参拾 露女 2
「四郎、水深の辺りの新田の開発は上手く行っておるか? 」
四郎義重を呼び、久稔が尋ねた。
「はい、思いの外、捗っております。水抜きも上手く行き、泥沼が恵みを齎す田へと姿を変えて行きましょう。来春には植え付けも出来るようになるかと」
やや抒情的な心の持ち主であるこの三十代半ばの意気盛んな男は、自信を持って答える。
「うん。汝に任せたのは間違いではなかったの。手腕見事じゃ。いずれ、その労に報いなければならんと思うておる。考えて置く」
「そんなご心配は御無用に願います。当然のことをしているだけですから」
「まあ、任せて置け。悪いようにはせん。…… ところで、子は娘ばかり三人であったのう。皆元気か? 」
「はい、お陰様で病ひとつ知りません」
「それは何より。見目麗しき娘とはとかく体の弱いものじゃが、麗しい上に体も強いとあらば、良き婿を得て家を栄えさせよう」
「いえいえ、『麗しい』など、飛んでも無いこと。いずれも芋ばかりで御座います」
「何を申す、若い者達の間では大変な評判だ。若い者のうち誰ひとりとして、そのほうの娘達のうちの誰かを狙っておらぬ者は無いほどだと言うぞ」
「そんなにお褒めに預かっては、却って恐ろしゅう御座います」
「四郎」
真顔に戻って久稔が言った。
「千早は幾つになる? 」
照れ笑いをしていた義重も真顔に戻って、
「今年で十六になります」と答える。
「麿の養女にくれぬか? 」
義重には、瞬時にその意味が分かった。娘が三も人居る久稔が養女にくれと言うのは、自分の養女として誰か有力な相手に差し出す為だ。それが、本当に有力な相手であれば義重とて依存は無い。惚けて否定してはいるが、千早が恐らくこの郷一番の器量好しで有ることは親の欲目ばかりでは無いと思っている。その辺の男にやるよりは、それなりの身分の相手と娶せてやりたいと思っているのだ。そうなれば、娘ばかりでは無く己の将来も開ける。
「あのような不束な娘を養女にして頂けるなら、千早に取っても存外の仕合わせで御座いましょう。吾に何の異存が御座いましょうか」
「そうか、承知してくれるか。となれば、あのような器量好し、それなりの相手も考えねばなるまいな。…… だが、正妻という訳にも行かぬかも知れぬ」
『正妻と言う訳にも行かぬということは、相当な身分の相手か? 』
義重はそう思った。
「どなたかお心当たりでも…… 」
「うん? 改めて話をしている訳では無いが、心当たりと言えば無いでは無い。…… ある国の掾をしておられる。我が家の遠縁に当たる方じゃ。なに、千早をお引き合わせすれば、気に入らぬはずは無い」
「掾で御座いますか? 」
掾と言えば守、介に次いで三番目の地位にある地方官である。郷長の郎等に過ぎぬ義重から見れば望むべくも無い地位である。おまけに、義重は勝手に若い男と思っているから、若くして掾と言うことは、将来は国守にも成る可能性のある相手と思った。
「そのような方でしたら、我が娘風情が正妻など望んだら罰が当たりましょう」
『さて、これからが正念場だな』
と久稔は思った。秀郷とて朴念仁でも無ければ、千早を気に入らない訳は無い。それで、時々通って来てくれるようになれば、それで良い。年寄が若い娘に入れ上げれば或いは期待以上のことになるかも知れない。後は、この義重をどう説き伏せるかだ…… 。
「近々その方がこの郷を訪い、我が家に逗留されることになっておる」
『伽か』
と義重は思った。伽と言うと、現代の感覚からすれば、身分の高い客に娘を一夜妻として差し出す屈辱的な風習と映るだろう。だが、当時の感覚としてはそうでは無い。前にも述べたが、この時代の性に対する感覚は驚くほど大らかで、まだ儒教的な倫理の束縛は受けていない。伽は料理と同じく馳走すなわち持成しのひとつなのだ。娘どころか妻さえ差し出す者も少なく無い。ま、男達の思惑に寄ってなされる女性の人権を無視した行為であることは間違い無いが、女達が皆泣く泣く従っていたのかと言うとそうでも無いようだ。戦国時代や江戸時代に比べれば、遥かに自由な心を持っていたのではないだろうか。ただ、性を神聖視する意識が薄かったと思われる。
「一体、どなた様で御座いましょう? 」
「下野少掾・藤原秀郷様じゃ…… 」
久稔は、わざとさらりと言った。そして、相手の反応を待った。
義重は絶句した。藤原秀郷と言えば、下野の国府から追討の官符が出されている男ではないか。それが取り消されたという噂も聞いていない。しかも、既に五十を越えているはずだ。そんな男に何で娘を供さなければならないのか! ”
