えっ? よ、陽太が行きたい場所?
それっていったいどこ……って、アレってメイド喫茶……よね?
陽太、ああいうのが好きなの……?
「む……え、あれ!? よ、陽太……気になるのかしら……?」
「ちょっと寄ってみようか! こういうのも文化祭って感じで面白いし!」
「え、えぇ……陽太がそういうのなら……」
そ、そうなんだ……陽太って、そういうのが好きなんだ……。
……。
……ん? ていうか、このまま行くってことは私も行くってことよね?
め、メイド喫茶……は、初めて行くから緊張するわね―――!
◆
「あ、いらっしゃいませご主人様、お嬢様~~♥ ご案内しますね~~♥」
「……うわぁ、すごい!」
教室の前にいたのは、筋肉の大きい男の子だった。
後輩にしては身長が高く、顔立ちもやや整ってるほうだと思う。
え、そんな人がメイドしてるなんて、この学校の風紀は問題ないのかしら?????
「うふふ~♥ ただ今の時間はメイドのお時間なのでお好きな方を指名してくださいね~♥」
えぇ!?!?!?
「ようこそ~~~♥ 我らがメイド喫茶へ~~♥」
「あらっ、可愛らしいご主人様ですね!」
「どなたになさいますか~?」
次々と奥から現れたのは、変わらずメイド服の男子、男子、男子。
制服の上にエプロン付けてる、筋骨隆々の男子。
そんなっ、こ、こんなの破廉恥よっ!!!?
あぁ、どこを見たらいいのか……!
……って、あれ?
「陽太、大丈夫……?」
「うぅ……」
なんか悲しそう……?
えっ、いや、それはいったいどういう感情なのかしら……?????




