七拾伍 阿弖流為の血
陸奥に来て早くも二月が経っていた。何やら舘の中が騒々しい。
「お騒がせしております」
千方達に用意された居室に都留儀が現れた。
「これは都留儀殿。いかがなされた」
円座になって身内と話していた千方が、都留儀に視線を移す。
千方は、良く郎党達と円座になって話す。普通なら、千方が正面に坐り、対面して朝鳥ら郎党達が座る処だが、そんな距離で話すことが千方は余り好きではないのだ。すぐに近寄って来て、話す相手の目の前にどっかと胡坐を掻く。改まった場合には、ちゃんと席を保つことは分っているので、朝鳥も何も言わない。
「お邪魔して宜しいでしょうか」
「元より。さ、どうぞどうぞ」
朝鳥が身を避けて、千方との間を空け、都留儀を迎え入れる。
「朝から騒々しいことで申し訳御座いません」
「また、戦でも始まるのですかな? 」
朝鳥が尋ねた。
「いえ、その逆で御座います。北に住む村長のひとりが、長年の説得に漸く応じてくれまして、和議が成り、先日、我等に従うことを約してくれました」
「うん。それは何より。戦わずして和議が成れば、それに越したことは御座いませんな」
朝鳥が頷く。
「で、何か儀式でも行うということですか? 」
と千方。
「我等は大袈裟な儀式など行わずとも良いのですが、朝廷はそう言うことが好きで御座いますので」
「では、多賀城まで出向いて」
「いえ。こたびは、鎮守府将軍でもある陸奥守様が、鎮守府まで出向いて来られることになりまして、着任以来、初めてのことで御座いますよ」
「ほう、陸奥守様がのう…… 」
朝鳥が何か意味有りげに呟いた。
「貞盛様は、胆沢にお出でになったことは無いのか? 」
「都留儀殿が不穏な者達を抑え込んでおりますゆえ、お任せになっているので御座いましょう。鎮守府は今、形だけのものになっております。朝廷としても、刺激したくは無いので御座いますよ」
朝鳥が千方に説明した。
確かに、朝廷としては、出羽で起きた元慶の乱のようなことがこの陸奥で起きては困るのだ。金も人手も掛けずに治まっていれば、それに越したことは無い。
「明日、鎮守府で、朝廷に恭順の意を示す儀式が行われます。吾も参ります。久し振りに蝦夷の正装をして、踊りなども披露致します」
「都留儀殿も蝦夷の装束を着るのか? 」
「はい。蛮族である蝦夷が朝廷の御威光に恐れ入り、恭順を誓い、大和の恩恵に浴することが出来る喜びを、踊り狂って表すという筋書きで御座います。仲を取り持った吾も一緒になって踊り狂います」
屈託の無い表情で、都留儀がさらりと言った。
「何と…… 」
千方主従は顔を見合わせた。
朝廷は自ら汗を流さず、人任せで得た果実のみを美味そうに頬張る。
『いずれ、このつけを支払う時が来るのではないか』
と朝鳥は思った。
何の拘りも無い様子で儀式の段取りを話し続ける都留儀に引き換え、千方主従は複雑な面持ちでそれを聞いていた。特に古能代は、押し黙ったまま、一言も発しない。
「父上」
そう言って入って来たのは忠頼だった。
「郎党共がお待ちしております」
「うん、分かった。では失礼致します」
都留儀が席を立ち出て行く。
忠頼も従って部屋を出た。その時、古能代が席を立ち、忠頼の後を追った。
「忠頼殿」
回廊で古能代が呼び止めた。忠頼が立ち止まって振り返る。都留儀はそのまま広間の方へ歩いて行った。
古能代の意図を察したのか、忠頼はゆっくりと歩を戻した。少し苦笑いをしたような表情に成る。
「父の声は聞こえました。…… これが、我等の実情で御座いますよ。父の本意が分かりません。…… ”蝦夷の誇り” という言葉は、もはや、過去の語り種でしか無いので御座います」
そう言って、忠頼は自嘲気味に笑った。
「本心では有りますまい」
古能代がぽつりと言った。
「吾もそう思いたい。そう思いたいのですよ」
「大きな目的を持っていれば、他のことは忍べる。他人にどう思われようと、そんなことはどうでも良くなる。いちいち感情を荒げるのは、大義を持たぬ凡人のすること。…… そう思わぬか? 」
