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異世界転生農家  作者: 今無ヅイ
農家漂着編
1/46

風と土と、ひとすじの理(ことわり)


北海道の片田舎。

昼を過ぎても空は重く、風はうなり声のように吹き荒れていた。テレビでは「観測史上最大級の台風」と繰り返している。


「……あの水路、また溢れてないよな」


土田耕平は、頭の中が自分の畑のことでいっぱいだった。

長靴を履き、カッパを引っかけ、軽トラの扉をガンと閉める。

外に出た瞬間、嵐が体を叩いた。雨粒が弾丸みたいに顔に当たる。

それでも、耕平の足は自然と畑へ向かっていく。


――農家ってのは、天気が悪いほど動く生き物だ。

畑は子どもみたいなもんで、置いて逃げるなんてできない。


「まぁ、見に行くだけだって。ちょっとだけ」


そう自分に言い訳しながら、彼は何度もこうしてきた。


ツチダ家は代々農家だ。祖父の祖父の代から、泥と風と土で飯を食ってきた。

耕すのが好きだった。芽吹きの匂い、初夏の風、土の温度――全部が自分の人生だった。


誰に褒められなくても、苗が元気ならそれでいい。

そんな真面目で、不器用な男だった。


軽トラは台風の風を切り裂きながら、泥道をゆっくり進む。

水路の先に見えた彼の自慢の畑は、奇跡のように無事だった。


「……よかった」


息をつき、腰を伸ばした――その瞬間だった。


――ゴウッ。


山の方から雷みたいな音がした。

振り向く。

白く泡立つ濁流が、信じられない速さで迫ってくる。


「……鉄砲水――っ!」


反射的に走った。

けれど足元の土が崩れ、視界がぐるりと回転する。


水も、風も、音も。

全部が一瞬で押し流した。


叫ぶ暇も、息を吸う暇もない。

風の音も、雨の音も遠ざかる。


最後に見えたのは、空を覆う灰色の雲と――あの畑だった。


「……頼む、みんな、無事で……」


祈りは、濁流にさらわれた。


しかし次の瞬間。

泥の匂いが消えた。

音も、風も、すべてが止まった。


視界が真っ白になる。

体がふわりと浮き、熱も痛みも消える。柔らかな光に包まれていく。

不思議と怖くなかった。どこか懐かしい。


――ああ、土の匂いだ。


懐かしい“土”の匂い。だが、あの畑の匂いじゃない。

ゆっくりと目を開ける。


そこには、見たことのない青空と、金色に光る大地が広がっていた。


農を愛した男は、その日、ひとすじの理の世界に転生した。

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