第二話 「内緒の話」
「今日はそろそろ帰る?」
エリスの声が、心地よく森の静けさに溶け込むように響いた。優しさのこもった、のんびりとした口調で。
まるでその一言だけで、全てが穏やかに終わるかのようだった。私は空を見上げると、いつの間にか日が沈みかけていたことに気づく。
「うん、帰ろうか!」
森での練習は夕暮れには切り上げることにしている。夜の森には、危険が潜んでいるからだ。魔物の移動やアークトリア帝国軍の野営に使われることも多く、運悪く鉢合わせすれば、ろくなことがない。
アークトリアの強力な戦力としては2つある。
1つは少数精鋭からなる破魔魔法部隊。その名の通り、魔法使いを狩ることに特化している。もう1つはアークトリアの戦力の大半を占めているというアークトリア騎士団。雑兵に野蛮が多いという噂が絶えない。
薄暗くなりかけた森の中、私たち二人は足音を響かせながら歩いていた。夕闇がゆっくりと迫る中、エリスは腰に掛けたポーチからランタンを取り出した。
微弱な魔力を注ぎ込むと、ランタンの中で月光草特有の青白い光がふわりと灯った。その光は、二人の足元を優しく包み込んだ。それを見た私は、唐突にエリスに問いかけた。
「昨日の月光草の採取は楽しかった?」
「まあまあね。でも今回は多めに貰えたわよ。」
貰えたという言葉に引っかかった。採ってきたの間違いではないだろうか。若干の疑問が頭を過るが、野暮な質問だと思い何も聞かなかった。続けてエリスが話す。
「いま、月光草を使った新薬の研究を進めているの。でも。これは家族以外には内緒よ。」
エリスは薬草屋の娘として、父であるハンスさんのもとで日々勉強に励んでいる。
ハンスさんの話によれば、エリスには才能があり、将来は村一番の薬師になるとのことでベテランも一目置いている逸材だそうだ。そんなエリスが新薬の研究を進めていると知れ渡れば、大きな注目を集めるに違いない。私にも詳しい内容は教えてくれないのだろう。気づいたら、好奇心がソワソワと胸の中で騒ぎ出していた。
「どんな薬か気になる?」
エリスのその言葉に、私の好奇心に火が点いてしまった。エリスが意地悪そうににんまりと笑う。
「エリスのことだから、とんでもない病気や怪我でも一瞬で治しちゃう薬とか!?」
「ふふふ、完成したら最初にクレアに紹介してあげる。きっとクレアの役に立つ新薬よ、それまでは家族だけの秘密。」
その言葉に、私はため息をつく。エリスは昔から、私の好奇心を弄ぶのが得意で、まるで悪い魔女のようにその先を気にさせては、引き伸ばしてを楽しんでいるのだ。私は少し考えた末、仕返しをしてみることにした。
「秘密といって、私を使って危険な薬の実験をしようとしているんじゃない?」
エリスはまたニヤリと笑って答える。
「きっとクレアは全知全能の魔女になっているからから、大丈夫だよ。」
エリスには敵わない。
しばらく歩くと、村に戻ってきていた。家に近づくと、店の前で煌びやかな甲冑を身に纏ったアークトリア軍の兵士が二人立っているのが見えた。
一瞬、何事かと心配になったが、すぐにハンスさんが巾着状の小さな袋を手に持ちながら、表に出てくるのを見て、事を確信した。
月光草を取り立てに来たのだ。最近アークトリア近辺で土地開発が進んでいるとかで、月光草の需要が上がっていると耳にしたことがある。
暗くなった店の前に立つアークトリア軍の兵士たち。位の高そうな甲冑を纏ったほうの兵士がハンスさんに向かって言った。
「昨晩の採取量を見る限り、もう少し納められるはずでは?」
「それは、娘が採取したものでありまして、うちとしての約束した量は納めますので、どうかご勘弁ください。」
