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七拾 古能代と小鷺

 古能代が遺体を寝かせ再び手を合わせると、娘が近寄って来て同じように手を合わせ、ふところから櫛を取り出して老人の髪を整え始めた。

「都留儀殿の娘御むすめごか? 」

 古能代が聞いた。

 娘は古能代を見て少し微笑み、

「はい」

とだけ答えた。

 古能代は、その後は何を言っていいのか分からず。老人の髪をき、衣服を整える娘の姿をただ黙って見詰めていた。なぜかしら心が騒いだ。


「ふふ、あの時、吾はどうしていいのか分からず、ただ仙老の衣服や髪を整えておりましたが、段々やることが無くなって来て、郎党達が早く来ぬかとそればかり思っておりました。だって、何も言って下さらないんですもの。女子おなごの吾から何を言って良いのかも分りませんでしたから…… そのうち、腹が立って参りました」

「吾も何を言って良いのか分からなかったのだ。今だから申すが、ドキドキしておった」

「まあ! でも怒ったような顔をされていました」

「この顔は生まれつきだ」

「阿弖流爲という方は、きっと女子おなごにはやさしい方だったと思いますよ」

「吾は阿弖流爲では無い」

「でも、そっくりなのでしょうね。実際に会ったことの有る仙老がそう思ったのですから」

「その辺りのことは今でも良く分からぬ」

「吾は、なれが阿弖流爲の生まれ変わりと思いとう御座います」

「首をねられることになるのか? 」

「もう! そのような意地の悪いことを…… なにゆえ仰のるのですか? 嫌いで御座います」

「済まん。そう怒るな」

 古能代が、恐らく他の誰にも見せたことの無いような、情けない表情を作って、小鷺こさぎに詫びた。


 小鷺は初婚では無い。十六歳の時、安倍家の有力な郎党の息子と夫婦となった。しかし、その男は戦いで死んだ。

 その後、都留儀は幾つもの縁談を小鷺に持ち掛けたが、小鷺は首を縦に振らなかった。

 都留儀の娘であり、見目も悪く無く、心持も優しい小鷺を、何とかしようという若い郎党は数多く居た。しかし、小鷺の心を掴む者は居なかった。

 そうしているうちに、小鷺も歳を重ね、当時としてはもう乳母桜と見られる歳になっていた。さすが都留儀も諦めて、舘で安穏あんのんに一生過ごさせてやろうという気になっていたのだ。


 古能代が陸奥にやって来たのはそんな頃のことだった。

 阿弖流爲の血を引いていると確認した時、安倍が陸奥の蝦夷を統率するに当たって、大きな力になるとは思った。だが、うに娘盛りを過ぎた小鷺を無理矢理押し付けようとすることはさすがにはばかられた。どうせなら、若い妹達の誰かを古能代とめあわせたいと思った。

 普段から仙老の身の回りの世話をしていた小鷺を同行させたのは、なんらかの意図を持ってのことでは無かった。言わば、自然の成り行きである。

 古能代を見た仙老が興奮の余り命を落としたのも、予期せぬ出来事であったのはもちろんのことだ。

 だが、その事態に至り、仙老の遺体の前に並んだ二人の姿を目にした時、微かな予感が都留儀の脳裏に走った。

「吾と雄熊は所用が有る。郎党共が来るまで、ここに居てやって下され」

 咄嗟とっさに、古能代に言い残してその場を離れた。雄熊に所用など心当たりはなかったが、父が自分に何か用が有るのだろうと思った。

 特に命じずとも、小鷺は仙老の遺体を放ったまま、その場を離れてしまうような女では無い。自然と古能代と共に残ることになった。小鷺が十代の娘の頃であったなら、都留儀も、阿弖流爲の血を引いているとは言え、よそ者の古能代と二人きりで残すようなことはしなかったろう。そうした積み重ねが、古能代と小鷺を近付ける切っ掛けとなったのだ。

 かと言って、その場で古能代と小鷺が親しくなった訳では無い。

古能代は、

「都留儀殿の娘御むすめごか」

と聞いただけで、後はしかつめらしい顔をして黙っていただけだし、小鷺は、どうして良いか分からず、郎党達が早く来てくれぬかと思っていただけだ。ふたりが接近するには、その後、暫くの時を要した。

 一瞬にして燃え上がる恋も有れば、時を掛けて熟成されて行く恋も有る。古能代と小鷺の恋は、自然さを失わぬ速さで熟成されて行った。 

 しかし、その過程をここで追って行くことはしない。ご了承願いたい。

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