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六拾九 残影

 北国とは言え、じっとしていても汗が噴き出る季節になっていた。狐支紀を捕えて後、平穏な日々が続いており、千方は、夜叉丸、秋天丸と共に、安倍の若者達と、狩や遠乗り、弓や太刀打ちの稽古に明け暮れている。

 そうした日々がそのまま千方に取っては、下野の山郷やまざとに居た時以上の鍛練となっており、夜叉丸、秋天丸には負けん気を起こさせていた。

 夜叉丸、秋天丸も背が伸びてはいるが、それ以上に千方の体は成長を続けていた。


「もうじき、背だけは六郎様に追い越されそうで御座いますな」

 遠乗りから戻った千方を見て、朝鳥がそう呟いた。

 耳聡みみざとく聞き付けた千方が、

「そのほう、時々かんさわる言い方を致すな。『背だけは』とは何か? 見ておれ、そのうち太刀打ちでも五本のうち三本は取って見せるわ」

「ほう」

と朝鳥が嬉しそうな笑顔を見せる。

「その意気なら、これからは遠慮無く打ち込むことが出来ますな」

「今までは遠慮していたと申すのか? 」

「さて、どうで御座いましょうかな? 」

「勝手に致せ! 」

 初めて下野の隠れ郷に行った頃のように千方がむくれているのが、朝鳥には可笑しかった。

 庭で千方と立ち話をしている朝鳥の視線の先に、対屋で子供達と遊ぶ古能代の姿が映っている。

 障子やふすまで覆い隠されている後の時代の建物とは違い、この時代の建物は、舘とは言っても、屋根と柱と床が有るだけのものだ。の姿は襖(これは、衝立ついたてのようなもの)に隠れているが、古能代と子らの姿は遠目にも良く見える。

「六郎様」

 朝鳥が言った。

「うん? 」

 千方は心も成長した。以前のようにいつまでねてはいない。

「陸奥に来て、古能代は変わったとは思われませぬか? 」

「うん。あのようになごやかな古能代の顔、下野では見たことが無かったな。やはり、子らやと一緒におるからであろうのう」

幾重いくえにも重い物を背負っている男で御座います。下野に戻れば、祖真紀を継ぎ、ずっしりと重い物をもうひとつ背負い込むことになりましょう。このまま、この地で安穏あんのんに過ごさせてやりたい気も致します」

「そうよな」

 そう言った千方だったが、元より古能代の心の闇を知るよしも無い。命を賭けた戦いを経験したとは言え、未だ千方の心は恵まれた環境の中に有る少年のそれであり、苦悩という感情とは無縁のところに在った。


てては又居なくなってしまうのか? 」

 日高丸が不安げに古能代に聞いた。

「うん? もう居なくなったりはせぬぞ。ずっと日高の傍におる。ただ、この舘とは別の場所で暮らすことになる」

「別の場所? それはどこ? 」

「下野という所に行く」

かかも一緒か? 」

「ああ、かかも、高巳も一緒だ」

「いつ行くの? 」

「…… う~ん。そうよな。今暫くしてかな? 」

「子らがおりますゆえ、冬になる前には発たねばなりませぬでしょう」

 子供達をあおいでやりながら、が言った。

「下野に参れば、このような舘に住むことは出来ぬぞ。農夫達のような狭い住まいで、かしずく者もおらぬ」

「じきに慣れます。吾はそのようなこと、少しも案じてはおりませぬ。それよりも、親子四人で暮らせることが何よりで御座います」

小鷺こさぎ、長い間、寂しい想いをさせた。許せ」

「はい。寂しゅう御座いました。でも、今、その分まで楽しゅう御座いますから、許します…… ふふ」

 小鷺と呼ばれたが答える。

 困ったように少し眉根を寄せた古能代だったが、黙って小鷺の手を握り、左手でさすった。

 小鷺はその手を強く握り返し、古能代を見詰める。蒸し暑い中、一筋の風が吹き抜けた。

「あれ、涼しいこと」

 小鷺が微笑む。高巳丸が母の膝に坐ろうとした為、二人の手は離れた。

「貴方が初めてここにいらした時のことを思い出します」

 高巳丸の頭を撫で、ひたいの汗を拭いてやりながら、小鷺が言った。

 そして古能代も、その頃のことに思いを馳せた。


 秀郷の許しを得て陸奥に向かった古能代だったが、名取なとりの辺りで国府の役人達に出会った。

 鎮守府将軍に就任した秀郷の木簡を持っていたので、逃げ隠れする必要は無かった。

 だが、秀郷のめいを受けて、何かの目的を持って陸奥に来たものと勘違いした役人が、しきりに多賀城まで案内すると言い張るので困った。

 当時の陸奥守は、秀郷より位階の低い、別の人物が勤めていたので、多賀城に行けば色々と聞かれるに違いない。後ろ暗いことは何も無いが、公務で来た訳ではない。それを説明しなければならない。しかし、そういう面倒なやり取りは、古能代は苦手だ。面倒になってその場を逃げ出してしまった。

