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伍拾伍 貞盛の奇策

 承平じょうへい六年(九百三十六年)九月七日。護、将門、真樹をみやこの検非違使庁に召還する太政官府が、近衛府番長このえふのつがいのおさ 英保純行あほのともゆき英保氏立あほのうじたち宇自加友興うじかのともおきらによってもたらされ た。


 この間の事情を説明する為には、貞盛の視点を離れる必要がある。お許し頂きたい。


 将門は直ぐさま上洛し、十月十七日には検非違使庁で尋問を受け、朝廷はこれを微罪とした。

 将門が迅速に上洛し、大した罪にならなかったのには、二つの理由があった。

 ひとつには、敵愾心が無かったとは言え、下野国府に上総介を追い詰め国庁を囲んだのだ。謀叛の疑いを掛けられ兼ねない。 

 そこで将門は、良兼軍が去った後、嫌疑を掛けられた場合の証拠として、この戦いが良兼に寄り仕掛けられたものであることを、下野国守・大中臣完行おおなかとみのまたゆきに文書で証明して貰った上引き揚げていたのである。

 もうひとつは、将門の主筋に当たる藤原忠平ふじわらのただひらの存在である。 

 忠平は、摂政、左大臣に加えて、承平じょうへい六年(九百三十六年)より太政大臣だじょうだいじんをも兼ね、朱雀すざく天皇の伯父として、権力の頂点を極めていた。

 承平じょうへい七年正月二十二日に左大臣を兄・仲平なかひらに譲るまでの間、最高位の三職を独占していたのだ。

 左大臣は太政官の最高位であり、太政大臣は位人臣くらいじんしんを極めた者の就く最高の名誉職。そして、摂政は元服前の幼いみかどの代理として決済を行う役職だ。

 つまり、左大臣が太政官を指揮して作り上げた奏上文を、みかどの実質的な代理として摂政が決済する。その両方の職に在るということは、朝廷の意向とは、忠平の意向そのものなのである。


 田舎から出て来て家人けにんの端に連なっている無冠の若者などと直接言葉を交わすことは無い。

 官位を得た時、手柄を立てた時など、目通りをして、ひとこと言葉を掛けるのみである。それも、直接ではない。家司を通しての会話である。

 例えば、庭に片膝突いて控える者が礼の言葉を大声で言上ごんじょうしても、きざはしの上に立っている忠平は、その時は決して反応しない。家司が同じ言葉を繰り返して始めて頷く。貴人は無位無官の者と直接言葉を交わすことは無いのだ。

 言上する者はまず、

「家司の殿にまで申し上げます」

と前置きしてから発言しなければならない。

 まるでコントだが、しもじも々の事情にうとい貴人が的外まとはずれな応答をして、権威をそこなうことを恐れてのことだったのだろう。

 そんな訳で、将門は、忠平の家人であったと言っても、直接言葉を交わしたことは無い。しかし、何度か目通りはしている。

 数多い家人のうち、無位無官の者のことなど、普通は覚えていない。直前に家司から、目通りの理由を説明され、一言二言ひとことふたこと、言葉を掛けて直ぐ戻り、次の用件の場に移動するだけだ。今で言えば、超売れっ子タレント並みの忙しさである。

 しかし、忠平は将門のことを覚えていた。


 新たに、勤めることとなった若者達五~六人に目通りを許した時のこと。一番田舎臭い格好をして、緊張の余り口上こうじょう真面まともに述べられなかった男、それが将門だった。『これは、番犬くらいにしか使えぬ者だな』

 そう思って、むしろ、みやこ官人つかさびととしては使えぬ男という意味で、印象に残ったのだ。

 将門が、賊を斬って手柄を立て、目通りを許した時にも、その印象は変わらなかった。


 前常陸大掾さきのひたちのだいじょう・源護からの訴えに付いて、家司が報告して来た時のことである。

「源護が訴えて来ている者は、当家の家人けにんにて、下総しもうさに住いおります平将門という者に御座います」

「何? 当家の家人…… まずは、秘かに調べさせよ。喚問するかどうかはその後で決める」

 役人では無く、私的使用人を坂東に派遣して調べさせたところ、仕掛けたのは護の息子達で、奇襲を掛けようとして見破られ、逆襲を受け本拠地まで焼き払われたと言うことが分かった。

