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藤原千方伝・坂東の風  作者: 青木 航
幼年編 第一章
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弐拾九 露女 1

 その後も千方は芹菜せりなとの逢瀬を重ねていた。芹菜は変わったかと言うとそうでもない。相変わらず男言葉を使い、相手が誰であろうと言いたいことを言っている。そして良く働く。だが、強いて言えば、ぎすぎすした雰囲気が取れて、人柄に丸みが出て来たと感じる者は多くなって来ていた。芹菜と千方は、誰も知らぬことだと思っていたが、そう思っているのは当人達だけで、実はさと中の者が知るところとなっていたのだ。

「もう誰もおらん」

と言った芹菜の見方は間違ってはいなかったが、前後の状況を聞けば、誰も推測が出来ることであったのだ。だが、それを悪く取る者は無く、芹菜を揶揄からかう者すら居なかった。誰がと言うことでは無く、この郷の娘の誰かが、千方の種を宿すこと、と言うよりも秀郷の血を引く子を生むことはこのさとに取って願ってもないことだったからである。もし、その子が生まれれば郷全体で守り育てることになるだろう。郷人さとびとの誰もがそれを歓迎している。それは、この郷の将来と安全の保障に大きく関わって来ると思われるからである。蝦夷とは、それほど不安定な環境に置かれた人々とも言えるが、実は、大和人やまとびととて、力有る者に頼らなければならないという点に於いては大差無い状況にあった。


 現に千方の母の実家である草原かやはら氏もそんな不安定な環境の中に在った。

 元々草原かやはらの郷の辺りは、古代より土師はじ氏の支配する地域であった。土師氏はその名が示す如く、土師器はじきと呼ばれる弥生式土器の生産を生業なりわいとした氏族である。草原かやはらの辺りにも幾つものかまを持ち勢力を誇っていたが、次第に品質的に上の須恵器すえきに取って替わられ、勢力を失って行った。そんな頃、土師氏の南に居た私市きさいち氏が勢力を伸ばし始めた。

 私市きさいちとは元々皇后の生活費を賄う為の部曲かきべである。敏達びたつ天皇の頃、豊御食炊屋姫とよみけかしきやひめが皇后になってから皇后領として皇后の為の部曲として私部きさきべが設けられた。大和と結ばれる磐船いわふね街道筋に有り、現在の大阪府・交野市かたのしの辺りである。

 この私市部から出た日下部黒山くさかべのくろやまが、坂東に下り、この地(現・埼玉県大里郡さいたまけんおおさとぐん)付近を私市きさいちと名付けた。私市氏は鷲宮神社わしみやじんじゃ(現・久喜市鷲宮)を氏神とし大田郷おおたごうに勢力を扶植して行った。

 私市氏は埼玉郡さいたまごおり草原かやはら(現・埼玉県加須(かぞ)市中央)の辺りに文字通り草刈り場を確保するようになるが、六代目・則家のりいえの弟・忠家ただいえが私市氏から別れ草原かやはら氏を名乗り、この地に定住した。

 草原氏は次第に土師氏を東に追いやり、この地を治めるようになった。従って、草原氏は後の私市党きさいちとうの一角を成す氏族ではあるが、千方の祖父・久稔の代には本家・私市氏との縁も薄れ周りの氏族の圧迫を受ける立場にあった。埼玉郡さいたまごおりの南から西は、国造くにのみやつこの系譜を引く郡司・武蔵竹芝むさしのたけしばが治める足立郡あだちごおりであり、安定した力を持っていた。埼玉郡の中にも、武蔵竹芝の一族が笠原かさはら(現・鴻巣こうのす市笠原)に根を張っており、他にも、村岡五郎こと平良文たいらのよしぶみ源宛みなもとのあつるなど強力な土豪がひしめいている。

