第十三話 グレブ公爵ミロスラフ
王国北西部の草原に、雨と春が訪れた。
グレブ公爵邸として前の持ち主から譲られた古城は日々改修工事が続けられ、新たな家門の威厳を示すため王都から大勢の職人や芸術家が招かれたことから、周辺の寂れていた別荘地も街として復活し、賑やかだ。
昨年の『災害』以前は王国北西部の森や草原での狩猟のために貴族たちが訪れていたが、グレブ公爵が『災害』の影響もあって立ち入りを禁止したため、めっきり外部からの訪問者は減ってしまった。
それに、『災害』をめぐってあらぬ噂も数々立ち上り、王都の貴族や富裕層からはすっかり避けられている。
普段使いの、略式の礼服に身を包んだグレブ公爵ミロスラフは、古城のバルコニーから、水仙が満開となった作庭途上の庭園を眺めていた。ガーデナーたちがゆっくりと、しかし着実に庭の土や草木を作り替えていくさまは、見ていて飽きない。
成人して公爵となり、期せずして王国の三割にあたる膨大な領地を手に入れたミロスラフは、一躍、新興ながら大貴族となってしまった。
すると、取り巻く周囲の環境もがらりと変化する。
まず、古城に今、秘書官のルスランはいない。
「国王陛下から領地引き継ぎの雑務を終わらせていけとの仰せがありまして、しばらく王都から離れられそうにありません。ヴィソール様も手伝ってくださり、なんとか年内にはグレブ公爵領へ足を踏み入れられるかと思われます」
ミロスラフが一刻も早く与えられた領地に居城を構えて住み着こうとした代償として、ルスランの事務作業が増えたことは言うまでもない。
(それに関しては申し訳ないが、これもジュリエッタを探すためだ。頑張れ、ルスラン。あとヴィソール)
もちろん、ヴィソールもグレブ公爵家の家宰として活躍している。ただ、彼は本業のエタロフ子爵の継承手続きにも忙殺されており、ここしばらくルスランと同じでミロスラフとは数回の手紙のやり取りしかできていなかった。
その他の家臣団や騎士団は上手く新グレブ公爵領への引越しを終え、領地経営の準備を整えている段階だ。
緩やかな丘陵、背の低い草花が朝露に濡れて、野兎の一家が顔を出す——そんな古城からの春の景色とは裏腹に、ミロスラフの足元、古城では厄介な問題が起きていた。
「あら、ミロス様。お早いのですね」
背後から声をかけられ、ミロスラフはやや表情を固くして、振り返る。
そこには、黒髪黒目の背の高い美しい令嬢が、艶やかな真紅のドレスに身を包み、上品な笑顔を浮かべていた。
どこからどう見ても、やんごとない家柄のご令嬢である、と周囲へ強制的に分からせるがごとき心理的外装的造形をしている。
このごろは寝ても覚めてもジュリエッタのことばかり思い募らせるミロスラフは、見飽きた王都の令嬢たちの上位互換版としか思わないが、さりとて無視できる存在でもなかった。
「テオドシア嬢、ごきげんよう。こちらにいらしていたのですね」
「まあ、つれないことをおっしゃらないで。私は父の代わりにお手伝いに来たのですもの、何でもおっしゃってくださいな」
「生憎と、仕事はひととおり終わらせてしまっていて」
「では、ミロス様のお茶会のお相手や、ダンスの練習相手も、世間話の話し相手でもよろしくてよ?」
「そのときにまた、お声がけしますよ」
「楽しみですわ。私は応接間の新しいメイドたちの様子を見ておきますから、いつでもどうぞ」
セイジェルフォード公爵令嬢テオドシアは、ご丁寧にコーツィを披露して、去っていく。
テオドシアはあっさりと引き下がり、付き従う侍女たちと廊下を闊歩していく。しばらくして、ミロスラフは安堵のため息をバルコニーの外へ吐いた。
「……はあ、婚約破棄したことがこんなに広く知れ渡っているとは」
王の嫡外子として知られ、グレブ公子に封じられていたミロスラフが、今春から新設のグレブ公爵——それも他の大貴族を凌ぐ広大な領地を持って——になることは、王国全土の民だけでなく国外にまで知れ渡っていた。
何せ、王国は『災害』から目を逸す話題を、できれば縁起のいい、明るい話題を求めていた。そこで、国王はミロスラフが『災害』の後始末と今後の対策を行うことを条件に王国北西部の統治を任せ、盛大にグレブ公爵の誕生をあの手この手で祝ったのだ。
その流れでミロスラフに婚約者がいなくなったことも明るみになり、未婚の令嬢たちとその親たちは色めき立った。
これほどの良物件は今後この国では生まれないかもしれない。あわよくば公爵の血筋に自分の娘を、公爵家の家系図に名前を残したい。
皆がそんなふうに考え、グレブ公爵夫人の座をかけた戦いの火蓋が落とされたのだ。
それよりもミロスラフは、求めてもいないグレブ公爵夫人立候補者にこの古城を支配される前に、応接間のメイドたちの指導役へしっかり言いつけておかなくてはならない。
居座って我が物顔をされるだけならまだしも、既成事実を作られてはかなわないからだ。
(もし古城滞在を認めれば、勝手に恋人や婚約者を名乗って話を盛りかねない、というかするだろうな。いや、テオドシアがいるおかげでそれ以外の貴族令嬢が来るに来られないのだから、不幸中の幸いなんだが……どちらにせよ、きちんと断らないと)
若干足早に、ミロスラフは古城の廊下から中央の広間を経由して突っ切り、先回りして応接間にたどり着けるよう階段の手すりを伝って飛び降りる。
古城をぐるりと一周する廊下の使い方ではなく、古城の中心に位置する二つの広間とその連絡路を使ってショートカットする小技を覚えたのは、ルスランというお目付役がいないからこそだ。
ミロスラフは赤絨毯の上に着地し、エントランスホールのそばにある応接間を目指してやっと足取りを緩める。
そこへ、エントランスホール担当の若い男の使用人が、困りきった声をかけてきた。
「ミロスラフ様! あの、申し訳ございません、こちらへお越しください」
何か面倒ごとでもあったのか、とミロスラフは自然に使用人へと視線を向けた。
「どうした——」
ミロスラフは、己が目に映る光景を疑った。
大理石が敷き詰められたエントランスホールの扉は開け放たれ、まだ肌寒い外の空気が入ってきている。
ふんだんに使われたガラス窓からは朝日が差し込み、眩しいほどに佇む客人を照らし、その灰色の長い髪に曙光の輝きを与えている。
何よりも、真っ直ぐにミロスラフを見つめてくる青い目は、思い出の中の彼女と何一つ違わない。
若い公爵は、ひどく緊張に満ちた声で、彼女の名を呼ぶ。
「……ジュリエッタ?」
簡素な毛織りのローブを羽織り、羊皮のロングスカートとブーツを履いた客人は、深く深く、頭を下げた。
今日は朝投稿がなくて申し訳ないです。
明日からam05:00だけの1日1回投稿になります。




