2-(7) 足音は尚も
尾藤忠男が確保されたことで、事件の全容解明は一気に進んだ。
当初アリスが見立てていたように、彼は魔術師などではなかった。当人も件の薬が魔術側
の技術だとは知らず、ただそのもたされる効果とグループに流れ込んでくる利益の大きさに
酔い、仲間達と際限のない薬物売買の真似事を続けていたらしい。
当局の応援も加わり、その翌々日には尾藤の家宅捜索も行われた。
そして分かったのは──今回最大の謎だったこと。何故魔術のイロハも知らぬ素人である
彼が、粗悪品とはいえ魔術薬を作ることができたのか?
理由は尾藤家の敷地にある古びた蔵の中にあった。家捜しを続けていた正明らが見つけた
のは、そこに放り出されていた、尾藤の調合作業の跡そのものだったのである。
元凶は一冊の古本だった。そこには筆の旧字がつらつらと並び、それらを要約したものと
思しきメモが挟まっていたのだ。
要するにレシピだった。これによって彼は魔術を知らず、しかし魔術薬を作り出すという
トンデモな行為を可能にしたのである。
全ての謎は解けた。
素人による魔術薬の精製と量産、違法転売、敢えて旧式な製法であった理由。
それらは一言で片付けるならば「欲」だった。
蔵の中を検めていくに、どうやら今は亡き尾藤の祖父は魔術──俗な言い方をすればオカ
ルト研究に嵌っていたらしい。
その中で知ったのが、魔術師達の中ではとうに廃れていたこの魔術薬の製法だったのだが
……不運なことにこの翁は大事にこれらの記載を残したまま逝ってしまったと思われる。そして
後年、実の孫である忠男によって発見されたことで……。
後は、もう詳しく語るまでも無いだろう。馬鹿につける薬はない、と云う奴だ。
「──どうも今日までありがとうございました。お世話になりました」
「いえいえ。こちらこそごめんなさいね? 色々と……辛い目に遭わせてしまって」
「……」
そうして事件は一応の終息をみた。
この日、瀬名川親子と聖は市内のとあるビジネスホテルの駐車場にいた。事件の捜査とい
う任務を果たし、本部のある京都へ帰ることになった正明ら巫監の面々への見送りである。
ぺこりと麻弥が深くお辞儀をして別れを惜しんでいた。アリスも静かに微笑む。だからこ
そ返された言葉は重くて、思いやりに溢れていて、麻弥は頭を下げたままつい泣いてしまい
そうになる。
「そうですね。本当……色んなことがありました」
感慨深く──というよりは、半分聖への当てつけのように見遣って正明が呟いていた。
しっかりしろ。兄がそう言って促してくる。
麻弥はごしっと無言で漏れた涙を拭うとゆっくり頭を上げ、笑顔であろうと努めた。
武蔵も凛も伴太も。それぞれが思い思いにこの別れ際の一時に臨む。
──祖父の蔵から見つけた不思議なメモ。
試しにその通りに作ってみた薬もどきがまさかの効果。
仲間達と大いにはしゃいだ。これを売り捌いて立ち回ればこのチームは大儲けするし、株
だって急上昇間違いなし。とんだ掘り出し物を見つけた──。
尾藤とその仲間達、そして彼らから薬を買った者達は、そう遠くない内に表社会の法の裁
きを受けるだろう。
ただしそれは大方が種々の薬物取締法による罪と罰だ。魔術師達の課すそれではない。
しかしそれでいいのだろう。それ以上、こちらが踏み込んではいけないのだろう。
件の尾藤翁の蔵書は全て巫監が処分した。後日同様な書籍が広まっていないか、大規模な
捜査も始まる予定だ。後はより多くの、より組織立った力が災いの芽を摘んでくれることを
期待する他ない。
(ひー君……)
それでも、一方で麻弥には後ろ髪引かれる思いが残った。他ならぬ聖である。
その当人は今、じっと目を細めたまま両手をポケットに突っ込み、心ここにあらずといっ
た様子をしていた。
──期せずして再会できた、生きていたと分かった幼馴染の男の子。
だけども彼はすっかり「変わって」しまっていて、自分のことも「覚えて」いなくて。
折角また出会えたのに……今はもう違う人。彼ではなくて、でも姿は面影は、他ならぬ彼
でしかないその人。
《羊》達曰く、相馬聖はもう死んだのだと──。
「……そろそろ行くか?」
「ああ」
間違いなく未練なのだろう。しかし厳然たる事実として自分にはどうしようもできない。
やがてそんな麻弥の内心を知ってなのか、仲間達の方から出発の素振りがあった。ワゴン
のキーを大きな手の中で弄びつつ、武蔵が言う。正明も素っ気無く、だがそれはきっと自分
に向けられているであろう態度で言う。
凛はそんな両者をじっと黙して眺めていた。伴太も似ていたが、そこには正明か麻弥か、
どちらを取ればいいのかという類の迷いが大きく占められていたようにみえる。
「帰ろう。俺達の街へ」
改めて全員でアリスと晴、聖に礼をすると一同はワゴン車に向き合った。ぐるりと往路と
同じ席順に並び、扉を開けようとする。
『──その必要はありません』
だが、そんな時だったのだ。
ふと何処からともなく妙にくぐもった声と──確かな羽音が面々の耳に付いたのである。
『いえ、今はまだ……ですね。今はまだ、その時ではありません』
鴉だった。気付けば近くの柵にちょこんと止まってきた一羽の鴉が、確かにこちらを向い
て話しかけてきていたのである。
「……宗主様」
「えっ?」
「貴女が……? そう、貴女が巫事監査寮の……」
凛が呟き、そして瀬名川母子がそれぞれに驚き、眉を潜めていた。
どういう意味だ? 互いに顔を見合わせている正明ら面々。
何故そんな相手が? 戸惑いと注視、或いは無心。瀬名川親子と相馬聖。
『突然ですが御門班の皆さん。もう一つ、貴方達に与えるべき任務があります』
にわかにほうっと金色に光った鴉の双眸。
宗主を名乗るその声は、そう丁寧ながらも静かな威厳を湛えたさまで、告げるのだった。




