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藤原千方伝・坂東の風  作者: 青木 航
成年編 第一章
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八拾八 忠平と師輔

 経基つねもとの訴えを受けた朝廷では、太政大臣・藤原忠平ふじわらのただひらが事の実否を調べることにし、御教書みきょうしょくだして使者を東国へ送った。

 驚いた将門は上書をしたため、天慶てんぎょう二年(九百三十九年)五月二日付けで、坂東五カ国の国府の『謀叛は事実無根』との証明書を添えて、弁明書を朝廷に送った。 

 これにより朝廷は将門らへの疑いを解き、逆に経基は誣告ぶこくの罪で罰せられることとなった。

 実際に、この時は謀叛の事実は無く、経基の思い込みだけだったのだから、当然のことではある。


 その決定が成された日の夕刻、権中納言で検非違使別当けびいしのべっとうを兼ねている次男の師輔もろすけが忠平を訪ねていた。

「何か申したきこと有って参ったか? 」

 居室で寛いでいた忠平が物憂気ものうげに尋ねる。

「はい。いささか申し上げたき儀が御座りまして」

「詮議のことか? 将門らに謀叛の意思など微塵も無かった。  

 それは、常陸・下総・下野・武蔵・上野の国司らも認めておる。全て、あの小心者の経基の妄想じゃ。はっきりしておる。それがどうかしたと申すのか? 」

「父上の御意向ゆえ、異議は挟まず決しましたが、少々解せぬところが御座ります」

「何? 」

「武蔵で起きたこと。己も疑われていることゆえ、武蔵権守むさしのごんのかみがそう申し立てるのは当然として、なぜ、近隣四ヵ国の国司達までそう言い切っているのでしょう? 僅かの間にどう調べて、そう言い切れる程の自信を得たのでしょうか? 」

「国司達の添え状は信用出来ず、将門には謀叛の意思が有ったかも知れぬと? 」

「そうは申しませぬ。ですが、父上のお力をしても、ままならぬ坂東で、将門の依頼が有れば国司共が、慌てて其のようなものを差し出すことが、少々気色きしょく悪うおじゃりませぬか? 」

 忠平は、ちょっと師輔を見て笑った。

「そのことか。国司共、恐らく将門を恐れているのであろう。

 じゃがな、物も人も使い様じゃ。みやこでは役に立たぬと思っておったあの男が、坂東に帰り、水を得た魚のように勢いを付けおった。

 ならば、それを利用せぬ手は有るまい。将門をして面倒な坂東を治めさせれば良い。元々麿の従者ずしゃだった男じゃ。伯父の良兼らを追って下野に入った際も、くどくどと麿に言い訳のふみを送って来おった。

 麿を裏切るような真似はせぬ。と言うよりも、そんな策など練れぬ男じゃ。むしろ、適当な官職を与えてやれば、感激して励むであろう。今、それを考えている処じゃ」

「父上のお考えとあらば異は唱えませぬが、いまひとつ気になることがおじゃりまする」

「何か? 」

「いま一人の当事者、興世王と言う男のこと、ご存じでおじゃりまするか? 」

「知らぬ。どのような男じゃ」

はなはだ評判が宜しく御座いませぬ。噂では御座りますが、盗賊と関わり合いが有るのではないかとの疑いも御座います」

 忠平の目が動き、師輔を睨んだ。

「そのような者、誰が推挙した! 」

 国司の補任ぶにんには、有力公卿に寄る推薦が絡んで来る。

「証拠有ってのことでは御座りませぬ。申し上げましたように、今はまだ噂に過ぎませぬ。検非違使に探らせておる処で御座います」

「したが、評判の悪い男ではあるのであろう。誰の推挙じゃ」 

 忠平が重ねて糾問する。

「それは、余り追及されぬ方が…… 」

「藤原 …… それも、麿に近い者と言うことか? 」

「だからと言うだけでは無く、その辺りを余りつつきますと、推挙の制そのものが揺らぐことになります。公卿達に取っては貴重な実入りのひとつと成っておりますれば」

「分かった …… じゃが、武蔵守に内定していた者が急死し、後の者がまだ決まっておらぬのであろう。おまけに介の経基はあのようなさまじゃ。

 興世王ひとりに武蔵の政を任せて置くのは危うい。いかがするつもりか? 」

「これから任じてみやこから武蔵に赴任させたのでは、時が掛かり過ぎます。上総介を努めおります百済王くだらのこにきしの貞連を、急遽、武蔵守に任じて任地に向かわせたいと思いますれば」


 承平じょうへい七年(九百三十七年)八月、下総と常陸の国境くにざかいの子飼(小貝・蚕養(こかい))の渡しで、脚気かっけを病んでいた将門を破り、豊田とよだに侵入し火を放った際に、さきの上総介・平良兼は、常羽いくはの御厨みくりや(神領)をも焼き払った。

