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藤原千方伝・坂東の風  作者: 青木 航
成年編 第一章
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九拾四 弘雅と完行

 下野しもつけ国衙こくが

 下野守・藤原弘雅とさきの下野守・大中臣完行おおなかとみのまたゆきが、人払いをし、顔を突き合わせて密談している。 

 常陸ひたちを占領し謀叛に踏み切った平将門が、坂東の独立と坂東各国の受領ずりょうの追放を宣言し、次の目標として下野を定めて、出陣の準備をしているという報せを受けてのことだ。

「いずれ、朝廷より坂東各国に、将門追捕(ついぶ)の詔勅が届くであろうが、各国の連携も出来ていない今、この下野を攻められたら、対処のしようが無い。いかにしたら良かろう。…… 戦わなければ、我等の出世の道が絶たれる。出来る限りの兵を集め、何とか食い止めながら、武蔵、上野こうづけからの援軍を待つべきであろうかのう」

 眉間みけんしわを寄せ、下野守・弘雅が悩ましげに尋ねる。

「う~ん。容易ならざる事態で御座るな」

 さきの下野守・完行も深刻な表情を見せ腕組みをした。

 三年前の承平じょうへい六年(九百三十六年)六月、将門が良兼、貞盛らを追い詰めて下野の国衙を包囲した際、下野守として対応した男だ。

 任期が明けて、下野守の職を藤原弘雅に引き継いだのだが、引き継ぎ手続きが終わっていなかった為、まだ下野に滞在していた。

 正直、運が悪いと思った。下野を離れてさえいれば、何の責任も無い立場と成っていたはずだった。完行が小狡こずるい男であったなら、弘雅が何と思おうと、引き継ぎの手続きをかして、『自分には関係無い』と、さっさとみやこに向けて旅立ってしまっていたかも知れない。退任した以上,ここに居さえしなければ責任を問われることは無いはずだから。

 しかし、完行はそんな男では無かった。承平じょうへい六年の騒ぎの時も、将門を恐れること無く、言うべきことは言って将門に囲みを解かせている。

 大中臣氏は、藤原と同じく中臣なかとみ氏の出である。文武天皇の頃、藤原不比等ふじわらのふひとの直系以外は,藤原姓から中臣姓に戻り,神事に供奉ぐぶすることとされた。しかし、中臣意美麻呂なかとみのおみまろの七男・清麻呂きよまろは政界に復帰し、神護景雲じんごけいうん三年(七百六十九年)に中臣朝臣なかとみのあそんから大中臣朝臣おおなかとみのあそん姓に改姓し、光仁こうにん朝に至って、右大臣にまで昇進した。

 完行の父・安則やすのりも、神祇伯じんぎはくの時、伊勢権守いせのごんのかみを兼任し、従四位上じゅしいのじょうにまで上った。完行は幼い頃より神祇じんぎの修行をさせられたが、その道には進まず行政官僚の道を選び、朝廷に出仕し、丹後たんご守を勤めた後、下野守に転じていた。

「急いで集められる限りの兵を集めることにしよう。力を貸して頂けるか? 」

 弘雅が完行に身を近付けるようにして言った。

「無駄なことはやめた方が良い」

「無駄と申されるか」

「いかにも…… この下野は実質、藤原秀郷に牛耳ぎゅうじられておる。秀郷抜きにして兵など集めることは出来ぬ。この国衙の中にも、秀郷の息の掛かった者がどれ程おるか分からぬのじゃ」

