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伍拾七 「貞盛朝臣児干を取る」

 貞盛から全員がうたげに誘われたが、古能代が辞退し、それに伴って夜叉丸と秋天丸も辞退した。

 千方は、せっかくだから受けるように古能代を説得しようとしたが、ほっとしたのは朝鳥である。 

 千常からのめいが有るので、気を緩められないし、万万が一にもそんな事態が起きることは何としても避けたかった。


 宴の席では、貞盛は、昼間とは打って変わって愛想良く振る舞った。 

 千方に幼少の頃の話を聞いたり、朝鳥とは、秀郷の近況、北山の戦いの昔話などをしたりしながら、陽気に盃を重ねた。

 千方は興味深げに二人の話を聞き、あれこれと質問をしていたが、将門、最期の場面に付いて尋ねた時、ほんの一瞬、貞盛と朝鳥の間に緊張が走ったことには全く気付かなかった。

「千方殿。戦場というのものはな、混乱しておる。皆、極度に緊張し普段とは別人のようになっておるものじゃ。多くの矢が飛び交う中、或いは、将門を殺したのは、麿の矢では無く、流れ矢であったかも知れぬな」

 少しお道化どけた様子で貞盛が言った。

「何の! そのようなことは絶対に御座いませぬ。将門を殺したのは、たいらの朝臣あそん・太郎・貞盛様の矢であると、手前主人も見届けておりまする」

 朝鳥が向きになって否定した。

「ふふ。そんなことも有るかも知れぬということよ。…… これは絶対に他言無用じゃが、実は麿は将門が怖くてな。射た瞬間目を瞑ってしまったので、当たったかどうか見ておらんのよ。ふっはっはっは」

 貞盛がいかにも陽気そうに笑った。

「おたわむれを。陸奥守様がこのように可笑しきことを申されるお方とは、この朝鳥全く存じませんでした」

 そう言った後、朝鳥は素早く話題を変えた。

「六郎様。手前聞いた処では、今でもそうですが、陸奥守様は若き頃、それはそれは良き男振りで、みやこに在った頃は、あちらの姫、こちらの姫からのふみが引きも切らず、昼はお勤め夜は姫様方のお相手で眠る間も無かったとのことで御座います」

「これ朝鳥、見て来たようなことを申すな。千方殿が本気にするではないか」

うらやましい限りに御座います」

 千方が言った。

「ふん。らちもない。噂じゃ、噂。たれが言い出したものであろうかのう? 」


他人ひとに褒められた時は、なにゆえ褒めるか考えよ。必ず思惑が有る』

 千方は祖父・久稔の言葉を思い出していた。 

 とすると、朝鳥の思惑とは何だったのか考えてみたが、分かりはしない。只、朝鳥が、なぜか将門の話題から離れようとしたことにだけは気付いた。

 一方朝鳥は、貞盛が根は真面目で、器用そうに見えて案外不器用なところが有る男だと思った。そして、あの北山の戦いで見た郎等姿の男が古能代であり、将門を殺したのも古能代であると確信した。

 その秘密に貞盛は今も苦しんでおり、秀郷と千常は、例え古能代を殺してでもその秘密を守ろうとしている。北山で見た男が古能代であること、なぜか祖真紀親子がそれを隠そうとしていたこと、喉に物がつかえたような千常のめいの意味、それらが繋がって全てが理解出来た。


 千方主従の挨拶を受けた時、古能代の顔を見て、居室に戻った貞盛は苛立っていた。

 爪を噛みながら秀郷の思惑が何なのかあれこれと考えていたが、結論は出ない。

 貞盛はいつか、将門に語り掛けていた。


『小次郎。なれは天下の謀叛人として死に、麿は今、鎮守府将軍、陸奥守の職に在る。なれは敗れ、麿は勝者と成った。だが、果たしてどちらが幸せ者なのであろうかな? 

