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藤原千方伝・坂東の風  作者: 青木 航
成年編 第一章
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九拾伍 両雄対面

 十二月の寒風が、上気した将門の頬にむしろ心地良く感じられた。みやこでの欝々とした日々も、胃のが痛むような身内との闘いの日々も、この日の為に有ったのかと思う。煩いも悔しさも身の奥から燃え上がって来る熱気と坂東の寒風に晒されて、霧散して行く。もはや、恐れという気持ちは微塵も無い。己が決めた道を唯ひたすら駆け抜けるのみだ。命へのこだわりを捨てたことで、生きていると言う実感が沸き上がって来た。

 膨れ上がった将門軍は、怒涛の如く下野を駆け抜けて行く。 

 それを遮る軍と言えるものは、その影すら無い。不安と恐れの表情を浮かべて田畑から見守る民達の姿を横目で見ながら、将門軍は東山道を駆けて国府に至った。

 国衙の少し手前に差し掛かった時、将門は、右手を挙げて軍を止めた。門が開け放たれ、人っ子ひとり居ない舘の前だ。秀郷の国府の舘である。

「秀郷め、又も逃げおりましたな」

 御厨みくりやの三郎・将頼まさよりが言った。

「この舘に踏み込むことを禁ずる。三郎、見張りを立てよ。兵を一歩も入れてはならぬ」

「えっ? なぜですか? 『どうぞ、何でもお持ち下さい』と言っているようなものでは御座いませんか」

「だからだ。それに三郎、今後、麿のめいは一度で聞くように致せ。いちいち問い返せば動きが遅くなり、咄嗟の場合対処が遅れる。他の者達への示しも付かぬ」

「はっ。分かりました」

 将門は、秀郷の舘に見張りを残し、国衙に軍を進めた。

 国衙の門も開け放たれている。見張りの兵の姿も見えない。

 手前に軍をとどめ、将頼、興世王、玄茂と十数名の郎党のみを従えて、将門は下野の国衙に入った。

 国庁の入り口の前に、正装に威儀を正した二人の男が立っている。下野守・藤原弘雅ふじわらのひろまささきの下野守・大中臣完行おおなかとみのまたゆきだ。

 十歩ほど二人に近付いた所で歩みを止め、将門は馬上から二人を見た。

 弘雅は紫の布に包んだものを頭上に掲げ、少し下がって完行が、二人共少し腰をかがめて下を向き、将門の方へ歩み寄って来た。馬前に至ると二人とも地面に膝を突く。そして、神を崇める如く、地に着くほどに深々と二度頭を下げ、

「下野の印鎰いんやくに御座る。どうぞお納め下され」

と弘雅が大声で述べた。

 将門は無言で紫の布に包まれた印鎰いんやくを取り上げ、興世王に渡した。

「この将門、坂東を支配しまつりごとを行うことに意を決した。従って、この坂東の物、米一粒たりともみやこに持ち去ることは許さぬ。そして、その為にみやこより遣わされた受領共を、全てみやこに追い帰すこととした。立ち去れ! 」

 弘雅と完行は無言でもう一度頭を下げ、立ち上がって、一度庁舎の方を振り返った。恐る恐る様子を見ていた従者ずさや女子供達が、庁舎の中からぞろぞろと出て来る。

 将門の兵達が見守る中、追われた一行は国衙の門を潜り、顔を伏せるようにして、とぼとぼと歩き始める。

 ついこの間、馬や輿こしに乗り、供揃ともぞろえをしてきらびやかに下野入りしたばかりの弘雅とらは、寒風の中、みじめに徒歩で下野を後にすることになった。女達は袖で涙を拭う。

 ふいに馬を返して門を出た将門が、

「完行殿! 」

と声を掛けた。

 振り返った完行が馬上の将門を見上げる。

 そのまま少しの間、将門は完行を見詰めていた。

 そして、

「気を付けて行かれよ」

とだけ言った。

 それだけで完行には、今は口に出来ない将門の想いが分かった。完行が黙って頭を下げ、それに答えるように、将門も馬上から僅かに頭を下げた。

 将門の脇で軍師(づら)をして踏ん反り返っている興世王の姿が完行を少し苛立たせた。

『まず、最初に追い払わねばならぬのは、その男ではないのか』

と将門に問いたかった。


 下野の国衙に入った将門は、その日のうちに、佐野の秀郷の許に使いを送る。

「坂東のことに付きご相談したい。国府までお越し願えぬであろうか」

と言うものであった。秀郷は即答を避けた。

 報告を受けた将門は,

「ふ~っ」

と溜息を突く。

 動き出した以上、勢いを緩める訳には行かない。朝廷が手を打つ前に、何としても坂東を席巻してしまわなければならないのだ。

 秀郷が兵を集め対抗して来れば、その為に時を浪費し、朝廷に先手を奪われることにも成り兼ねない。秀郷が、このまま無視するようであれば、上野に進軍する前に佐野に向かい、今のうちに秀郷を潰してしまわなければならない。

 他の者達は、秀郷が将門との戦いを避けていることで甘く見ているが、逃げている秀郷を将門は、むしろ薄気味悪く思っている。国府と対立しながらも勢力を拡大し、追討を受けながらも跳ね返してしまった男だ。  

『自分を恐れて逃げ回っているだけとは到底思えない。或いは、同じ想いを持ち、自分を値踏みしているのではないか。だとしたら、腹を割って話し合うことに寄って、味方に迎えられるのではないか』

