「滅ぼせ」
高窓から差し込む光は、今日も白く、冷たかった。
黄金樹を象った彩色ガラスを透かして降るその光は、
床に描かれた五本指の紋章のうち、
親指だけをくっきりと浮き上がらせている。
枢機卿たちの椅子。
白と金に塗られたそれらは、
神の意志が人の口を借りて語られる場所であるはずだった。
今そこに満ちているのは、
神よりも、人の熱だった。
「――断った、だと?」
報告を読み上げた修道士が震えながら頭を垂れると、
鎖の枢機卿、エングメント聖が椅子の肘掛けを細い指で叩いた。
「帝国め。
日鴉どもの引き渡しも拒み、
北と東の亜人どもへの“浄化”の通行も断ったと?」
「は、はい……。
最後通牒を読み上げた直後、
返答に“十日は不要だ”とのことにて……」
修道士の声は、途中からかすれていた。
「すべて断る、と。
そのように」
聖断の間に、一瞬だけ静寂が降りた。
次の瞬間、それは割れる。
「やはり、か」
ひとりが、吐き捨てるように言った。
「理だの法だのを掲げていたが、
結局は異端に肩入れするか」
「日鴉どもの保護など、
神に唾する行いに他ならぬ」
「イースタシア、ノースタン……
かねてより、恩寵を拒むとされておる地。
敢えてそれらを庇うとあれば――」
「帝国もまた、親指の民でありながら、混沌に堕ちたということだ」
剣の枢機卿、ベリアル聖が、椅子から立ち上がる。
その瞳に恐怖はなく、あるのは燃え始めた狂信の炎だけ。
「ならば、分かりやすい。
帝国は神の敵に与した。
日鴉、イースタシア、ノースタン……異端の側に立ったのだ」
剣の枢機卿、ベリアル聖が、椅子から立ち上がる。
その瞳に、恐怖はなかった。
あるのは、燃え始めた狂信の炎だけ。
椅子の上で、他の枢機卿たちがざわめく。
「ならば、我らのすることはただ一つ」
「聖なる親指の名において、
彼らを“浄化”するのみ」
「聖なる光を、神の剣として振るう時が来たのだ」
興奮は、素早く伝染した。
ひとりが立ち上がると、
もうひとりも立ち上がる。
誰かが両手を天に掲げると、
周囲も真似をする。
「神の御心のままに!」
「神の御業を、地上にしらしめん!」
「聖戦だ――」
その言葉が口をついて出たのは、
誰が最初だったのか。
それはすぐに、聖断の間を満たす合唱になった。
「聖戦の時だ!」
「騎士団を召集せよ!」
「浄化師団を編成せよ!」
「南部軍団にも動員をかけろ、
山岳突破のために贖罪兵団を前線に――」
命令が、次々と飛び交う。
それは、まだ正式な布令ではない。
しかしこの場で出た言葉は、
すでに“決まり”になったも同然だった。
それを止める役目を負っているはずの理性は、
この場にはほとんど残っていなかった。
ただ一人を除いて。
円卓の一角。
白い法衣の胸元を、きちんと整えた若い女性が一人、
眼鏡の奥で、憂鬱そうに視線を伏せていた。
クロエ・ベネディクト聖。
年はまだ20そこそこと若いが、正式な枢機卿の一人である。
彼女の生まれ持って得た神の権能。
救いの言葉を拾い、神意を聞き取るという「神の耳」を持つとされるその耳には、
今この場に満ちる“人の叫び”しか届いていなかった。
(やはり)
誰かがそう言ったとき、
彼女も心の中で同じ言葉を繰り返していた。
ただし、意味は違う。
(やはり、こうなる。こうなってしまう)
帝国が断れば、そうなる。
断らなくても、遅かれ早かれそうなっていただろう。
この場にいる多くの枢機卿たちは、
ずっと前から“聖戦”を宣言する理由を探していたのだ。
今回の最後通牒は、
そのための儀礼にすぎない。
許しが欲しかったのは神ではない。
彼ら自身のほうだ。
クロエは、眼鏡のブリッジに指を当てて、
静かに息を吐いた。
口を開きかけて、閉じる。
今ここで、「待て」と言っても、
誰も耳を貸さない。
耳は、すでに自分たちの叫びでふさがっている。
「騎士団に、動員命令を」
「東方の常備兵を帝国へ差し向けよう」
「調停者の再配備を急げ。
山岳地帯で日鴉の巣を焼き尽くした者を、
今度は帝国の盾を打ち砕く役に回す」
「神の御心のままに!」
「神の御心のままに!!」
聖断の間は、
“祈り”に似た叫びで満ちていた。
だがそれは祈りではない。
神に何かを乞うのではなく、己の行為に「神」の名を貼り付けるための、血に飢えた儀式だ。
剣を抜く前に、
それを“神の剣”だと言い張るための言葉。
クロエは、静かに天井を見上げた。
彩色ガラスの向こうにあるはずの聖樹は、
今日も何も語らない。
ただ、淡い光だけが降りてくる。
その光は、
叫び続ける枢機卿たちの肩にも、
憂鬱そうに黙っている彼女の肩にも、
等しく落ちていた。
(本当に、これが“御心”なら――)
心の中だけで、彼女は問う。
(どうか、わたしには、その“音”を聴かせてください)
だが、耳に届くのはやはり人の声だけだった。