 久稔は、強かな交渉術に寄って外圧をかわして来た男だ。だが、歳を重ねると共にその気力にもかげりが見え始め、疲れを感じるようになっていた。頼みとする長男・豊地とよちは逞しく偉丈夫いじょうぶに育ち、温厚な人柄で郷人の評判も良い。だが、久稔から見れば、気が優しくてひとが良く、とても海千山千の土豪達と渡り合って行けるような男には思えない。そして、次男の豊水とよみは、それに加えて考えが浅いと来ている。唯一性格的に強く、ものを見る目を持っているのが長女の露女つゆめである。この娘が男であったならどんなに良かったかというのが、久稔の嘆きであった。

 久稔は私市氏に勝る強力な後ろ盾を欲していた。そんな折、承平じょうへい五年(九百三十五年)二月、伝手つてを頼って、秀郷から、近々武蔵に行き物見遊山ものみゆさんをしたいので一夜の宿を貸して欲しいという依頼が舞い込んで来た。

 藤原秀郷と言えば、武蔵にも聞こえた下野の暴れん坊である。会ったことは無いし、久稔から見れば、祖母が秀郷の祖母と従兄弟同士と言うだけの、誠に薄いえにしである。

 秀郷に一夜の宿を貸すことで、国府から咎めを受ける可能性が有る。ここは尤もらしい口実を考えて穏便に断るのが利口だろうと思った。君子危うきに近寄らずと言ったところか。

 だが、久稔はふと考えた。常陸国ひたちのくに上総国かずさくにがこのところ騒がしくなって来ている。何でも、平良文の兄弟達が甥の平将門と言う者と争っていると言うのだ。そしてその争いは拡大しつつあるという。兄弟に着くか甥に着くかは分からぬが、村岡五郎ほどのごうの者が、身内の争いをいつまで傍観している訳がないのだ。いずれ参戦するに違いない。となれば、村岡(現・熊谷市)から常陸や下総に行くには、この草原かやはらを通って行くことになる。逆に誰かが良文を攻めようとすれば、やはり、この草原かやはらを通る。迎え撃つ良文とこの辺りで出会えば、草原かやはら戦場いくさばとなり、田も畑も踏み荒らされてしまうことになる。本家の私市氏にも、間に入って双方を退かせるほどの力は無いし、草原かやはらの為に村岡五郎と渡り合う気も無いだろう。まして国府などは全く当てに出来ない。だが、もし、追討の官符を以てさえばくに着かせることが出来なかった秀郷が後ろに控えていたとしたら、さすがの良文も簡単に兵を入れることは出来なくなるだろう。もし、それ程の強力な関係を秀郷との間に築くことが出来ればの話だが…… 。

 安全策を取るか、それとも予想される危機に備えるべきか、久稔は悩んだ。そして、結果の重大さを比較して秀郷に一夜の宿を供することにした。

 だが、宿を貸したくらいで強力な関係が築ける訳も無い。危険を冒す以上、最大限の効果を得られるようにしなければならない。

『さてどうしたものか』 

久稔ひさとしは考えた。

 秀郷への手土産や馳走は、もちろん精一杯の物を用意しなければならないだろう。こつこつと地道に蓄えて来た財の多くを吐き出さなければならないのは仕方ないところだ。だが、それだけでは弱い。やはりとぎの娘を用意しなければならないだろう。その娘が運良く秀郷の子でも宿せば強い絆を得ることが出来る。

「ふ~ん誰にしようか」

と考える。露女つゆめを始めとする三人の娘達は、残念ながら器量好しとは言えない。やはり、郷一番の器量好と言えば、郎等のひとり高津四郎義重たかつのしろうよししげの長女・千早ちはやだろう。小柄で下膨しもぶくれのぽっちゃりした頬を持つ娘だ。性格もおっとりしていて、色は白く豊かな髪を持つ。それなりの衣装を着せて、どこそこの姫君と言っても、素性を知らぬ者は誰ひとり疑わないだろう。

「うん。あの娘なら秀郷も食指を動かすに違いない」

 久稔はひとりほくそえんだ。

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