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藤原千方伝・坂東の風  作者: 青木 航
成年編 第一章
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九拾参 先駆け 2

 再び坂東の常陸。

 将門の坂東独立宣言は、人々の口を介し、あっと言う間に広がって行く。そして、普段から国府と対立していた土豪達を中心に続々と将門のもとへ駆けつける者達が集まって来る。これらの者と面談し、覚悟をただし取り込んで行くのは良いのだが、この雑多な者達を軍として編成して行く作業は並大抵ではない。じきに将門ひとりでは手に負えなくなる。まずは、司令部とも言うべきものを組織しなければならなくなった。

 まず、将門は興世王おきよおうと、すぐ下の弟・御厨三郎みくりやのさぶろう将頼まさよりを補佐役とし、興世王には戦略面を、将頼には戦術面を補佐するよう命じた。そして、その人柄を見込み、玄明はるあきの伯父・藤原玄茂ふじわらのはるもちを副将格として登用し、従来からの腹心・多治経明たぢのつねあきをその補佐に付けることにした。万一の場合の玄茂の監視役でもあることを経明に伝え納得させた。

 他には、郎党の筆頭格である文屋好立ふんやのよしたつ、弟である相馬五郎そうまのごろう将為まさため相馬六郎そうまのろくろう将武まさたけを加えた。

 軍の編成作業は将頼と玄茂、経明に任せるが、最終的に将門の了承を得ることにより決することとした。

 日々集まって来る者達との面談は、興世王と好立よしたつ将為まさため将武まさたけに任せた。しかしこれも、その日毎にまとめて将門自身が目通りし、必ず、直接声を掛けることにした。

 将門はその大綱たいこうを皆に示した。

「一.坂東各地の受領ずりょうみやこに追い返し、この地を支配下に置く。

 一.公地・公田、荘園を接収し、その揚がりをまつりごとの為の費用に充てることにより年貢を軽くする。

 一.つわもの達の領地争いに関しては、調整機関を設け裁定し、つわもの同士のいさかいを無くし、その力を結集する。

 一.坂東を支配下に置いたとしても、将門を始め上に立つ者達は質素倹約を旨とし、財貨は坂東と民の為にその多くを使い、決して奢侈に流されぬこと。

 以上のこと、皆の同意を得たい! 」

 将と成った者達の間に少しの戸惑いが有ったのは、領地争いの裁定機関を設けると言うことについてであった。言うは易いが、実際の運営となれば簡単には行かないことだ。下手をすれば、争いをかえって拡大することにもなり兼ねない。 

「だが、実際の運用は先のこと、今は何より勢いを付けることが第一」 

と続ける。そう思い、皆

「承知! 」

と声を上げた。

 興世王も、皆に合わせて大きく頷いて見せる。しかし、心は他の者達とは全く別のところにあった。

 興世王の想いは、坂東などには無い。今その心に有るのは、将門をして、もとを占領させることである。そして、みやこの朝廷を廃し、新しい王朝を立てさせることだ。新しい都は、この坂東でも良い。檳榔毛びろうげ牛車ぎっしゃり、多くの従者ずさを従えて都大路みやこおおじを進む、太政大臣たる己の姿を夢見ているのだ。

『財貨は坂東と民の為にその多くを使い、決して奢侈に流されぬこと』

『冗談では無い。そんなことを貫かれたら、元も子も無くなってしまう。この一事いちじは何としても潰さねばならないと思った。だが、今は次の戦いに何としても勝ち、そして勝ち続けなければならない時である。勝たねば何も始まらない。他の者達と異なる主張をして浮き上がり、将門から遠ざけられる愚を犯してはならない。興世王は、当面、野望を心の奥に秘めることにした。


 ドタバタした状態が少し落ち着くと、将門は今述べた者達を集め、軍議を開いた。

「坂東の地から受領共を追い出し、坂東に住まいおる者達の為の政を行うと決めたが、まず、どこを攻めるのが良いと思う? 考えの有る者は遠慮無く申すが良い。麿には考えが有るが、皆の考えも聞きたい」

「宜しいかな? 」

 まず、興世王が口を開いた。

「申されよ」

「まずは、武蔵を攻めるが宜しかろうと存ずる」

「理由は? 」

「武蔵には武芝たけしばがおります。武芝は、足立郡あだちごおりをしっかりと抑えているばかりでなく、武蔵全体に影響力を持っております。その武芝は、お舘に恩を受けている身。早い段階で我が軍に加えることが肝要かと。すぐにでも駆け付けて来て可笑しくない武芝から、まだ何の連絡も有りません。或いは、武蔵の国府の厳しい監視の許に置かれているのか、ことに寄っては、捕らわれてしまっていると言うことも、考えられます。だとすれば、少しも早く救い出し、お味方に加えることが必要と思いまする」

 元々その武芝に難題を吹っかけて、揉めた張本人が良くも言えたものだ。興世王と言う男、都合の悪いことは,すぐに忘れてしまい、気にも掛けず、何の矛盾も感じない男らしい。本音は、憎っくき貞連を、まず追い出したいだけなのだ。

