第十五話 悲劇的誤解
テオドシアは、突如現れた女への湧き上がった敵意がすっかり肩透かしに遭い、作戦を変更してシーラへの同情心を煽る方向へ舵を切っていた。
「捨て駒などと、謙遜でもそのようなことをおっしゃらないで。あなたの献身的な姿勢にいたく感服しましたもの、きっとミロス様は十分に報いてくださることでしょう。ねえ、ミロス様?」
どこの馬の骨かは分からないものの、シーラがそれなりに教養と礼儀作法を修めた者であることは疑う余地がない。ならば、敵視もせず無難に済ませよう、とテオドシアは考えたのかもしれない。
だが、ミロスラフには、今まで見たこともないほどの冷徹な表情が張りついていた。
「そうですね。その働きが本当に報いるべきものであれば、ですが」
テオドシアは無意識に後ずさる。対照的に、シーラは目を伏せ、じっとしていた。
最高位の貴族にとって、誰かに脅かされることなどあってはならない。ゆえに、テオドシアは叱られることはあっても、誰かの怒りをぶつけられることはなかった。
それが今や、目の前の青年からはすっかり愛想笑いも消え失せ、すこぶる機嫌の悪い雰囲気しか伝わってこないとなれば、行動派公爵令嬢も焦る。
ミロスラフは、感情を抑制した平坦な声色でこう言った。
「テオドシア嬢、一つ頼みがあります」
「何でしょう?」
「私が直接彼女と接触すると、よからぬ噂を立てられてしまいます。うら若き娘にそのような瑕疵を背負わせるのは本意ではありません。それに、私の名誉にも関わる。ゆえに、あなたに仲介者となっていただきたい」
それを聞いても、シーラは何の反応もしなかった。ひとり、テオドシアだけが固唾を呑む羽目になっている。
シーラの存在を疎んでいると見抜いたかどうかはともかく、ミロスラフはその扱いをテオドシアへ一任したい、と依頼してきたのだ。
その上、ミロスラフは丁寧に逃げ道を塞ぐ。
「すなわち、あなたをグレブ公爵領の暫定執政官に任命します。仕事は彼女から上がってくる報告をつつがなく私へ回すこと、それだけです」
「えっ、待ってちょうだい、そのようなことをいきなり決められても」
「わざわざ私の手伝いに来てくださったのですから、その厚意をありがたく受け取りますよ、レディ」
テオドシアとの話を打ち切り、ミロスラフは目を伏せたままのシーラへ向き直る。
「聞いただろう、シーラ」
「はい。では、グレブ公爵領内での、旧領主邸宅に立ち入る許可をいただいたと解釈し、そこで得た資料などはこちらのテオドシア様へお渡しいたします。無論、価値ある金銭や財産と思しきものには手をつけません」
「もし可能であれば、場所とその内容も報告してほしい。あとでまとめて所有者の顧問弁護士へ連絡して、家門の財産相続に付け加えなければならなくなるからな」
「承知いたしました」
きわめて事務的なやり取りが終わると、ミロスラフは大きなため息を吐いた。
「私は少し、ここで休みます。一人にしてください」
こうして、有無を言わさぬ公爵閣下の指図により、テオドシアとシーラはまとめて応接間から追い出されたのである。
憤慨すべきか困惑すべきか、とやるかたない感情入り混じるテオドシアだったが、仕方なくシーラへやるべきことを尋ねる。
シーラはシーラで、慇懃に、ミロスラフに勝るとも劣らぬ感情の乏しさのまま、テオドシアへ仕事内容を手短に伝える。
「では……あなたは土着の民たちの奉じる異教について、調べているのね?」
「はい。ひいては、グレブ公爵領にとっても貴重な歴史的資料として資産になりえますし、統治の要となるでしょう。価値の分からない領主たちが戻ってくる前に、できるかぎりを回収しておきたいのです」
「そう。私はよく分からないけれど、王国北西部の領主の邸宅なんて実質周辺の平地に集まっているのだから、さほど時間はかからないわよね?」
「順調に行けば、半年以内かと」
「はあ、そのくらいなら大丈夫だわ。よかった」
テオドシアは、ミロスラフの頼みごととはいえ、厄介ごとに巻き込まれたとしか思っていない。
見知らぬ女の上役を押しつけられ、ただでさえ下賎な民と交わりたくない嫌悪感を隠し通せたのだから、せめてシーラと接触する機会もできるかぎり少なくしようと企んでいた。
どうせ実務は侍女たちがやるのだから、テオドシアは名目上の担当でしかない。その認識はミロスラフやシーラとも同じだが、意味合いは大きく異なっていた。
テオドシアは侍女たちを引き連れ、シーラへ報告場所として与えられた古城の占有領域の入り口を教える。
「この尖塔から先のエリアが私の部屋と、侍女たちの待機場所になっているの。報告のときは侍女に伝えてちょうだい、私がいれば出てくるわ」
「承知いたしました」
「しばらく滞在するつもりだけれど、なるべく早めに終わらせてちょうだいね。秋には王都へ戻って、シーズンの途中からでも社交場へ出入りしないといけないから」
「では、そのように」
二人のやりとりは粛々と、スムーズに終わる。
それはそうと、テオドシアはカマをかけた。
「もう、ミロス様ったら、つれないお方なのだから。舞踏会でもああやって素っ気なかったから、密かに人気だったのよ? 婚約者を連れてこないから脈がある、なんてよくお熱になった子が騒いではすげなく断られて、ふふっ」
テオドシアが、王侯貴族だけの社交界事情を撒き餌としても、シーラはかけらも食いついてこない。
テオドシアも、これでは面白くない。
「ちょっと、あなたもそう思うでしょう?」
「そうですね」
「何? あなた、ミロス様に興味がないのね」
「はい。私はあくまで使命としてここに来たので」
「ふぅん。大変だこと」
結局、テオドシアはシーラを敵ではないと認め、さっさと帰らせた。
やはりシーラは完璧な一礼をして、テオドシアの前から去っていく。
質素な服といい、髪や肌の手入れが行き届いていないところといい、決して貴族令嬢ではないだろう。それどころか、異性に興味さえなさそうだ。
テオドシアはそう見極め、シーラがいなくなってからこう嘯いた。
「つまらない女ね、でもよかった! ライバルが来たのかと思ってしまったわ」
テオドシアは気を取り直し、本来の仕事——ミロスラフとの婚約を結ぶこと、そのために古城を差配できる立場になることを目指し、化粧を整え、服を毎日変え、あの手この手を駆使する業務へ安心して戻っていく。
本人は大変意義ある任務だと思っているし、ミロスラフもシーラもそれは否定しない。彼女自身が高い身分の女性であることは紛れもなく真実で、セイジェルフォード公爵家と好き好んで対立したい王国貴族はいない。
だからこそ、ミロスラフにとっても、シーラにとっても大変都合のよい存在であり、テオドシアの悲劇的な誤解を進んで解いてやる義理はなかった。