 将門が忠平に良兼の暴状を訴えた為、同年十二月、朝廷から良兼らの追捕の官符が発せられ、良兼はその地位も失い、百済王貞連が後任の上総介の職に就いていた。混乱状態にあった上総を任されたと言うことは、それだけの力量と忠平の信頼が有ってのことだったのであろう。

 その貞連を急遽武蔵守に転出させようと言うのだ。

「うむ。そう致せ。除目じもくを待つ必要は無い。その旨、直ぐにも貞連に報せよ。興世王から武蔵のまつりごとを取り上げるのだ。興世王はみやこに呼び戻して糾問致す」

「興世王の召喚と糾問に付いては暫しお待ち下さい。先程も申し上げました通り、まだ噂の段階で、なんら、あかしとなるものが有りません。五世とは言え王を名乗る者。それなりの証が必要です。検非違使を指揮して、武蔵権守の職を得る為に使った財貨の出所を含めて洗っている処で御座りますれば、いま少しのご猶予を。政に関わらせぬよう貞連には申し伝えて置きます」

「ならば、そう致せ」

 五月十六日、坂東に関わる臨時の除目が行われ、百済王貞連が正式に武蔵守に任じられる。その翌月には、前上総介・平良兼が失意のうちに病没した。


 師輔の舘は現在の京都御苑内の南西、丸太通りに面した辺りに在り、九条邸と呼ばれていた。御所ごしょは現在より約千七百メートル西、千本通りに面し、現在の二条城を含むに辺りに有った。

 忠平の舘を辞して己の舘に戻った師輔を出迎えた武者達の中に、左馬允さまのじょう・平貞盛の姿が有る。

 貞盛は元々師輔の従者ずしゃであり、師輔の推挙を得て左馬允に任じられたので、師輔を私君しくんとしている。

 将門と比べれば、仕えるあるじの力は一段落ちたが、その才覚を以て早々と任官していたのだ。

 だが、この時の貞盛は、将門に敗れ、郎党も失い命からがらみやこに辿り着き、師輔を頼って将門の非道を朝廷に訴えようとしている身と成っていた。

 一刻(三十分)ほど後、貞盛は師輔に呼ばれた。

 東の対屋たいのやに廻り、東廂ひがしびさしに控える。家司けいしが、貞盛が参上した旨声を掛けると、御簾みすが巻き上げられ御座おましと呼ばれる室内に師輔の姿が有った。

 貞盛が平伏へいふくする。

おもてを上げよ」

 貞盛が顔を上げると、直衣のうし姿の師輔は、手にしたおうぎで左(てのひら)を軽く叩きながら、寛いだ表情をしている。

「太政大臣様の舘に参って来た。願い出の件、持ち出せるか探って見たが、父上は今、将門を買っておる。と言うよりも、上手く使おうと思っておじゃる。暫し待て。折を見て申し上げる」

やつがれ如き者の為に、中納言様にお骨折りを頂き、まことに申し訳無き次第に御座いまする」

 師輔は権中納言であるが、下の者は、面と向かって『権』は付けない。

「何、麿はそちを気に入っておる。それに、将門のような荒くれ者は好まぬ。

 あのような者、気を付けぬと、いつ飼い主の手を噛まんとも限らぬでのう。たちの悪い犬は気を付けねばならぬ。野に放てば人を襲うようにも成る。じゃが、安堵致せ、種は蒔いて参った。遠からず父上にも、将門を使うことの危うさがお解り頂けるはずじゃ」


 丁重ていちょうに礼を言って師輔の前を辞した貞盛だったが、なぜか心が晴れない。

 左馬允如き者の願いに応じて、権中納言がわざわざ太政大臣に会いに行ってくれたのだ。他人ひとに話せば、何と有り難いことではないか、一生を掛けてご恩返しをせねばならぬと言われるに決まっている。 

 そして、今の貞盛に取って師輔は唯一頼れる相手であり、しかも、太政大臣の忠平を動かすことの出来る存在なのだ。有り難いと思わねばならない。そうは分かっていても、師輔の言葉の端が心に引っ掛かっている。師輔は、将門を犬に例えた。と言うことは、扱いづらい気の荒い犬と主人の言い付けを良く守り懐いている犬との差はあっても、結局、師輔は、貞盛をも犬くらいにしか考えていないということになる。

 それを悲しいと思ったのでは無い。貞盛とて、将門同様、坂東のつわもののひとりだ。

 主人に尻尾しっぽを振って餌を強請ねだっている犬の姿と己を重ね合わせて、何とも言われぬ嫌悪感に襲われたのだ。

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