「義兄上。父には秘めた大義が有ると言われるのですか? 」
「う? 忠頼殿は、お舘様を、只、大和に尻尾を振るだけの、腰抜けとお思いだったのか? 」
「いや、そこまでは思っておらなかったが、もどかしく思うことは…… 」
「本気で戦う訳に行かぬなら、つまらぬ意地を張ってみても仕方が無い。…… 実は吾も、大殿に媚び諂っているようにしか見えなかった父・祖真紀を、ずっと苦々しく思っておった。つい最近までな」
「今は? 」
「分らぬ。我が父ながら、底が知れぬ。お舘様とて…… そう思わぬか? 」
「吾がそう思うことが出来ても、問題は他の者達がどう思うかです。義兄上は、大義があれば他人がどう思おうと構わぬと仰るが、父が大和に尻尾を振っていると思う者が多ければ、それだけ従わせることは難しくなります」
「大和には恭順していると思わせ、蝦夷等には、誇りを失っておらぬと思わせる。それが出来れば良いのだが…… 」
そう言って古能代は腕組みをした。
「出来ると吾は思っております」
「ほう。どんなことを考えておいでか」
「…… 策は幾つか考えておりますが、その中のひとつは、義兄上にお願いせねばならぬことです」
「何? 吾に? 聞こう。吾に出来ることであれば、何でもするぞ」
「…… 実は、申し上げ難いことでして…… 」
「忠頼殿らしくもない。吾は、忠頼殿を、実の弟のように思っておる。遠慮せず申されよ」
「…… 力で全ての蝦夷を抑え込むことは無理です。又、もし我等が強大な力を得て抑え込んだとしても、常に反乱を恐れて、強権を持って支配しなければならないことになります。そんなやり方が長く続く訳はありません。いずれ我等が倒され、陸奥は大混乱の時代を迎えることになりましょう。そんなことにさせぬ為には、同胞の信頼と尊敬を得なければなりません。……
その為のひとつの策として、拠り所が欲しいのです。大和がひとつに纏まり勢力を伸ばしたのは、帝という象徴が有ったからであり、我等が破れたのは、それを持たなかった為、ひとつに纏まることが出来なかったからです。
しかし、敗れる寸前に、蝦夷をひとつに纏めることが出来る者が現れたではありませんか。只、現れるのが遅すぎただけです」
「第二の阿弖流爲になろうと思っているのか? 」
「え? いや、吾は安倍の倅。阿弖流爲には成れませぬ」
「吾に頼みとは? 」
「…… 義兄上…… 吾に、高巳丸を下さらぬか? 」
「…… 阿弖流爲の血が欲しいのか? 」
「はい」
「しかし、汝には男子が何人もおるではないか」
「高巳を後継ぎに致します」
「済まぬが、それは聞けぬ。断る」
「分かっております。二人しかおらぬ子の一人。しかも、やっと親子四人一緒に暮らせることになり、これからという時に、こんなお願いをするのは、吾も気が退けております。しかし、蝦夷をひとつに纏める為には…… 高巳丸の将来については、吾が、しかとお約束致す」
「…… 安倍を割ることにもなるのだぞ。高巳を後継ぎにしようとしたりすれば、郎党達が割れる。そして、汝の子らと高巳が戦うことになる。そのようなことにしとうは無い」
「そのようなことにはさせません」
「もし、汝が突然死んだら、どうなる? 」
忠頼は絶句した。確かに、戦でいつ死ぬかも知れない。また、病で誰がいつ死んでも可笑しくない時代でもあった。
「…… 分かり申した。申し訳御座いませんでした、義兄上。お忘れ下され」
「阿弖流爲は確かに今も蝦夷達の心の中に生きているかも知れぬ。だが、高巳丸も、そして吾も阿弖流爲では無いのだ。そして、時代も状況も違う。
仮に、高巳を当主に据えたとしても、上手く行くとは限らん。血筋に頼ると言う大和のやり方を安易に、なにゆえ、真似ようとするのか?
忠頼殿。蝦夷には蝦夷のやり方が有るはずだ。そして、今の世に合った方法を取らねばならぬ。当主を継いだ暁には、それを実行して行けば良い。どうすべきか。それをもっともっと考えられよ」
「義兄上。お教え肝に命じます」
「いや、要らぬことを喋り過ぎた…… 」