「秀郷も謀反人同然と聞いておるが…… 」

「同然ではあるかも知れぬが、追討の官符を出された身ではあっても、謀反人では無い。不思議なことに、未だに、れっきとした下野少掾しもつけのしょうじょうじゃ」

「良う分からぬ話じゃな。ならば、秀郷に兵を集めさせては? 」

「朝廷の意向を受けて、今まで歴代の下野守が、どれ程、秀郷を目のかたきにして来たか、ご存知無い訳でも無かろう。今更、頼めた義理では無いわ」

「…… う~む。無理か…… 」

「それに、秀郷が将門に着かんとは限らぬ」

「前門の狼、後門の虎。どうすれば良い? 」

「将門にくだるしかあるまい」

「何を言われる。そんなことをすれば、下野守としての面子めんつが立たぬではないか、完行殿」

「弘雅殿は命と面子、どちら選ばれるのか? 例え、秀郷のことが無くとも、二千や三千の兵では将門には勝てませぬ。三年前、上総介・平良兼がこの下野国衙に逃げ込んで来た時も、こたびの、常陸介・平維幾も、三千の兵を擁しながら、あっさりと将門に打ち破られておるのですぞ。もはや、将門に勝てるのは、いにしえの名将・坂将軍ばんしょうぐん坂上田村麻呂さかのうえのたむらまろ)くらいしかおらんのではないかな。降霊こうれいの神事でも行うとするか。これでも、神事をつかさどる家の出であるからな」

「出来るのか? 田村麻呂将軍のみたまを降ろすことが…… 」

 そう大真面目に聞かれて、完行は弱った。

「いや、出来ぬ。神祇じんぎの道に進むつもりなど全く無かったので、余り熱心に修行をしておらぬのじゃ。まあ…… 猫の霊くらいなら降ろせるかも知れぬがな」

「こんな時に、そのような戯言ざれごとを良うも言うておられるものじゃな」

「いや、済まぬ。しかし、良うお考えなされ。まず、戦わずして逃げれば、首尾良くみやこに辿り着けたとしても、国守くにのかみの職を放棄して逃げたとして、処罰は免れまい。かと言って、戦っても勝てる見込みは無い。ならば、降るしか無いではないか」

「戦いもせんで降るのでは、逃げるのと大差無い」

「それはそうだが、弘雅殿、今迄、命を懸けて戦ったことが御座るのか? 」

「いや、それは無い…… 」

「確かに将門は、受領を追放すると言っており、殺すとは言っていない。そして、今までの戦いに於いても、源護みなもとのまもるの子息三人を除いて、将を殺したことは無い。ま、平国香たいらのくにかに付いては、巻き添えで死んでおるがな。将門は今迄、捕らえた将を殺したことは無いのだ。だがそれは、身内同士の私闘だったからかも知れぬ。謀叛人と成った今もそうとは言えぬ。刃向かった者を殺さぬとは限らぬ。

 また、将門自身がそのつもりは無くとも、配下の者達に殺されるかも知れぬ。いくさとは、その場の成り行きで何が起きるか分からぬものじゃ。三年前も、将門が引き上げるまでは、息苦しいまでの緊張の連続であった。正に、生きた心地がせぬとは、あのような状態を言うのであろうな。だから、適当に戦って、頃合いを見て降伏した方が、恰好かっこうが付くなどと甘いことはお考えにならぬが良い。命あっての物種ものだねじゃ」

「ふ~ん。出世より命か…… 確かに死んでしもうては出世も出来ぬな。当面出世から見放されたとしても、生きていれば、いつか挽回の機会を得ることが出来るやも知れぬということか…… 」

「将門と膝を突き合わせて話したことのある麿の言うことをお聞きなされ。あの男、降った者に無体むたいな真似はせぬ」

「そうだ! 思い出したぞ。みことは、三年前には、将門の行為がやむを得ぬことであった旨、国庁の記録に残し、せんだっては、武蔵での将門の行為が謀叛では無いとのあかしを朝廷に対して送っている。言わば、将門に幾つもの貸が有る訳だ。刃向かいさえしなければ、将門がみことを粗略に扱うことは出来ぬと言うことか」

「将門がそのように思っているかどうかは、分からん」

「…… みことは、麿が解由状げゆじょうさえ書けば、今、直ぐにでも堂々とみやこへ旅立てる身。将門に口添えして貰う訳にも行かぬな…… 」

 弘雅はわざとらしく困った表情を作って言った。

「麿ひとり逃げるつもりは御座らぬよ。こう成ったら一蓮托生。地獄の底まで付き合い申そう」

「ま、まことで御座るか。いやそうしてくれるなら心強い。完行殿、恩に着る」

「将門に降るのが良いと申した手前、知らぬ顔も出来無くなった」

 初めは戦うなどと言っていたが、実は弘雅がおびえているのを、完行は見て取った。

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