『こんちわ』
帝都アーネンエルベの大通りが、こんな顔をする日が来るとは思っていなかった。
いつもは荷馬車と行商人と兵士が行き交うだけの石畳が、今日は色とりどりの布で飾られ、臨時の調理台と屋台と樽と袋で埋め尽くされている。
焼きたてのパンの匂い。
肉を焼く匂い。
香草の匂い。
発酵食品っぽい、ちょっとクセのある匂い。
それら全部が、帝都の空の下で、ぐるぐると入り交じっている。
第一回・大陸食の理祭。
それは、歴史上で初めての、大陸五大国首脳が“平和目的での帝都入り”する日だ。
「来るぞー!」
門楼の上から兵士の声が響く。
ツチダは、帝都南門の脇に設けられた歓迎台から、大通りの先を見つめた。
最初に見えたのは、しずかな銀の行列だった。
月兎族特有の、白と青の薄布をまとった騎士たち。
ゆったりと進む車列の中央、月の紋章を掲げた馬車。
「あれが、イースタシアの女王様か……」
馬車の窓越しに見えるのは、柔らかな月光を思わせる髪と、静かな眼差し。
その後ろに並ぶのは槍と弓で武装した月兎族の近衛――そして、ちょっとだけ落ち着きなく耳を動かしているリベラゴールの姿。
帝都市民が、ざわりと息を呑む。
「……兎……?」
「あれが東の月兎族ってやつだ」
続いて現れたのは、真っ赤な房飾りと金の装飾で飾られた豪奢な馬車列。
ヴェラ王国だ。
真紅のマントを翻し、きらびやかな近衛兵たちが、見られることを楽しんでいると言わんばかりに胸を張って進む。
馬車の窓から手を振るのは、摂政ドミニコ・フェルナード。
その笑顔は、“政治家の顔”と“興行師の顔”を同時にしていた。
(なんだかこの場をどう商売と宣伝に使うか考えてる顔だな……)
ツチダは苦笑する。
三つ目は――蹄の音が、重かった。
列の中に、馬車は一台もない。
粗く削られた革鎧。
銀灰色の毛皮。
肩には雪狼の紋章。
ノースタンの騎馬隊だ。
先頭に立つのは筋骨たくましい銀狼族の男――族長ガルフ・ローラン。
その横に並ぶのは、穏やかな眼差しの妻フィオーレ。
ふたりとも、馬の上からまっすぐ帝都を見据えていた。
帝都市民が、小さくどよめく。
「さすが狩猟の民だな……」
「でっけー…ごついし」
「でもモフモフだね」
そして、四つ目。
白と金。
聖都からの使節団が、荘厳な幌付き馬車でもって姿を現した。
神聖騎士たちの列。
胸に光る親指の紋章。
幌には黄金樹の刺繍。
一瞬、空気が張り詰める。
この十数年――帝都で見かけることのなかった色だ。
ツチダの隣で、クローディアが静かに息を吐く。
「さあ、ここからが本番ね」
「胃が痛くなること言うのやめません?」
「あなたの胃は、だいたい米で治るでしょ」
「雑な評価だなあ!」
そんなやりとりをしていると――神聖国の幌馬車が、ゆっくりと帝都門前で止まった。
ざわざわ……と、人波の中に緊張が走る。
(さて、どんな挨拶を――)
と思った矢先だった。
幌が、勢いよくガバッと開く。
中から、小さな影がぴょこんと立ち上がった。
「こんちはー」
神託の巫女・アウラが、手を振っていた。
帝都市民の緊張が、一瞬で別の方向に吹っ飛ぶ。
「……え?」
「えっ?」
「……こんちはって言ったぞ今」
「かわ……いやでも神聖国だぞ?」
笑いが、波紋のように広がった。
ツチダは、思わず顔を覆う。
アウラの隣では、クロエが思い切り頭を抱えていた。
「アウラ様ぁぁぁぁ……! それどこで覚えたんですか……!」
「あかいひと」
アウラは、幌の中から全力で手を振る。
視線の先――帝都の城壁の上で、赤髪を振り回して叫んでいる少女。
「うぇーいアウラちゃーん!」
レイである。
「あーー!!!」
クロエの叫びが、帝都市民の笑いに溶けていった。
◇
式典会場となった帝都中央広場では、五つの国の旗と紋章が同じ風に揺れていた。
帝国の青と銀。
神聖国の白と金。
イースタシアの白と青。
ノースタンの灰銀。
ヴェラの赤と金。
壇上では、ディートリヒが簡潔な挨拶を述べる。
「かつて我らは、互いの理を違えた。互いの信仰を疑い、互いの誇りを傷つけ、互いの情熱を踏みにじったこともある。
