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異世界転生農家  作者: 今無ヅイ
農家漂着編
13/46

黒い炭の字、開かれた畑

収穫季エルントゴルトが終わりかけた午後、村道に見慣れぬ歩荷の影がいくつも揺れた。

肩に縄をかけた男衆、布頭巾をかぶった女衆、手には干し麦の土産、腰には小さな茶壺。

名乗りは、同じ領内の村々――グロースフェルト、フロイデン、ヴァイツェン。

彼らは、噂を辿ってやって来たのだという。


「この村に、土の声を聞く百姓がいる」

「芋を人に食わせ、木の実から油を出した」

「水車を粉だけじゃなく、畑の道具にした」


村長ハンスが目を丸くして客を迎え入れ、ツチダを呼んだ。

ツチダは話を聞き終えると、一度だけうなずき、すぐに外へ出る。


「畑へ行きましょう。俺にできる話は、土の上がいちばん早い」


その日、柵の内側に粗末な長机が二つ運び込まれた。

板の上には炭筆、縄で綴じた紙束、拾った小石と刈り株、油の壺、そして――看板〈ツチダ〉。


「隠すことはありません。ぜんぶ話します。書けることは紙に、見えることは土に描きます。代金はいりません。みんな、同じ腹ですから」


人々のあいだから笑いが起こり、誰かが小声で言う。

「ほんとに百姓みたいな言い方をする」

「百姓ですから」


ツチダは肩をすくめ、炭筆を取った。

まず、彼が土の上に描いたのは、矢印と線だった。

畝の向き、溝の位置、風の流れ。


「今年の収穫が終わったら、雑草と刈り株は畑に返します。

ただし、腐りかけの“生ごみ”のまま入れるのは駄目です。匂いが刺すうちは“土のごはん”になりません」


紙束に、簡単な言葉が増えていく。

藁を敷いて、その上に家畜の糞。さらに木灰と落ち葉を重ね、上から水を少しだけ。

それを繰り返して山にし、足でぐっと踏む。


「真ん中に棒を一本挿しておきます。翌朝、この棒を抜いたときにあたたかかったら、“発酵が生きている”合図です」


子どもたちが目を丸くする。


「発酵?」

「目に見えないちっちゃい奴らが、ここでごはんを食べて、土のために働いてくれてるんです」


ツチダは刈り株と落ち葉を指でもみほぐし、油の搾りかすをひとつまみ混ぜてみせた。


「こういうのを全部まとめて、“肥料”って呼ぶと難しくなります。この村では、**“土のごはん”**って言い方で覚えてください。すぐには変わりませんが……春が見ています。これが“待つ理”です」


人々は真剣な顔でうなずき、炭の字をのぞき込む。

次に、彼は土の上に大きな丸を三つ描き、そのあいだを矢印でつないだ。


「次の話は“来年をやせさせない輪”です。麦ばかりだと、土は息切れします。そこで――」


丸の中に、ゆっくりと字を書き込んでいく。


麦 → 豆 → 芋 →(麦)。


「この順番で、場所をぐるぐる回します。豆の根には、小さな職人がくっついていて、目に見えないけれど土を肥やしてくれる。芋は、“納税の外にある腹”を守る役目です。役人の帳面は麦を見ますけど、みんなの腹は芋で満たす」


フロイデン村の古株らしい男が、腕を組んだまま眉をひそめた。


「芋は毒と聞くが」


ツチダはすぐに紙の端に大きく三本線を引き、その下に太い字で書いた。


「芋には“掟”が三つあります」


一つ、緑は捨てる。

皮が緑になった芋、芽の周りは深くえぐって、惜しまず捨てる。

二つ、暗い場所で保管する。

光に当てない。苦かったり、変な匂いがしたら食べない。

三つ、少量・慎重・記録。

まずは少しだけゆでて、大人が味見。おかしいと思ったら、その場で全部やめる。


「命に嘘はつきません。苦味は“危ないぞ”という合図です。ここだけは絶対に守ってください。広げるのは来年。まずは小さな試しの畑で、少しずつ進めましょう」


男はしばらく黙っていたが、やがてうなずいた。

「掟ごと教えてくれるなら、守りようもある」


今度は、油の壺の蓋が開かれる。

青い香りがふわりと広がった。


「次は油の話。“液体の薪”です」


ツチダは、帝国での油事情をかんたんに語った。

菜種やヤシの油は高く、貴族や町の家でしかほとんど使われないこと。

ここは内陸で、塩も山を越えて運ばれる分だけ高価なこと。


「でも、この村にこの……油の実がなる林があり、川があり、水車があります」


防風林の木の実を、叩かずに手で撫で落とすやり方。

葉と小枝をふるいにかけて分け、川で短くすすぐこと。

粉挽き小屋の水車を少し借りて、石臼を“ゆっくり”回すように木歯車で調整すること。


「潰したら、囲炉裏の脇に置いて、人肌くらいにあたためます。急に熱くするとえぐみが立つので、あくまでゆっくり。とろっとしてきたところで布袋に詰めて、梁と石のおもりでじわじわ押す。油は上、汁は下。夕暮れまで、ただ待つだけです」