「他に考えの有る者は? 」

「下野を、まず攻めるべきかと」

 そう言ったのは御厨三郎みくりやのさぶろう将頼まさよりである。

「なにゆえか? 」

「下野には藤原秀郷が居ります。他を先に攻め、秀郷に兵を集めるいとまを与えてはならないと思います。そうなれば、最も手強てごわい敵となりましょう。秀郷の機先を制して下野を制することが最も大事かと」

「麿も三郎殿と同じ考えに御座います。この大事、成るか成らぬかは、下野の秀郷を制することが出来るか否かに掛かっていると思います」

 玄茂が将頼に同調する意見を述べた。

「三郎殿。麿はその頃、みやこに在り、噂に聞いただけではあるが、以前、お舘が良兼らを追って下野に入った折には、秀郷とやらは、尻尾しっぽを巻いて逃げたと聞いておるが…… 」

「秀郷は麿を恐れて逃げた訳では無い。あの男なりの計算が有ったと、麿は思うておる。追討官符を跳ねけた程の男だ。得にならぬいくさを避けただけであろう」

 将門がそう口を挟んだ。

「麿も秀郷を軽く見ることは危険と思います」

 文屋好立ふんやのよしたつである。

 興世王は少し渋い顔をした。この様子では自分の意見は通りそうも無いと悟ったのだ。これ以上、武蔵攻めを主張して孤立することは損になると即座に判断する。

「お歴々の意見良う分かり申した。やはり、ここは下野をまず攻め、秀郷を討つべきで御座るな」

「皆に問う。なにゆえ秀郷を討つべきと思うのか? 先程、興世王殿が申した如く、伯父・良兼を追って下野に入った際、秀郷は麿に敵対することは無かった。そして秀郷は、麿同様、追討を受ける身である。麿より先に謀叛を起こしていても可笑しく無い立場にあるのだ。むしろ、味方に付けるべきとは思わぬか? 手強てごわい相手と言うことは、味方にすれば頼もしい者と言うことであろう」

「しかし、秀郷が素直に兄上に従いましょうか? 」

 三郎・将頼が尋ねる。

「分からぬ。口先だけではらちが明かぬであろう。麿の考えを申そう。まず、下野に軍を進める。もし、秀郷が刃向かって来れば戦わざるを得まい。麿に下ると申し出て来れば、もちろん受け入れる。静観したとすれば交渉の余地は有る。いずれにせよ、秀郷の出方次第じゃ。時を費やしてはならぬ。体制が整い次第、下野に攻め入る」

「分かり申した」

 それぞれが賛同の意を示す。

輜重しちょうの用意は? 」

「はい。それが、皆、持ち去られて、国衙の蔵は殆ど空に御座います」

 五郎将為が答える。

「そうか、出来る限りで良い。早々に集めよ。後は下野で調達する。急げ」


 そんな折、出陣を目前にして大問題が起こった。

 多くの者達が加わったことに寄り、互いに見知らぬ者も多くなり、管理体制が整わぬ間のすきを突いて、貞盛と為憲が脱走したのだ。将門は悔しがったが、幸いにして維幾を逃すことは無かった。

 ここは常陸である。嘗て、貞盛の父・常陸大掾・国香に恩を受けた者が手引きをしたのかも知れない。将門に従うことを決めても、それはそれとして、人としての別の心情が働いた可能性も有る。

 貞盛と為憲の逃走を助けた者が居ると言う確信は有ったが、それをあぶり出すことを将門は避けた。その詮索をすることで兵達の間にお互いに対する不信感が醸成されることを恐れたのだ。それよりも、今は次なる闘いに向けて士気を高めることが必要と思った。


 天慶てんぎょう二年(九百三十九年)十二月十一日、坂東独立を目指す将門軍は、まず下野に向けて進軍を開始した。

 それ迄にも、受領に対してそれなりの抵抗を示す者は少なくは無かったが、土地も民も全て朝廷のものであり、太政官から派遣される国司=受領がそれぞれの国を支配し、租庸調そようちょうを課すと言う、律令制度の原則は意識されていた。しかしこれは、それを真っ向から否定し、土地を耕す者、自らがその地を支配することを宣言した初めての出来事となる。 

 坂東と言う限られた地域に於ける出来事とは言え、平安中期に、既に次の時代への萌芽が始まっていたと言うことである。

 実質的には律令制度の崩壊は、かなり以前から進んでいた。しかし、受領に対して抵抗はしたとしても、公然と制度そのものを否定した者は居なかった。

 武士と言うものが生まれる前夜のこの時代に於いて、つわものとは、その出自しゅつじに貴賎の差は有っても、実態は職業軍人では無く、その全ての者が農業経営者すなわち農民なのである。

 ごく単純化して言えば、かんであるごく少数の貴族が、みんである大多数の農耕者を支配し、その上前うわまえねて豪華できらびやかな生活と文化を維持していた。それが平安時代と言うことになる。将門の坂東独立宣言に寄って、僅かだが、そこに一筋ひとすじのひびが入った。この一筋のひびが広がって行くには、まだまだ時を要するが、時代の先駆けであったことは確かと言える。

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