「嫌か? 」
頃合いを見て、久稔が詰める。
「いえ、決して嫌という訳では御座いませぬが…… 」
義重は答に窮した。
「何か懸念でも有るか? 」
「…… こんな所まで出て来て、秀郷様の御身は安全なのでしょうか? 」
「ふふ、ははははっ。そのようなこと案じておるのか? 」
久稔は、事も無げに笑った。しかし、実は久稔自身その懸念を拭えてはいないのだ。
秀郷がこの舘で襲われる可能性は有る。もし、そうなれば、それは草原に取っても己に取っても最悪な結果を齎すことになる。
『だが…… 』
と久稔は思う。
『秀郷はそんな間抜けな男ではないはずだ』
そう思うしかない。
「下野の国府が、指一本触れられなかった男だぞ。案ずることは無い」
「はあ…… 」
と言うが、納得はしていない。それに、秀郷の歳のことも有る。しかしそれは表立って言えることでは無い。
「暫く刻を頂けませんでしょうか? 」
「うん、うん。それは良いが、そう何日もという訳には行かぬぞ、そう先のことでは無いでのう。それに、秀郷様が見えることは他言無用じゃぞ。良いな」
「はい。それは心得ております」
決め手が必要だと久稔は思った。今開発している水深の田をそっくりくれてやっても良い。しかし、今それを言うのは無理強いと取られて逆効果になる可能性がある。
『少し考えさせるか…… 』
そう思っている時、
「父上」
と突然露女が入って来た。
「そのお役目、麿に譲っては頂けませぬか? 」
久稔は慌てた。
「立ち聞きをしておったのか! 何という不作法な娘だ。そのような育て方をした覚えはないぞ。恥を知れ! 」
「不作法はお詫び致します。酒でもと思いお持ちしたところ、聞こえてしまったのです」
そう言って露女は跪き、酒を入れた壺とカワラケを乗せた膳を脇に置き、両の手の指を揃えて突き、頭を下げた。
「そなたの関わることでは無い。下がっておれ」
「父上には娘が三人もおります。なにゆえ養女を取る必要が御座いましょう」
顔を上げて、露女が言った。
「う? 」
まさか
『そのほうらでは男の気は惹けぬ』
とは言えない。
「宴の席には千早を侍らせてください。麿は顔を出しませぬ。その際、伽のことは匂わせて頂きますが、決して千早を伺わせるとは仰らないでください。寝間には麿が参ります。灯りひとつの暗がりでは分かりますまい。麿も厚塗りをして、目は半分ほどしか明けぬように致しましょう」
『自分のことが分っておる』
と妙なところで感心してしまったが、
「何を戯けたことを申しておる。そのようなことを致さば、秀郷様を怒らせるだけだ。聞く耳持たぬ、下がれ! 」
「ですから、千早を伺わせるとは仰らないでください。後の事はどうぞお任せ下さい」
義重はと見ると、何か気まずそうにしている。
「義重、話は又に致そう」
「はっ、では手前はこれで」
義重が下がると久稔は、不機嫌そうな、困ったような複雑な表情を見せて天井を見上げた。別に意味は無い。露女と視線を合わせたく無かったのだ。
「父上、麿が千早のように見目麗しくは無いゆえ、ご案じなされているのですか? 」
「いや、そんなことは思っておらん…… 何を言うておるのか」
「秀郷様は、なにゆえ武蔵にお出でになるのでしょう? 」
「物見遊山とのことじゃ」
「府中ならともかく、こんな、萱と沼と田の他に何もないところに物見遊山とは変わったお方で御座いますね。しかも、危険を冒してまで」
もちろん、久稔も物見遊山など真に受けている訳ではない。だが、真意が何なのかと言うことまでは読めていない。
「何が言いたいのだ」
露女を見て言った。
「なにゆえ、僅かな縁を頼って、父上に話を持ち込んで来たのでしょうか? 秀郷様も父上と強い絆を結びたいと思っておられるのではないでしょうか? もし、そうならば、俄な養女などよりは、例え見目麗しく無くとも、父上の実の娘である麿の方がお心に沿うのではありませぬか? 」
答え難い質問である。理屈はそうかも知れないが、男と言うものはそういうものではないと言ってしまえば、我が娘が己を見目麗しく無いと言っているのを認めてしまうことになる。
「少し疲れた。この話はまたのことにしよう」
「お逃げになるのですか? 」
「相手は年寄じゃ。そのように剥きになることではあるまい」
「千早なら、相手が年寄でも良いということですか? 」
「戯け! 分からぬのか。見目などでは無い。男はそのような物言いをする女子は好まぬのじゃ」
立ち上がり、露女をその場に残し、久稔は足早に寝所へと向かった。