だが今日、ここに集った五つの国は――」
彼は、広場をぐるりと見渡す。
パンをかじる子ども。
雑穀粥を啜る老婦人。
焼かれた肉の串を嬉しそうに掲げる青年。
見慣れぬ料理を、おそるおそる口に運ぶ兵士。
「明日の畑と、明日の食卓を守るために、同じ条約に署名した。
戦の道を、芋と麦と粟のための道に変える。それが、理の国アーネンエルベの、そしてこの大陸の選択だ」
歓声があがる。
その後ろで、ツチダはこっそり汗を拭っていた。
(原稿案、だいぶ手を加えられてたな。俺の芋比喩は全部ナイトハルトさんに修正されたし……)
「いい演説だったんじゃないかしら」
クローディアが肩を軽く叩く。
「あなたの畑の理が、ちゃんと入ってた」
「そうですかね」
「ええ。戦の道を、ごはんの道に変えるってやつ。あれ、完全にあなたの言い回しよ」
「うわ恥ずかしい」
「素直に誇っておきなさい」
◇
式典が終われば、あとは食の時間だ。
帝国ブースでは、パンとスープとソーセージ。
神聖国ブースでは、雑穀粥と薄切りパンと、フライドポテト。
イースタシアブースでは、発酵野菜と、月見団子のようなお菓子。
ノースタンブースでは、豆と干し肉を煮込んだ「ラウメ・スープ」。
ヴェラブースでは、色鮮やかな米料理と、ぶどうジュース(※今日は酒は薄め)。
その合間に、レイが打った蕎麦と蕎麦粉クレープの屋台がしれっと混ざっている。
「ツチダさん、これ食べる?」
レイが、揚げたてのポテトを差し出してきた。
「またポテトか。今日何本目だ」
「えーと、数えてない」
ツチダは一本つまんで、口に運ぶ。
塩気と芋の甘みが、祭りの喧騒と一緒に広がっていく。
ふと前を見ると――アウラがイースタシアの発酵料理をちびちびつまみ、ノースタンのスープをふーふーし、神聖国の雑穀パンをちぎり、ヴェラの料理を目を輝かせて見つめていた。
「……全部、観察中なんだろうな」
ツチダがぼそりと言うと、隣のクロエが苦笑まじりに頷いた。
「ええ。世界を焼き直すかどうか、決めるために」
「さて、アウラ。今のところ、判定は?」
そっとアウラを見る。
神さまの感覚器官は、フライドポテトをもぐもぐやりながら、小さく呟いた。
「こんなに たべてるのに」
「うん」
「まだ たべたいって みんな おもってる」
アウラは、ぽん、と自分のお腹を叩いた。
「まだ おなか まわせる」
ツチダは、一瞬だけ目を閉じる。
焼き尽くす火ではなく。
腹を鳴らす“おなかの火”のほうを、神さまが面白がってくれているなら――それは、きっと悪くない。
「さてと、ツチダ」
呼ばれて振り向くと、クローディアがコップを掲げていた。
中身は薄めた果実酒――ほとんどジュースだ。
「お疲れさま。理祭の発案者へ」
「いや、発案者は帝国ってことになってるんで」
「いいの。こういうのは現場の苦労人から祝うのが筋よ」
レイも、ポテト片手にコップを掲げる。
「芋と蕎麦とパンと雑穀チームの監督に!」
「なんだよそのチーム」
でもまあ、とツチダも苦笑しながらコップを持ち上げた。
空を見上げる。
神の光だけじゃない。
街の灯りと、屋台のランプと、湯気と、歓声と、誰かの笑い声。
それら全部が重なった、“まわりはじめた”世界の空だ。
「――まあ、いっか」
ツチダは帝都の真ん中でささやかな理の乾杯をした。
「大陸の畑と、食卓と、それから……まだ食べたいって思える、明日のために」
コップが小さくぶつかり合う。
戦の道は、この日、正式に“ごはんの道”へと姿を変えた。
まだ、雑草は多いし政治的、感情的な問題も山ほどある。
それでも。
腹が鳴って、うまいと笑って、まだ食べたいと思える人間たちがいる限り――この大陸は、きっと簡単に焼き直されたりしない。
そう信じてみても、いいかもしれない。
ツチダは、芋の味を噛みしめながら思った。
――この日、大陸五大国のあいだに
『大陸農地および食料保全に関する共同理式条約』が結ばれた。
けれど人々は、その少し堅苦しい正式名称よりも、ただ親しみをこめて、こう呼ぶことになる。
「食卓条約」、と。
神聖国炎上編 完