 本当の麿は、あの時北山で、なれと共に死んだのかも知れぬ。今の麿は何か仮初かりそめの命を生きているような心持ちなのだ。己が己で無いような不安にいつもさいなまれている。そして、時々それに耐えられなくなり、周りの者に、必要以上に厳しく当たってしまうのだ。あれほど他人ひとの思惑に気を使っていた麿がだ。嫌われておろうな。分かっておる。分かっているがどうにもならぬのだ。

 みやこではなれに、

他人ひとの気持ちを考えろ』

と、偉そうに説教もしたな。笑えるわ。

 みやこに在った頃のまま死んだのであれば、なれもさぞかし無念であったろうが、短い間とは言え、なれは、やりたいことをやり、なれらしく生きたではないか。こころざし半ばで無念の思いで死んだに違い無いとひとは言うが、みかどとしてまつりごとを長く行うなどと本気で考えておった訳ではあるまい。もし仮に、そんなことに成っていたとしたら、それこそなれは、今の麿以上に鬱々とした日々を過ごさねばならなかったろう。まつりごととは、腹の探り合い、駆け引きだ。そんなことが出来るようななれではなかろうが…… 。

 なれが出来る駆け引きは、戦場での駆け引きだけだ。興世王辺りに良いように操られるのが関の山だったろうよ。 

 なれは汝らしく生き、良い時に死んだのだ。今でもなれの武名は坂東中に鳴り響いており、密かになれを慕う者も多いと言う。人の人生とはその長さでは無いな。生きざまだ。麿は未だ悔い多く生き延びておるわ。

 やれる限りのことをやったのだから、なれに悔いは無かったと麿は思うておる。

 だから、みやこの公卿らが、なれの祟りにおびえ、やれ祈祷だの、やれ供養だのと騒いでいるのを見ていたら、可笑しくて仕方無かったぞ。もちろん外面そとずらは神妙を装ってはおったがな。

 なれには、あの時の麿の声が届いておったか? 

まことなれが怨みを残し怨霊となっているのであれば、まず麿を殺せ。将門を射殺いころしたのは平貞盛であると世間も言うておるであろう』

 そう言ったのが、なれには届かなかったのか? 麿はまだ生きておるぞ。 

 尤も、なれは己が何故なにゆえ死んだのか分かっておらぬかも知れんな。何しろ、確かに麿の放った矢を払い落したと思った瞬間に死んだのだからな。分からぬであろう。だが、分からぬままで良い。なれを殺したのは麿だ。

 麿もいずれそちらに行く。だが、小次郎。もう、追い回わすのはやめてくれよ。なれは本当にしつこいからな。それだけが案じられる。

 それにしても、なれ大虚おおうつけじゃ。

 戦場でかぶとを脱ぎ捨てるなどといううつけ者は、どこを探してもおらぬぞ。なれがいかに強くとも死ぬに決まっておろうが…… 。いずれまみえる時には、

大虚おおうつけめが! 』

と罵ってくれるわ。なれは麿を 

『臆病者めが! 』

と罵るであろうな。

 小次郎。なぜか知らぬが、今、麿は、なれに会いたいぞ。そして、笑って話したい』


 将門に語り掛けているうちに、貞盛の心は落ち着きを取り戻し、ほんの少し、昔の己に戻れたような気分になっていたのだ。そんな訳で、宴の席に現れた時の貞盛は落ち着いていた。


 翌日千方達は、貞盛の郎等の案内で多賀城内を見て回った。

 多賀城には実に色々な者達が住んでいる。

 貞盛の郎等、国府の役人、それらの従者ずさ、医生など。鎮兵、元浮浪人などの入植者、自ら進んで入植した坂東の土豪達も居る。職人、蝦夷との交易を生業なりわいとする者など雑多だ。

 国衙や国司くにのつかさの住む舘を除いては、建物は殆ど竪穴式住居である。その茅葺屋根かやぶきやねわらボッチのように広がっている。

「政庁をご案内します」

 郎党が先に立って大路を北に進む。南門は高見に位置しており、角に石を埋め込んだ広い階段を上がって行く。そして南門を潜り、正殿、脇殿を見て回った。

 国衙の正殿はそれほど大きくは無い。郎等に寄ると、この正殿前の広場では、蝦夷が朝廷に忠誠を誓う儀式が行われるのだと言う。

 陸奥守はみかどの代理として正殿内から謁見し、貢物を受け、その見返りとして下賜品を与える。言わば、儀式化された交易だ。


「冬はさぞかし寒かろうな」

 千方が郎等に尋ねた。

「そりゃもう、この辺りはまだましですが、更に北へ行くと、坂東の冬とは比べ物になりませぬ。

 雪が積もって、辺り一面埋まります。でも、案外雪の中というのは寒く無いもので御座いましてな。雪穴を掘ってその中に居る方が暖かいので御座るよ。坂東のからっ風の方が骨身にこたえるようになります」