 持って来た蝦夷の装束に着替え山中を進んだのだが、今度は胆沢の手前で、安倍の郎党達に出会った。最初、怪しまれたが、阿弖流爲の血を引いている者と分かると、途端に態度が変わった。

「ここで暫しお待ちを」

と言い残して、郎党のひとりが舘に走った。  

 暫くしてやって来たのが、当時、雄熊おぐまと名乗っていた忠頼だった。

「安倍雄熊と申します。父がお会いしたいと申しております。真におそれ入りますが、舘まで同道頂けますか? 」

 高圧的ではない雄熊の態度に、古能代は好感を持った。だが、警戒心を解いた訳では無かった。郎党達や雄熊の様子に細心の注意を払いながら、一行に従って舘の門を潜る。

「さ、上がられよ。父が待っております」

 雄熊に促されてきざはしを上がる。

 広間正面には鋭い目をした都留儀が座っており、両側には郎党達が居並んでいる。

 突っ立ったまま、古能代は郎党達の顔を見回す。もし一斉に襲い掛かって来られた時、まず誰を倒さねばならないか値踏みしているのだ。

「坐るが良い」

 都留儀が静かに言った。

 古能代は、かまち近くにゆっくりと腰を下ろす。

 この位置なら、もしもの時には外に転がり出すことが出来る。胡坐あぐらを掻き、一応、型通り両のこぶしを突いて軽く頭を下げるが、視線は外さない。

「名は? 」

 都留儀が尋ねる。

大道古能代おおみちのこのしろ

「大道? 胆沢じゃの。阿弖流爲の血を引いているとは真実まことか? 」

「五代の祖・杜木濡そまきぬと言う者が、この胆沢より落ちて参ったと郷に伝わっております」

「確かに、阿弖流爲が、娘と娘婿むすめむこの杜木濡の一族を逃れさせたという言い伝えは有る。だが、その行方を知る者は居ない。何かあかしが有るか? 」

「いえ、特に有りません。ただ、大和に降る前の晩に、阿弖流爲が皆を集めて語った言葉は、郷の言い伝えとして残っております」

「語ってみよ」

 古能代は、その時の阿弖流爲の様子、言葉を手短に語り、その後の杜木濡一族の逃避行に付いても触れた。

「ふ~ん。吾が祖父より聞いた話と大きく違う処は無いな。…… 

 古能代殿、祖先の地に良う参られた! 好きなだけ逗留されるが良い」

 厳しい表情を崩し笑顔になった都留儀が、大声で言った。


 それから三日ほどして、雄熊が、一緒に行って欲しい所が有ると古能代に告げに来た。

 雄熊と一緒に舘前の庭に出向くと、都留儀が待っていた。そして、清楚な感じの娘がもうひとり。

 誰だろうと気には成ったが、娘に特に引き合わされるでも無く、一行は裏山に向かった。

 頂上近くに洞窟がひとつ。

「おるか? 」

 都留儀が声を掛け、暫しの時が経った。

 やがて、中から一人の老人が姿を現した。痩せこけて、革をまとった、骸骨が衣類を着たような老人だ。

 だが、身に着けている衣類は小ざっぱりとしていて不潔感は無い。長い杖を突いている。

「これはお舘。このような所へわざわざお運びとは珍しい。いかがなされた? 」

 その細い体のどこに共鳴しているのかと思えるような、か細いのに、なぜか響きの有る声だ。

「体もだいぶ弱っているようじゃな。意地を張らず、そろそろ舘に移ってはどうじゃ」

「意地を張っている訳では御座いませぬ。吾に取ってはここが何よりの棲家すみか。どうぞお構い下さるな」

「そなたの命を案じておる」

「もう、既に長く生き過ぎております」

「…… 実はな、今日は引き合わせたい者があって、連れて参った」

 そう言って都留儀は、従っていた古能代が老人の視界に入るように、体を避けた。

 老人は、最初、無表情に古能代を見た。

 しかし、茫洋と世間を見ているような瞳が、次第に光を増して行く。

 いきなり老人の表情が崩れくしゃくしゃになったと思うと、杖を放り出し、がくっと両膝を突き、両の手を地に突いた。

「頭領! お懐かしゅう御座います。ようこそお帰り下さいました。吾は…… 吾は、長い長い間、ただひたすら、この日の来ることだけを待ち望んでおりました…… お帰りなさいませ…… そして、頭領をたばかったことへのお許しを…… 」 

