第九話 「夢の先」
民家の窓から漏れ出す光の先からは、親子の和気藹々とした声が聞こえてくる。私は嗚咽しながら、うずくまっている。そんな私の背後に人の気配がした。振り返らずともわかる。そこにいるのはカイルで間違いないだろう。
「ごめんね…。みっともないところを見せちゃった。」
「クレアにはやっぱり《吸収魔法》の存在を伝えるべきじゃなかった。」
なぜだろう。家族への説得は失敗して、酷い発言にも後悔している。信じていたエリスですら、何も言ってくれなかった仕打ち。でも、《吸収魔法》を習得したい気持ちだけは揺らいでいなかった。
「それでも行くよ…。カイルは私を連れていってくれるって言ったもん。」
私が発したその言葉が、私の体を起き上がらせた。まずは両親に謝らなくちゃいけない。今度は感情的にならないように説得する。そしてエリスの気持ちも知りたい。
私の中に、家族を切り捨てて進む道はなかった。
「でも出発は少し遅れちゃうかも…。」
私の心の内を、カイルは全て汲み取っていたようだった。
「僕が力を貸せるのは、次の満月までだよ。」
両の手のひらで頬を二回叩いた。家までの短い帰り道、カイルは何も言わずに、私の後ろを歩いてくれた。
クレアは家の前に立つと、大きく深呼吸をした。目にはまだ赤みが残っている。カイルは優しくクレアの背中に手を当てた。
「僕はここで待っているから。」
私は顔を伏せながら、ゆっくりとドアを開けた。ドアを引くその音が、キシキシとうるさい。いつも聞いているはずのこの音が、なぜか私の心を温めていく。
顔を上げるとそこには、安心しきった笑顔で、両親が私の帰りを迎え入れてくれた。
どうしてなの。あんな酷いことを言っておいて、身寄りがない私を拾って、見返りなんて何もなくて、血も繋がっていなくて、勝手な夢を抱いていて。どうして、そんな笑顔で私を受け入れてくれるの。
「すまなかった。クレアの気持ちをわかってやれなくて。それでもやっぱり、心配だったんだ。」
「もう、止めても行っちゃうのは分かっているから。カイルさんには、クレアをちゃんと守ってもらうようお願いしないとね。」
気づくと、私は二人の胸に飛び込んでいた。温もりに包まれたその瞬間だけ、後悔という2文字が頭から抜け落ちていた。
「エリスにもしっかり説明してきなさい。あの子は時に、頑固になるから。」
情けない。いっときの安心で、私は大切な家族がもう一人いることを忘れていた。それにしても、エリスが態度だけで反対の意思を示していることに、疑問が浮かぶ。やっぱり脅威魔法の習得を恐れているからのだろうか。それとも、カイルとの二人旅に不信を抱いているのか。私にはどちらも、エリスには当てはまらないと考えていた。
私はエリスのいる私たちの部屋へと入っていった。エリスは布団に包まっていて、姿を確認できない。あの発言も、エリスには聞こえていただろう。私はとりあえず、声を掛ける。
「エリス…。」
しかし、返事がない。眠っているのか、無視をされているのか。きっと後者である。エリスが部屋に逃げていった時、表情は何一つ変わっていなかった。それが余計に不安と疑問を募らせる。
「どうして何も言ってくれないの?何の相談もないまま決めてしまったことは謝るよ…」
決して声を荒げることなく、優しく声を掛ける。それでもまだ、返事はないまま。無視されていることに一切の苛立ちはなかった。私はただ、エリスの心境を知りたいだけだった。すると、エリスが一言だけ声を発した。小さな声を布団が遮り、微かにしか聞こえないその籠った声を、私は聞き逃さなかった。
「そういうことじゃない…」
「そういうことじゃないって、どういうこと?」
少しだけ声のボリュームが上がっていた。それでも感情的には絶対にならないように配慮して、何度もエリスに声をかけていく。
しかし今日、エリスからそれ以上言葉が発せられることはなかった。
エリスと同じベッドで寝ることができる空気では到底なかったので、カイルには事情を説明し、宿を紹介した。明日の朝から旅の準備をするため、私が迎えにいくと約束し、この夜は終わった。
翌朝、小窓から差し込む朝日で目が覚めた。何かに違和感を感じたのか、隣のベッドを確認すると、そこにはエリスの姿がなかった。言葉では言い表せない胸騒ぎが走り出す。私は部屋を飛び出し、慌てて探し始める。しかし、そんな胸騒ぎも一瞬で鳴り止むこととなった。
エリスは店の片隅で、薬の調合を行っていた。私の息の上がった間抜けた表情を見て、いつものように冷たい口調で言う。
「なに慌ててんのよ。」