「己の仕出しでかしたことの始末を朝廷にさせようというのか。源護。虫の良いことを…… 暫く放って置け」

 その後間も無くして、今度は、将門を討つべく軍をおこした平良正をも、将門が打ち破ったという報せが忠平の許にもたらされた。

「将門。思いのほか強いのう。みやこでは、到底使い物にならんと思うておったが、坂東でなら案外使い道が有るかもな…… 」

 坂東は、朝廷に取って支配しずらい地域である。将門を上手く使えば、坂東を安定して支配することに役立つかも知れないと思った。

 隠れて色々やるような男ではない。少し目を掛けてやれば、喜んで働くだろう。これは、坂東を安定化する絶好の機会かも知れない。忠平はそう思った。


 将門は大結おおゆい馬牧(現・茨城県結城郡八千代町大間木)と長洲ながす馬牧(現・坂東市長須)の管理をしていたが、改めて別当べっとうに任じ、移牒いちょうつかわすよう手配させた。

 直ぐに、将門から礼状が届いた。陳腐な表現で礼の言葉を重ねた上、太政大臣様の為に力を尽くす所存と結んでいる。 

 下野との国境くにざかいを超える際、躊躇した将門だったが、仕掛けて来たのは良兼の方であること、下野に入ったのも良兼軍が先であること。このことが、弁明すれば分かって貰えると思う根拠ともなっていた。

 一方、囲みを解いて良兼らを見逃したのも、大中臣完行おおなかとみのまたゆきに証拠となる記録をのこすよう頼んだのも、忠平をはばかってのことである。

 翌、承平じょうへい七年(九百三十七年)正月七日に朱雀天皇が元服し、四月に恩赦が出され、その適用を受けて罪を許され、将門は東国へ帰った。


 将門としては、万善の手配てくばりをして、思惑通り実質無罪を勝ち取ったはずであった。しかし、良兼、護、良正の怨念は、将門の予測を超えていた。

 良兼側は、将門が大中臣完行に、将門に有利な記録をのこさせていたことも、太政大臣・忠平が将門に肩入れしていることも知らなかったのだが、裁定が不利になりそうなことだけは予測していた。

 しかし、それで意気消沈して諦めてしまう程、坂東武者と言うものは体制に従順では無い。将門不在の間に、いくさの準備を始めていたのだ。


「今度こそ、小次郎をほうむって見せる」

 上洛前の護とも打ち合わせを行っていた良兼が、良正と貞盛を羽鳥はとりの舘に呼び着けて打ち明けた。

「ふん。朝廷のお沙汰など朝令暮改じゃ。こちらが決定的に有利となれば、いつでも変わる。将門が滅んでしまえば、我等全てを処分することなど出来ぬ。勝てば良いのじゃ」


 何と、この時点での構図を見る限り、将門が体制側であり、良兼は反体制的な動きを見せ始めており、秀郷も、相変わらず朝廷から危険視されている存在なのである。

 さすがに懲りたのか、良兼も、兵の数さえ揃えれば良いという考えからは脱し、訓練の重要性に目覚めたようである。

 貞盛は、朝廷の沙汰に逆らうような方針に不安を覚えたが、負け犬のままみやこに戻っても、もはや、出世の目は無くなるだろうと言うことも考えた。しかし、今度こそ絶対に勝たなければならない。負ければ全てが終わると覚悟した。

「伯父上。麿に必勝の策が御座います。曲げてお聞き入れ願いたい」

と強く良兼に迫った。

「必勝の策? …… 何じゃ」

 良兼は、貞盛がまた愚にも付かぬことを言い出すのではないかと思った。

御爺おじじ様・高望王の木像を作り、軍の先頭に掲げて下され。我等が坂東平氏の正統な後継であることを、敵味方にはっきりと示すのです。さすれば、将門もその郎党達も、木像に向かって弓引くことを躊躇することでしょう。敵の士気は下がり、味方の士気は上がります。木像だけでは心許無こころもとないので、『高望王御姿たかもちおうみすがた』と書いた大きなのぼりを作り、かたわらに掲げるのが良いかと思います」

「うん! それは良い。それは良い策じゃ。貞盛、なにゆえもっと早く言わぬ」

『全く耳を貸さず、無様ぶざまに負けたのは、一体どなたでしたか? 』

 そう言いたかったが、貞盛はこらえた。

「貞盛。そちの策、中々良い考えだが、更にその効果を上げる方策が有る」

「と申されると、更なる工夫くふうがお有りとのことでしょうか? 」

「うん。良く聞け。良将よしもちの木像も作り、高望王の木像と並べて掲げるのじゃ。己の父、己の主には、尚更、弓を向けられまい。…… どうじゃ! 」

 貞盛はあきれた。

『高望王の木像を掲げることには、一族の正統な後継者と言うことを示すという大義名分が有るが、我等が将門の父の木像を掲げるなど、何の大義も名分も無い。確かに効果は増すかも知れないが、それでは、只の嫌がらせに成ってしまうではないか』

 そう思った。

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