 それだけ言うと、老人はそのまま突き伏した。異変を感じた都留儀が、老人の両肩を持って引き起こす。老人は既にこと切れていた。その両目には涙が溢れていたが、実に穏やかな死に顔だった。

 古能代には何が起きたのか理解出来ない。

「これは…… ? 」

 都留儀の顔を見てそれだけ言った。

「許すと一言ひとこと言ってやってはくれぬか。きっと、この老人には聞こえるはずじゃ」

「どういうことですか。吾には訳が分からん」

「この老人はな、安倍を救ってくれた倶裳射くもいと言う男の息子じゃ。

 我が祖父の祖父・大鹿と阿弖流爲の部下達の仲を取り持ってくれた男の息子なのだ。

 今の安倍が有るのも、この老人の父・倶裳射のお陰と言っても良いかも知れぬ」

「一体、いつの話なのですか? 」

 古能代がいぶかしがるのも無理は無い。阿弖流爲が大和に投降したのは、古能代が初めて胆沢を訪れた年より百五十年ほども前のことなのである。

 その時十歳であったとしても、百六十歳前後と言うことになる。

「吾が童の頃、この男は既に相当な老人であった。それどころか、驚くことに我が父が童の頃にも老人であったと言うのだ」

「そんな馬鹿な」

 古能代は思わず苦笑いした。

にわかには信ぜられぬことであろうのう。吾とて、童の頃に会うておらなんだなら、恐らく信じまい」

「人とは百年生きることさえまれに御座います」

いにしえの大和の大王おおきみの中には、何百年も生きた者が何人もおると、大和人やまとびとから聞いたことが有る」

「作り話で御座いましょう」

「であろうな。だが、この老人に付いて、吾は作り事を言うてはおらぬ」

「お舘が偽りを申されているとは思いませんが、人が百五十年以上生きるとも信じられませぬ」

「吾は元より、誰も、古能代殿のことに付いて、この老人に話してはおらぬ。ところが、そなたの顔見た途端、

『頭領! お懐かしゅう御座います』 

と申した。

 幼い頃に見た阿弖流爲の顔とそなたの顔が、そっくりだったのであろう。倶裳射は、我が祖・大鹿から得た大和の大規模侵攻に付いての情報を、いち早く阿弖流爲に伝え大勝利に導いた。そして、大鹿と阿弖流爲の元部下達の間を取り持ってくれたことで安倍の恩人でもある。

 だが、倶裳射は、大鹿から聞いた話だと阿弖流爲に告げなかったことを、死ぬまで悔やんでいたと言う。

 恐らくこの老人は、倶裳射から、その悔いを繰り返し聞かされていたのであろう。それが心にみ着いて、いつか己の想いと区別が付かなくなってしまったのかも知れぬ。父である倶裳射の悔いを通して、父と一体となっていたのではないかな。恐らくそれが、果てしなく生き続ける為のかてとなっていたのだ。

 或いは、生き続けることはこの老人に取って苦痛でしか無かったのかも知れぬ。そなたの顔を見た途端その苦痛から解き放たれたのだ。…… だから、信ぜずとも好い。一言ひとこと許すと言ってやってくれ」

「名は? 」

 暫く黙っていた古能代が、やがてそう言った。

「分らん。吾は『老人』と呼び掛けていたし、話の中では、裏山の老人と言っておった。父や祖父は恐らく名を知っていたのであろうが、名を呼んだのを聞いたことが無い。郎党達の中では『仙老』と呼ぶ者が多い」

 遺体に歩み寄り、跪いて両手の指を組み、目を閉じて一度項垂(うなだ)れた古能代が、老人を抱き起こす。

「すべて許す。…… だが、そもそも、そこまで悔いるようなことでは無かった。なれの父のお陰で巣伏では勝てたのだ。なれ達親子にそこまでの悔いを抱かせた、この阿弖流爲にこそ罪が有った。許されよ」

「良う言うて下された。礼を申す」

 都留儀が古能代に向かって頭を下げた。

 そして、

「吾と雄熊は所用が有る。郎党共が来るまで、ここに居てやって下され」

 そう言い残すと、都留儀は忠頼を連れて下山して行った。

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