いつものエリスの調子に、動揺が隠せない。
「エ、エリスがベッドにいなかったから、ひょっとしてと思って…」
「なに言ってるの?私がクレアより遅く起きたことなんて、一度もないじゃない。」
確かにそうだ。私は何を焦っていたのだろうか。朝早くから仕事を始めるエリスはいつもどおりだ。でも、昨日の態度から一変していることは引っ掛かる。眠ったことで機嫌が直った?そんな単純じゃない。そもそもあの態度事態が不可解なんだ。今、話を切り込むことでこの雰囲気を壊してしまう可能性を感じ、私は愛想笑いでその場を立ち去ろうとした。
「私はね、本当にクレアの夢を応援しているの。これに嘘はない。だからごめんね、昨日のことは忘れて。」
唐突に謝られた私は返す言葉が見つからずにいた。何も解決していないはずなのに、安堵の気持ちが溢れだす。私はエリスに届かないくらいの小さな声で頷いた。
「うん…。」
私はその後、身支度を整えカイルがいる宿へと向かった。カイルは私たちの心配をしてくれたが、大事には至っていないことと、明日出発することができそうなことを簡単に伝えた。
長旅に出たことがない私は、準備といっても何を準備すれば良いのかわからずにいる。すると、カイルが私に一枚のメモを渡してきた。
食料
毛布
ランタン
マッチ
熱天狗草
傷薬
「この中で新しく買う必要があるものはある?」
食料は買うとして、毛布はうちにあるものでいいか。ランタンはおととい山に捨ててきたから買わないといけない。マッチは…
「マッチって私の魔法で代用できないかな!?火を起こすくらいなら出来るかもしれない!」
「名案だね。でも魔力切れを起こしたら大変だ。少しだけでも持っていこう。」
私は少し恥ずかしくなり、メモに顔を落として表情を隠した。
熱天狗草と傷薬…。幸いにもうちは薬草屋であるから、二つともすぐに用意ができそうだ。熱天狗草という薬草が何なのかは知らないけど、私が薬草屋の娘である手前、その事実は隠しながらカイルに問いかけた。
「なんで熱天狗草が必要なの?」
「魔女セレシアのいる【アーセント村】に行くには、氷嶺【アイスルーン】を越える必要があるんだ。訓練されていないクレアにとって、体を温める薬草は必須だよ。」
名前を聞いただけで震えてしまう。熱天狗草はありったけ持っていこうと心に決めた。
私はエリスに事情を説明して、熱天狗草をあるだけ恵んでくれるように頼んだ。もちろん、少し気まずかった…。
「熱天狗草!?クレアはやっぱり薬草の価値を全然分かってないわね。」
朝の様子と変わらない。至って平常運転のエリスに安心はするが、また話が長くなりそうで怖くなった。
「熱天狗草は月光草なんて比べ物にならないくらいレアな薬草なの。うちに在庫は1本しかないわよ。それも偶然、数ヶ月前に商人が持ってきたものをお父さんが珍しいからって買っちゃったやつ。あんな高価な薬草、この村で売れるわけがないのに。」
どうやら詰んだらしい。極寒の山を毛布だけで越えることが、自分にはできるのだろうか…。私はすぐに思考を変換していた。
「はあ…。出発は明日だっけ?私がそれまでに最高にあったまる薬を調合してあげるわよ。」
その好意に私は目をウルウルさせて、エリスに近づいて行った。しかし、そんな私の愛たっぷりのハグが、ひらりと躱されてしまう。
「はいはい。私はこれから忙しくなるの。クレアは明日に備えて、体を休めてなさい。」
冷たくも温かい。エリスらしさが輝く瞬間であった。
そして来たる朝、家の前で家族が見送ってくれた。エリスは出発の寸前で薬の調合を終わらせ、私に小さな巾着袋を手渡してきた。その目の下には、うっすらとクマができている。
「私の特製よ。飲みすぎると副作用で笑いが止まらなくなるから気をつけて。あとこれを…」
エリスが何やら、違う薬を3つ渡してきた。白い…丸薬?
「閃光弾よ。この前のランタンで思いついてね。少ない魔力で強烈な光を生み出せるようにしたの。3つしか作れなかったけど…」
「ありがとう!エリス!!」
思いもよらなかったエリスの計らいに、自然と大声が出てしまった。私の声に驚いたのか、エリスは目を逸らして少し顎を引いている。
「べ、別に今回はカイルがいるから使うことはないかもね!念のため…、そう!念のためよ!」
それでも、すごく嬉しかった。最後に私は大きく手を振り、カイルは小さくお辞儀をした。私が目指す夢にはたくさんの支えがあって、何一つ欠けてはならないことを深く考えさせられた。
家族がいて、カイルがいて、至れり尽くせりの私に何ができるのだろうか。その答えはきっと、もうすぐ先にある。