グロースフェルトの女衆がそっと手を挙げた。


「塩が少ない村では、味はどうする?」


ツチダは畦から摘んできた針のような葉と、酸っぱい葉を刻んで見せた。


「塩は“祝い”の日に。普段は、香りの強い草と、酸っぱい草で味の輪郭を足します。麦粥に香り油を一さじ落とすだけで、体が温まりますよ」


紙束にはまた一行が増える。

塩=最後のひと押し/ふだんは香りと酸で支える――と。


やがて、ヴァイツェンの若者が、おずおずと口を開いた。

「領の役人は、なんでも“違法だ”と言う。油の壺は商会の専売だとか、芋は家畜のものだとか……」


ツチダは「そこですね」とうなずき、炭筆で四角い枠を描いた。


「言葉も、少しだけ工夫しましょう。嘘はつきません。角を立てないだけです」

油は、“灯の補助”か“香り付け”。

芋は、“飼料芋(味見済)”。

排水工事は、“畝の手入れ”“雨道の掃除”。

肥料は、“土のごはん”。


「役人には“数字”が必要です。なら、来年の数字が減る理由を口で怒鳴るんじゃなくて、紙にして渡す。これも立派な“理”です」


紙束の一枚を破り、ツチダはさらさらと文の形にした。


『輪作を行わず豆を減らすと、来年の収穫は二割ほど落ちる見込み。理由は、土の呼吸が弱まること、小さな職人(豆の根のはたらき)の減少、水はけ不足と、未熟な堆肥の危険。』


「難しい言葉は使いません。子どもが読んで分かるなら、役人にも通じます」


日が傾き始めるころ、ツチダは小さな板切れを七枚持ってきた。

炭筆で、大きく太い字が踊る。


土は急がせない(堆肥は匂いが甘くなるまで)

水に道をつくる(溝と明渠、余裕があれば暗渠。根は息をする)

麦ばかりにしない(麦→豆→芋→麦の輪)

芋には三つの掟(緑は捨てる/暗所/少量・慎重・記録)

油は林と川の恵み(撫で落とし/臼はゆっくり/押しはじわり)

塩は祝い(普段は香草と酸)

理は独占しない(紙に書いて、隣に渡す)


板は手から手へ渡り、指でなぞられ、口に出して繰り返された。

「理は独占しない」という一行のところで、多くの肩がふっと軽くなるように見えた。


日が落ち、囲炉裏に火が入るころには、話は質疑の形になっていた。


「pHってなんだ?」

「土の“気性”です。酸っぱすぎても、しょっぱすぎても、どっちも育ちにくい」


「色が見えるって本当に?」

「俺にだけ見える、“目印”みたいなものです。でも、見えなくてもできるように、全部手順に直して紙に書きます」


「税はどうする?」

「納めるものは納めます。そのうえで、腹の理を痩せさせない。芋と油が、その橋です」


子どもが一人、遠慮がちに手を挙げた。


「字、教えてくれる?」


ツチダは笑ってうなずいた。


「もちろん。紙がなければ板でも、地面でも。字があれば、今日の話は明日も生きます」


笑いが広がり、囲炉裏の火がぱちぱちと高くなった。

村長ハンスがその様子を見ながら、ふと目を細める。


「お前さん、ほんにまじめな百姓じゃのう」

「ええ、土を放っておけない性分で」


ツチダが照れくさそうに返すと、また笑い声が弾んだ。


***


翌日から、炭の字を写した紙束が、村から村へ歩き始めた。

縄目で綴じられた薄い冊子には、拙いが誰にでも読める言葉が並ぶ。


“七か条の板切れ”は写し木で増やされ、各地の畦に打たれた。

水車のない村は、人の手臼で実を練り、

川の流れのゆるい村では、子どもたちが押し棒を引いて臼を回した。


夕方になると、どこかの家から油の香りが立ちのぼる。

麦粥にひとさじの香り油が落とされ、

芋の三つの掟を書いた板が戸口の横に打ちつけられ、

堆肥小屋からは、少し甘い匂いがするようになった。


噂は、良い方にも悪い方にも速い。


「色を見る百姓が、理を配っている」

「芋で腹を守り、油で塩を節約する術を教えた」

「納税の“数”が狂うのでは、と役所が眉をひそめているらしい」


その夜、ツチダは観察ノートの最後のページを開いた。


理は、独占すれば濁る。分ければ澄む。

――けれど、濁りを愛する者も、この世にはいる。


炭筆の先を止め、静かに息を吐く。


(来るなら来い。耕す相手が、土から人に変わるだけだ)


戸口で気配がして、村長ハンスが入ってきた。


「ツチダ殿、客が増えた分、米の粥が少し薄うなったが――腹は、なんだかあったかいのう」


「油のせいです。薄金色の薪が、みんなの中で燃えてるんですよ」


二人は顔を見合わせて笑い、囲炉裏の火に油を一滴落とした。

炎がふわりと広がり、薄金色の光が天井に揺れる。

外では、遠くの道に小さな灯が点る。

役所の灯か、それともただの旅の灯か。

どちらにせよ、道はもうついた。


――理は独占しない。


炭の黒い一行が、紙の上から飛び出して、

村から村へ、土の上を静かに歩き始めていた。

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「耕す相手が、土から人に変わるだけだ」ここ最高に不穏で笑ってしまった。 全体通してとても分かり易く読みやすい。力ではなく知によってここからどう“敵”を崩していくか楽しみ
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