「古能代。胆沢いさわという所はもっと北であろう」

「はい。山中に出たりすれば、一面真っ白で方向も分からなくなります」

「良くそんな所で生きられるものじゃな」

「ひとはどんな所ででも生きまする。けものが居る限り人も生きて行けるので御座いますよ」

 そう言ったのは朝鳥だ。

「古能代。胆沢に行くのか? 」

「その前に、衣川ころもがわという所に参ります。そこに妻子がおりますゆえ」

「衣川か…… 古能代も父親なのだな。子は幾つになる? 」

「上は七歳、下は五歳になります」

「全く知らなかったな。…… 早く会いたいか? 」

「はい」

「親とはそうしたものなのであろうな、本来」

 千方がぽつりと言う。

「本来? …… 大殿もそうであったかどうかとお考えですか? 」

 そう言ったのは朝鳥だった。

「う? そういう訳ではないが…… 」

 珍しく、千方が曖昧な態度を見せる。

「親とはそうした者で御座いますよ。大殿もきっとそうだったに違いありません」

「済まぬ。朝鳥は子を失っておったのであったな」

「お気遣い頂きまして有難う御座います。ですが、お気遣いには及びません。悲しみは次第に薄れて行くもので御座います。そして、良き思い出のみが心に残っておりますゆえ」 


 丸一日城内を見て回り、千方一行は夕刻、貞盛の舘に戻った。

「いや、本日はたて殿にはお忙しい処をわざわざ我等の為に、丸一日潰してご案内を頂き、誠に有難う御座った。下役の者でも良かったのに、一の郎等であるたて殿にご案内頂いたこと、陸奥守様の格別なご配慮と思うて、我があるじ・千方も感激しております」

 戻り掛けた館諸忠たてのもろただを追って回廊に出た朝鳥が、丁寧に挨拶した。

「何の、さきの鎮守府将軍様のご子息とあらば、我が主に取っては賓客。当然のことで御座るよ」

「お心遣いかたじけない。舘殿も色々とご苦労の多いことで御座ろうな」

「殿のご機嫌を取りながら色々やって行くのは、中々、骨の折れることでござるよ。ははっは。…… 単に麿のうつわが小さいということでしか無いがな」

 館諸忠はそう言って自嘲気味に笑った。

 その言い方に、朝鳥は違和感を覚えた。朝鳥は、こんな辺境での勤めは大変だろうと言う意味で言ったのだが、諸忠が答えたのは、貞盛に仕えることの大変さに付いてであったからだ。

『冗談混じりとは言え、赤の他人である自分にそんなことを言うということは、この男、貞盛に対し、相当の不満を持っているか、或いは怨みを抱いているのではないか? 』

と直感的に感じたのだ。

『単に、一の郎等の気遣きづかいの大変さを、同じような立場にある自分に、冗談めかして同意を求めただけなのだろうか? しかし、己であれば、決してそんな真似まねはしない』

と思った。


 貞盛には異常行動の逸話が有る。陸奥守・鎮守府将軍の任に就く前の丹波守であった頃の説話として、異常な行動が今昔物語集(巻二十九の二十五話 「貞盛朝臣児干を取る」)に収録されている。


 貞盛は、丹波守在任中に任国で悪性のかさを患った。瘡とは 皮膚の出来物、れ物。又は傷の治りぎわに出来る瘡蓋かさぶたのことを言う。

 さる名医をみやこから呼び、診させた処、胎児のきもで作った児干じかんという薬でないと治らないと告げられた。しかも、作られてから日が経ったものでは駄目だと言う。

 医師はそれが矢傷によるものだと見抜いたという。児干を求めていることを絶対に世間に知られてはならないと貞盛は思った。  

 これは、今昔物語集には全く書かれていないことだが、

『絶対に世間に知られてはならぬ』

と貞盛が思った理由は、将門の怨念に因るものではないかという噂が立つことを恐れたと私は推測する。

 現在の我々の感覚からすれば、胎児のきも(内臓)で薬を作ることなど非倫理的で、人命尊重という立場から絶対に許されない行為だと言うことになるだろうが、当時、貞盛ほどの身分の者の命を救う為に使うのであれば、奴婢ぬひや身分の低い者の胎児を犠牲にするくらいのことならば、さほど非難されることでは無かったのではないかと思える。

