文豪の言葉遣いにならおー?
時々「文豪」は、とてつもなく凄い言葉を編み出す。
『悲しいほど美しい声』という描写は、言うまでもなく川端康成先生の表現である。
こんなフレーズは、一般的には中々出てこないものだ。さすが文豪。
宮沢賢治先生の『とてちてけんじゃ』しかり。
こんなの考えたって出てくるような言葉ではない。
中原中也先生の『ゆあーん、ゆよーん、ゆやゆよん』。
脱帽ものです。
何処をどうしたらそういう発想が浮かぶんだろ?
そういや、文豪と言うわけでは無いけれど、高橋留美子先生の「シーツをテーブルにかける時」の「ふぁさっ」という擬態語にも巧いと思ったことがあるなー。
言葉による表現ってのは、既成概念にとらわれると、それだけでボキャブラリーが貧困になってしまうものです。
「自由な発想で書いてみよう」なんて決まりきった説教は脇に置いといて、問題は如何にして発想を自由にできるかだよね。
人生ン十年も過ごしてしまうと、純白に発想を展開すると言うのは至難の技なのかもしれない。でも、できる限り好奇心と興味のボルテージを上げた活き方を展開して、新たなる境地を導いてみたいもんです。そんな所見・雑感なり。
うし!
ならば、既成概念にとらわれずに発想を解放して、新しい表現方法による作品を考えてみよう!
新たなる擬態語を生み出して、新境地を切り開いてみるぞー!
・・・
ここは、さいはての漁村。
その防波堤は、鉛色の海に今にも飲み込まれてしまいそうな弱々しさを露呈していた。
[でゅおぉぉぉっ・・・!]
肌に痛いほどの北風が吹きすさぶ。逃げることに全力を尽くしてきた彼の両足の感覚は、もはや完全に麻痺してしまったようだ。
逃亡者「はぁ、はぁ、・・・も・もう、ここまでか!?」
追跡者「へっへっへ。。捕まえたぜ、よくぞここまで逃げられたもんだ、ええおい?とりあえずは褒めてやろう。」
逃亡者「くっ、くそうっ!」
おもむろに追跡者の冷たい銃口が逃亡者に向けられる。
追跡者「最後に言い残したことはないか?」
逃亡者「ふん、お前に言うことなど何も無い。。」
追跡者「そうかっ!」
[わんっ!]
[みぎょっ!]
無慈悲な銃声が辺りに響き渡り、逃亡者は防波堤に倒れこんだ。
その音に驚いたのかカモメがにわかに騒ぎ出す。
[くうぇー、みゃおー、ぶこみゃおおおお、ぶひぶひ・・・]
追跡者「おぉ、ギャラリーが賑やかだな。。。」
ここは、さいはての漁村。
海鳥の鳴き声だけが轟き渡る。
それは逃亡者への鎮魂歌。
鉛色の海を背に、吹き荒ぶ風がこの地に踊る。(完)
・・・
だめ?