六拾 日高見の伊吹 1
千方一行は多賀城を立ち、東山道を北上した。そして、平泉から西に入り、衣川を目指した。
川沿いに辿って行くと北股川と南股川が合流する地点に至る。この合流地点より下流を衣川と呼び、それがそのまま、この辺りの地名と成っている。そして、合流地点の向こうは三方を山に囲まれた盆地となっている。
北股川の川辺に五~六人の人影が在った。
「迎えが、あれに来ております」
人影の在る方向を指差して、古能代が千方に言った。
「なにゆえ、我等が来ることを知っておるのか? 」
「大殿が陸奥守様への便りに書き添えて下さったようです」
と古能代が答える。
「陸奥守様が使いを出して下さったとしても、いつ来るか迄は分かるまい」
「常に見張りを出しております」
「そうか…… 。はいっつ! 」
と声を出した千方が、馬の腹を蹴り、人影の有る方に向って駆け出した。古能代が続き、夜叉丸、秋天丸が続く。朝鳥は一番後ろからのんびりと後を追った。
男達の傍まで近付くと、千方は手綱を思い切り引いた。少し前立になって馬が嘶く。古能代、夜叉丸、秋天丸が轡を並べて馬を止めた。
「古能代殿、お懐かしゅう御座る」
三十を少し過ぎた年頃の厳つい顔をした男が、古能代の傍に馬を寄せて来て言った。坂東の兵と殆ど変わらぬ風体をしている。顔は厳ついが、澄んだ目をしている。
「おお、雄熊殿。立派になって…… 見違えたぞ」
普段余り表情を変えぬ古能代が、懐かしさを表して言った。
「今は安倍忠頼と名乗っております」
「アベ ノ タダヨリ…… そうか。ああ、こちらが、前鎮守府将軍様のご子息、六郎様だ」
「千方じゃ。世話を掛ける」
「良うお出で下されました。山中の佗び住まいでは御座いますが、ゆるりとご逗留下さいませ」
川を舟で渡り、山裾を回り込んだ辺りに、竪穴式住居の村落が広がり、その中心に掘立式の舘が有った。塀は無い代わりに、舘の周りは木々に囲まれている。郷人や郎等風の男達が、一行に気付くと慌てて道を避け頭を下げる。
忠頼を先頭に千方一行、後ろから忠頼の郎等達が続いて舘の敷地に走り込んで行く。
「今帰ったぞ! 古能代殿が着かれた。日高丸! 高巳丸! おるか? 」
馬から飛び降りた忠頼が奥に向って声を掛けると、童が二人走り出て来た。しかし、年少の童は見知らぬ者達を見て、後から出て来た女の後ろに隠れ、袖の端を掴んだまま少し顔を出して覗いている。年上の童は、突っ立ったまま古能代の顔をまじまじと見ている。
「日高丸! 忘れたか父を…… 」
忠頼がそう言って古能代の肩を押し、前へ突き出した。
「父~っ! 」
そう叫ぶなり、日高丸が走って来て、そのまま古能代の胸に飛び付いた。その様子を見ていた下の高巳丸だが、やはり事態が呑み込めないらしく、驚いたように日高丸の行動を見ているだけだった。無理も無い。古能代がここを離れ下野に帰った頃は、物心すら付いていなかったのだから。
「高巳。汝は覚えておらんだろうが、あの方が、汝の父様です。さ、行きなさい」
そう言って母に押し出された高巳丸は恐る恐る二~三歩前に歩き、立ち止まって忠頼の顔を見た。
「ふふ、はっはっは」
忠頼は高巳丸に近寄ってひょいと抱き上げ、古能代の空いている左腕に預けた。高巳丸は間近に古能代の顔を見詰め、やがて嬉しそうに笑った。
「変わり無いか? 」
古能代が女に言った。
「お帰りなさいませ。見ての通り恙無く過ごしております」
女は少し顔を赤らめ、頭を下げた。地味目だが、蝦夷の女にしては華奢で清楚な感じを持った女だ。坂東辺りで見掛けても人目を惹くような品の良い蓬色の小袖を身に着けている。
上の日高丸は母似で目鼻立ちは小さく、下の高巳丸は古能代似で、しっかりとした顎と濃い眉を持っている。
「さ、古能代殿は対屋で、姉上と子らとで寛がれよ。御曹司は吾が接待申し上げるゆえ」
「お舘様に、まずはご挨拶せねば…… 」
「良い、良い。父上は今出掛けておる。戻ったら後で声を掛けるゆえ、まずは、姉上と子らと過ごされるが良い」
「古能代。せっかくのご厚意じゃ。そう致すが良い」
そう千方が言った。
「はっ。ではお言葉に甘えて、そうさせて頂きます」
古能代が千方に向って頭を下げた。
忠頼に案内されて部屋に通ると、正面の席には、狩衣を着た六十年配の野性的な面構えをした男が座っており、下座には十数人の直垂姿の男達が両側に分かれて居並んでいる。
上座の男の顔は、揉み上げから顎、鼻の下まで濃い髭で覆われており、目も鋭い。
「父で御座る」
掌を上に、正面に向けて手を伸ばした忠頼が言った。
「え? お父上はお出掛けと、先程…… 」
千方が怪訝そうな顔で忠頼を見る。
「久し振りのことゆえ、古能代殿には、まず、姉上や子らとゆるりとして貰えとの父からの指示が御座いました。折を見て、父が戻ったと、のちほど伝えに参るつもりです」
「お気遣い忝い。古能代に代わり御礼申し上げます」
「いえ、古能代殿は身内|ゆえ、御曹司にそう仰られては、却って恐縮致します」