エリスがいつもより多く採取したことで、目をつけられてしまったようだ。新薬の研究が秘密裏に進められていることを考えると、ハンスさんもやりづらいのだろう。
しかし、このまま引き下がるアークトリア軍ではないことは、村の全員がよく知っている。
「エリス・マートリー、16歳。この薬草屋の娘で、昨年から父ハンスのもとで修行中とのこと。」
兵士のもう一人が、手に持った戸籍名簿を見ながら、上官に向かって情報を伝える。アークトリア帝国は、村人全員の経歴や職業を把握するために、細かく戸籍管理を行なっている。だが、まだエリスの才能とその新薬の研究については知られていないだろう。
たぶん、私の隠れた才能も…。
「1年程度の経験で、これだけの月光草を採取できるのか。であれば、この娘も薬草屋の一人としてカウントしなければならないな。」
「し、しかし、アークトリアへの献上は18歳からでは…。」
「そんな話、聞いたことがないな。」
アークトリア軍兵士は平然とルールを無視した。
ハンスさんは唇を噛みしめ、反論することなく黙って立ち尽くしていた。その姿を見た私は、胸にやり場のない思いが込み上げてきた。
言いたいことはたくさんある。しかし、反論することで、更なる不利益を被るかもしれない。それでも、大切な家族の夢を邪魔されることが許せなかった。気がついたら、私はアークトリア軍兵士に近づき、大声で叫んでいた。
「それはエリスが自分のために採ってきたものよ!そんなに月光草が欲しいなら、私が次の満月にありったけ採ってきてあげるわよ!だから今日は諦めて帰って!」
その一瞬、静寂が広がった。クレアの声が響き渡り、近くにいた村人たちは恐怖と緊張で身動きが取れなくなった。
(あれ?もしかしてやらかしちゃった?)
焦る気持ちが湧き上がる。しかし、言葉が出ず、どう切り出すべきかもわからない。そんな静けさの中、最初に声を発したのは、エリスだった。
「素人に月光草の大量採取なんて無理に決まってるじゃん。バカなの?というか、アークトリアの人に一人前の薬草屋として認めてもらえたんだから喜ぶべきことじゃない。」
「やってみないとわからないよ!もしかしたら、私の隠れた才能が開花するかもしれない!」
すると、私たちの会話を聞いて、アークトリア軍の兵士が高らかに笑いながら言った。
「がはは!お嬢ちゃんの威勢の良さと勇気に免じて、今日の分はこれだけにしておこう。だが、そこの娘、エリスといったな。もう立派な薬草屋として、登録することにしよう。」
兵士たちはそのまま立ち去り、ハンスさんからは安堵の息が漏れていた。だが、この後自分の行動について叱られることは間違いないだろう。
私は肩を落とし、反省の念が胸に湧いた。自分の失態で、家族と村の人々に不安を与えてしまったからだ。事態が収束すると、その場で足を止めていた村人たちから冷たい視線を感じる。
「信じられない…。あの子アークトリア騎士団に口答えしたわよ。」
「よそ者のくせに…。何かあったらどうするんだ。」
ひそひそ声で話しているが、私の耳には一字一句入ってきていた。確かに危険な行為だったかもしれない。それでもその冷たい陰口が私の心を擦りつぶしてくる。
(また…この感じだ……。)
小さい歩幅で家に向かおうとした時、優しい吐息が混ざった小さな声で、エリスが私の耳元で囁いた。
「ありがとう。」
その一言が、私の胸にじんわりと温かさを広げた。さっきまでの失態や不安が、すっかり洗い流されるような気がした。自分の行いが正義だと感じられた瞬間だった。立派な魔女になるためには、やっぱりアークトリアに怯えていてはダメだと。私は深呼吸をして、前を向いた。
その瞬間、不敵な笑みを浮かべてこちらを見ているハンスさんの姿が目に入る。
私は背筋を凍らせながら、我が家に足を踏み入れた。