3-(0) 這い蹲ろうと
遠くにかつて鉱山だった山々が在る。
しかしそれは昔々の栄光で、今はただゆっくりと時の流れに沈むだけだ。
闇が呑み込んでいく。かつての日々も今日という一日も等しく埋もれ、隠されていく。
そんな夜闇の中、人知れず交戦があった。妖しい火花が断続的に散り、そして消え入り静
かになる。
いや……それを交戦と呼ぶのは厳密ではないのだろう。それらは終始一方的であった。故
にこの男、強襲を受けた側は程なくして敗れ、命辛々一人夜闇の中を逃げ続ける。
「はぁ、はぁ、はぁ……っ!」
多くを白髪に占領された頭、暗闇の中でも疲弊したさまが分かる息遣い。
彼は大きく肩で息をつき、それでも傷付いた身体と心を引き摺って物陰に隠れていた。
全身が痛む。現に左肩は撃たれたように赤黒くシャツが汚れており、それを庇うように彼
の片手が添えられている。
聞き耳を立てる。追っ手の気配は尚も多く、執拗だ。当然の反応というべきか。
だが自分にはもうこれしかなかったのだ。こうでもしなければ、取り戻すことなど……。
そうしていると、気配が先程よりも広く散っていくのが分かった。どうやら手分けして付
近を捜索し始めるらしい。拙いなと彼は思った。早く離れなければ此処も危ない。
「……」
一体何処へだ? 自分は、何処へ?
あの町はもう駄目だ。他ならぬ自分が駄目にした。理論に粗は無かった筈なのに、失敗し
てしまった。
足りなかったということか。自分が“差し替える”その瞬間まで、持たなかったのか。
ぎりっ……。彼は俯いた表情のまま唇を噛み締め、もう片方の拳を強く強く握っていた。
懺悔の念は無い。あの時からもう持ってはいけないと思った。狂うと決めた。
代わりにこの身体を支配しているのはただ一念だ。何としてでも取り戻してみせる。故に
あの失敗は手痛く、邪魔をするあの連中どもが忌々しく思えてならなかった。
自分の記憶が正しければ、奴らは“騎士団”からの刺客だろう。
正直、侮っていた。こんな地方の町に迅速に兵を送り込んでくる、その情報網と組織力の
大きさをずっと遠く──自分とは関係ないものと頭の何処かで思っていたのかもしれない。
もう引き返せなかった。奴らが兵を寄越して来たということは、既に自分を捕らえるべく
警戒網が敷かれていることだろう。
この国に──もう、自分の居場所は無い。
「くそ……ッ!」
悔しさと憤り。吼えたくなる叫びを噛み殺し、男は歩き出していた。
逃走を続けた疲労とその内心の焦燥。それらが混ぜ合わさり、髪はぼさぼさに乱れ、両の
眼はぎらぎらと血走っている。
ぐらり、ゆたり。一歩一歩が重い。受けたダメージは少なくない。
此処は海岸線に近かった。されど今は潮の香りや波打つ音すら苛立ちの材料に為る。
彼は身体を引き摺り、歩いた。
内陸に向かってはみすみす捕まりに行くようなものだ。ぼやっと、しかし確かにそう判断
して幹線道を目印に南下してきたのだが……さて。
(……。あった)
寄せる波のすぐ際まで人工の足場が迫る、されど明らかに大規模とは言えぬ港がそこには
あった。男は見上げる。夜闇に溶ける停泊する船影や積み下ろし用のクレーン、そして周囲
に積み上げられた貨物コンテナ。そう暫し辺りを見渡したまま、彼は大きく深呼吸する。
(詳しく調べている暇は、無さそうだな……)
ようやく呼吸が落ち着いてくる。顰めた表情のままで思考する。
船に直接乗り込むのは向こうも想定してくるだろう。
だが、こちらなら……。
少なくとも出港してしまえば奴らは手が出せまい。少なくともその間に時間を確保するこ
とはできる。仮ではあるが“場”を設えることができる。
「……っ」
灯台の光は遠く届かず、此処はコンクリートと鉄で出来た剥き出しの蔵。
三度身体を引き摺り、積み上げられたコンテナ群を目指し、彼は歩き始めていた。