千方一行が入って行くと、正面の男は立ち上がって上座を降り、右側に並ぶ郎等達の前に席を移した。それに伴って、左側の席に並んで居た数人の郎等達も、千方一行の後ろを通り、右側の席に移動する。
「ふ~ん」
朝鳥がそう声を出した。
千方が当主と向かい合うように席に着き、その後ろに他の者達が坐る。
「このような山里までようお出で下されました。安倍都留儀と申します」
両の拳を床に突き、軽く頭を下げた。目の鋭さを消し、柔和な表情を作っている。
「藤原秀郷が六男、六郎・千方と申します。こたびは、古能代に着いて参りご厄介をお掛けすることと相成りまして…… 」
「何の、我が家の婿・古能代の主筋に当たる、前鎮守府将軍様のご子息にご来訪頂けるとは、光栄に御座います。碌なお持て成しも出来ませぬが、どうかごゆるりとご滞在下さいませ」
「お世話をお掛け致す。しかし、陸奥とは良き所に御座いますな。山は深く水は清く、荒々しさと優しさを同時に感じるような、何とも心を洗われる景色です」
「ほんの僅かな夏の間だけの景色に御座います。冬ともなれば、雪に埋もれて只ひっそりと春を待つのみ。人も獣も、神々の怒りを買わぬよう、只ひっそりと息を潜めて、生かされていることに感謝して過ごしております」
「我等より、神に近いところに住んでおいでのようですね」
「そうかも知れませぬ。人の力などと言うものが、いかに小さいものであるかと言うことに付いては、或いは、大和の方々より分かっているのかも知れませぬな」
「しかし、この舘を始め、人里の景色は坂東と何ら変わらぬのには驚きました」
「左様で御座いますか? ほんの片田舎で御座いますよ。手前は坂東には行ったことは御座いません。多賀城くらいで御座いますかな、行ったのは…… 」
「一度お出で下さい。兄・千常もきっと歓迎致すことと思います。古能代達の住む郷にもご案内したいものです。古能代も近々郷長と成るはずですので」
「いえ、手前はもう遠くまで旅したいとは思いません。ですが、ここにおる忠頼には、坂東も京も見させてやりたいとは思うております」
千方と都留儀がそんな会話をしている時、郎等がひとり慌ただしく表れ、縁に膝を突き、頭を下げた。
「騒がしい、何事か? 」
都留儀が言った。
「はっ。狐支紀が五十名ほどを率いて久利化施村を襲ったとのことに御座います」
「忠頼! 」
「はっ」
「直ぐに参れ! 出来れば生きて捕えよ。それから、もし古能代が気付いても同行させてはならぬぞ、良いな」
「はっ。それは心得ております。帰られて早々に姉上にご心配をお掛けしとうは御座いませぬゆえ、行くと言っても断ります」
「うん。ならば急げ」
「はっ。かような仕儀にて失礼致す」
千方に挨拶し、郎等達を連れて忠頼は出て行った。
「五十名の賊を捕えるには、少なくとも百五十は必要と思いますが、そのような人数、直ぐに揃えられるので御座いますか? 」
驚いた表情で千方が尋ねた。
「いや、既に近くにおる兵共が賊の捕縛に当たっておると思いますので、それほどの人数は必要有りません。それよりも、飛んだお騒がせを致しまして申し訳御座いませぬ」
「いえ、何かと大変のようで…… あ、我が郎等達をご紹介しておきます。これにおるのが日下部朝鳥。父、兄、麿と仕えてくれております」
「日下部朝鳥に御座います」
「それに、大きい方が小山武規、隣が広表智通。宜しくお願い致します」
都留儀が頷いたが、夜叉丸と秋天丸はきょとんとしている。
「あははは。いや、申し訳御座いません。いえ、この二人、元は夜叉丸と秋天丸と申しまして、実は、古能代と同じ郷の者に御座います。元服を機会に我が郎等と致しました。
普段は幼名で呼んでおりますので、己の名を呼ばれてもピンと来ないようで御座います。今、郷に住まいおりますこともあって、名を付けて以来そう呼んだのは、初めてのことに御座いますゆえ」
「ふっ、ふぁっはっは、左様か。祖真紀殿の郷の者か…… お取立て頂いたということか、良かったのう」
「よ、宜しくお願い致します。ヒロオモテの…… え~ 」
秋天丸は、直ぐには思い出せない様子。
「ははは。良い良い。夜叉丸と秋天丸であったな。ここでは、それで参ろうぞ。だが、坂東ではそうも行かんであろうから、己の名くらいは覚えておけよ」
「恐れ入ります」
秋天丸は、ばつが悪そうに言った。
「夜叉丸に御座います。宜しくお願い致します」
この度ばかりは、夜叉丸の方が要領が良かったようである。
「お舘様。先程の騒ぎのことに御座いますが、野盗で御座いますか? 」
朝鳥が都留儀に尋ねた。
「いや、ことを荒立てようとする者達がおりましての。一部の者は説得に応じたのですが、狐支紀と申す者が応じずにおりました。
久利化施村の長が我等の説得に応じたのを、裏切りと受け取って襲ったので御座いましょう。
放っては置けませぬ。騒ぎが拡大すれば鎮守府が介入して来ることになります。そうしとうは御座いません。納めるべき物を納め、騒ぎを起こさぬ限りに於いて、奥六郡を我等自身の手で治めることを認められている訳ですから、何としてもその状況を崩す訳には行きませぬ。騒ぎを起こす者は断固討つしかないのです」
「成る程…… 」