と思っていた。開け放たれた国府の秀郷の舘を見た時、その確信を持ったのだ。しかし、秀郷は誘いに乗らなかった。

「佐野を一度訪ねてみようかと思う」

 興世王を呼んで、将門がそう切り出した。

「それはなりません。坂東の王となられるお方が、そのようなことをしては軽く見られます。佐野に向かうのであれば、秀郷を討つ為に向かうべきです。他の者達も恐らく同じ意見で御座ろう」

恰好かっこうなど付けて見ても仕方が無い。麿は実力と真摯な心で支配してみせる」

「権威は必要なもので御座る。麿が権官ごんかんで、貞連が正任しょうにんの武蔵守であったればこそ、麿は負けたのです。その力の裏付けが朝廷の権威と言うものです。麿と貞連の人としての力の差では御座いません」

「またそのことか」

「いえ、これは、お舘ご自身についても言えることで御座りまするぞ。

 お舘は、昔、みやこでご苦労されたと聞いております。お舘がこれ程大きなうつわの方と見抜ける者が居なかった為、認められず、不当な扱いを受けたのでは御座りませぬかな。

 人の実力を見抜くことは難しゅう御座る。特に凡人には見抜けませぬ。ただ、権威や見た目の威厳は愚かな者にも分かります。権威はこれからのこととしても、それなりの権威を示すことは必要です。軽く見られては不要な戦いを増やすことになります。威厳を以て服従させることが出来れば、無駄な血を流すことも少なくて済みましょう」

 痛いところを突かれた。将門とて、いくさ以外の場での腹の探り合いが苦手なことは自覚している。

「麿とて無駄な血は流したく無い。であればこそ、秀郷と腹を割って話したいと思うのだ」

「秀郷の方から出向いて来れば、そうなさいませ。ですが、お舘から出向いては、見縊みくびられることとなります。お分かり頂けますかな」

「う~ん」

と将門はうなった。

「坂東の王となって、いきなり威厳が身に付くというものでは御座いません。今よりお心掛け頂くようお願い申す。いくさに関しては、お舘に意見出来る者などおりますまい。したが、人の心の動きを読むことに関しては、長く生きてきた分、麿の方がいささかちょうじておると思うております。この献策、お聞き入れ頂くようお願い致す」

「分かった。心掛けよう」


 翌朝早く、将門が髪をくしけずっていると、興世王が入って来た。まずは、えんに出て辺りの景色をのんびりと眺めている。

「何か用で御座るか? 」

 将門が尋ねる。

「なに、身繕みづくろいをされているのなら、急ぐことでも御座いませぬ」

「このままでも聞ける。申されよ」

「いや、一刻(三十分)ほど前に秀郷が参ったので、待たせております」

「何? 秀郷が参ったと。なぜ早く言わぬ! 」

 将門は手早く髪をまとめて、烏帽子えぼしを被ろうとしている。

「慌てる必要は御座いますまい。暫く待たせて置いた方が宜しいかと」

 将門は、広間に向かい走るように歩き出していた。

「お待ちを! そのように慌てては、秀郷に見縊みくびられることとなりますぞ」

 興世王も急いで将門の後を追った。

「玄茂殿が面談しておりますゆえ、ゆるりと行かれませ。慌ててはなりませぬ」

 聞こえているのかいないのか、将門は歩を緩めること無く広間に入って行く。

 満面の笑みを作り、

「秀郷殿、良う来て下された」

と走り寄った。

 将門が秀郷の両の手を取ろうとしたその時、咳払せきばらいが聞こえた。追って来た興世王である。将門は、はっとした。

『威厳を以て服従させることが出来れば、無駄な血を流すことも少なくて済む』 

と言う興世王の言葉がよみがえったのだ。

 一瞬動きを止めた将門が、笑みを消してかがみ掛けていた身体からだをゆっくりと起こし、上座に向かった。

 そして、秀郷と対面するように腰を下ろした後、重々しさを意識して

「良う参った」

と言った。

「参上するのが遅れて、申し訳御座いません。元よりこの秀郷、将門殿に盾突く気は毛頭御座らぬ。この坂東の為、将門殿が立たれたこと、下野の民に代わり言寿ことほぎ申し上げる」

「秀郷殿。そのげん、真に殊勝である。御大将おんたいしょう二心ふたごころ無く仕えると言うことであれば、名簿みょうぶたてまつられよ」

と言ったのは興世王である。

 臣従しんじゅうするあかしとして、身内、郎党の名を記載した名簿を渡すことが仕来しきたりとなっていた。

 一瞬、秀郷が興世王を睨んだと見えたが、気のせいであったかと思える程の素早さで、その鋭い眼の光を消した。

「ははっ。これに持参致して御座いまする」

 秀郷が頭を少し下げて、名簿みょうぶを両手で頭上にささげる。

 興世王が目で合図をすると、郎党の一人がそれを受け取り将門に渡す。

御大将おんたいしょう。お言葉を」

 興世王が言った。

「確かに受け取った。かくなる上は、兵を纏め、少しも早く参陣せよ」

「御大将と戦うつもりなど毛頭御座いませんでしたので、兵は全く募っておりませぬ。急なことゆえ、いささか時を頂くことになりますが、早々に立ち帰り、兵を募って参陣させて頂きます」

「分かった。待とう」

 肩肘かたひじ張っていた将門の表情がほっとしたように緩む。


 将門の前を辞した秀郷が国衙の門を出ると、そこに足止めされていた朝鳥を始めとした郎党達が迎える。

「ご無事で」 

と朝鳥が声を掛ける。

「愚かな」

一言ひとこと、思わず秀郷が漏らした。

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