 貞盛自身がそう思っていなくとも、将門の祟りを恐れるみやこの公卿達にその噂が伝われば、巻き添えを食うことを恐れて、貞盛の昇進に二の足を踏むという恐れが有る。

 それが、貞盛が

『絶対に世間に知られてはならぬ』

と思った理由ではないかと思う。もちろん、この話が実際に有ったことと仮定した場合の憶測ではある。

 世間に噂が漏れることを恐れた貞盛は、 息子の左衛門尉さえもんのじょう(息子達の内の誰なのかは不明)の妻が丁度懐妊していたので、その子をくれと頼む。

 この辺が当時としても異常と思われる部分であったのだろう。左衛門尉は仰天し、茫然としたが、父のげんに背くことも出来ず承知する。

 しかし、医師の許を訪ね、泣く泣く子細を語り、良い策は無いものだろうかと相談する。

 医師も責任を感じ、自分の血を分けた者のきもでは薬にならないと貞盛に告げてくれた。このことからも、胎児のきも(内臓)で薬を作ること自体が世間の批判を浴びることでは無かったことが分かる。

 困った貞盛は急いで妊婦を探すよう家来に命じる。

 炊事女が妊娠していると分かり、早速その腹を割ってみたら女児だった。医師は男の子のきもでないと効かないと言うので、それを捨てさせた。何ともおぞましい話だ。

 そこで、また改めて探し求め、男児のきもを得ることが出来、貞盛は命を取り止めたという。それが誰の子だったかということには、作者は全く関心を払っていない。

 そして、この物語の山場はその後に有る。 

 貞盛は、このことが朝廷に知られることを恐れて、医師を待ち伏せて殺すよう、左衛門尉に命じるのだ。

 既に陸奥守の内示を受けていた。矢傷が元で死に掛けていたことを知られると、貞盛の武勇に期待していた朝廷に不安感を与え、取り消されることを恐れたと物語は言う。

 回復したのであれば問題無いと思うのだが、この辺のことは分からない。やはり、作り話で、それらしい理由付けをしただけと考えることも出来る。

 左衛門尉は軽く承知して急いで出掛けたのだが、そのまま医師の所へ行ってそのことを告げた。医師はびっくりして左衛門尉に助けを求める。

 左衛門尉は、医師を送る為に京まで同行する判官代ほうがんだいを馬に乗せ、自分は徒歩で山越えをするよう医師にアドバイスし、妻と胎児を助けてもらったので恩を返すことにしたと告げる。医師も手を擦り合わせて涙を流した。

 当時の人はこのくだりで感激したのだろうか?  

 この物語の中で、この事件には無関係で、何の罪も無い判官代は、実際、医師の身代わりに殺されてしまうのだ。

 何が善で何が悪か、それは絶対的なものでは無く、時代背景に大きく影響される。

 物語の最後で作者は、

貞盛朝臣さだもりあそんは、わが子の妻の懐妊している腹を裂いて胎児のきもを取ろうと思ったとは、何というこのうえなく残酷な心ではないか」

と貞盛を批判している。

 作者が『残酷な心』と言っているのは『胎児のきもを取ろうと思った』ことでは無く『“わが子の妻の” 胎児のきも』なのである。

 そして、  

『これは貞盛の第一の郎等の館諸忠の娘が語った話を、聞き継いでこうして世の中に語り伝えていると言うことである』

と締め括っている。


 館諸忠が実際見聞きし、それを娘に語ったのであろうか? もしそうだとすれば、諸忠は貞盛に不快感を抱いていたということになる。

 それとも、架空な話を書いた作者が物語に信憑性を与えるために、一の郎等で在った館諸忠の娘を持ち出したものなのだろうか? いずれにしても、当時の貞盛は、人格高潔な人物とは思われていなかったのではないか。少なくともそう思われる。


 翌日は一日のんびりとした後、四日目の朝、千方一行は、貞盛の見送りを受け衣川に向けて旅立った。

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