馬子にも衣装
この作品は、フィクションです。作品に登場する人物名・団体名・その他名称などは架空であり、実在する人物・団体・その他名称などとは一切関係ありません。
馬子にも衣裳と言う。最初に聞いた時は、同音異義の孫と勘違いして、孫にも衣裳、だと思っていた。孫にも衣裳。孫が物心つかないような幼い頃に、きれいなおべべを着せて可愛がる、じじバカやばばバカのことでも差していることわざなのかな、と思っていた。孫ができた途端、急に丸くなった諸先輩方をよく見てきた。ああいうのを、差すことわざなのだろう、と。
馬子とは、蘇我馬子と同じ字で、馬を使って荷を運んだり人を運んだりするのを生業としている、駄賃馬稼の人たちを差す。馬は、駿馬はお侍さんや大層なご身分のお歴々が使うのだから、もっぱら駄馬を用いる。駄馬とは、人を乗せて走ることのできない、出来損ないの馬ということらしい。昔は、そういう差別区別が、はっきりしていた。できないものはできない。できるものはできる。
馬子にも衣装とは、どのような者でも、ちゃんと着飾ればそれなりに見える、というのが本来の意味で、孫を無責任に可愛がるじじいやばばあのことではない。
どのような者でも、というところに当て嵌められたということは、そういう身分の代表的な職業だったのだろう。それはそれで、今の世の中であれば、職業差別だなんだと炎上するだろう。今も今で、炎上するから潜ってしまっているだけで、蔓延ってはいるに違いない。その証拠に、何度もそういう話で燃え上がっている。
それは置いておいて。
川島は、スーツを着たことが、人生で何度もない。入社式と成人式を除けば、冠婚葬祭くらいだ。だから、スーツを着る機会は、今となっては冠婚葬祭くらいしかない。葬式は急だが、結婚式は事前にわかる。川島は、公の場が苦手だ。同僚の結婚式は、忙しいだ何だと言い訳すれば断りやすいし、実際、忙しかった。友人(と思っている連中)は、いないが、それでも酔狂に川島を呼ぶ奴らがいる。それは、流石に断りにくい。ただ、絶対数が少ない。すなわち、友人から結婚式に呼ばれることが、少ない。
スーツを着る機会は、年単位で訪れない。だから、筋トレのおかげで、最後に買った吊るしのスーツが合わなくなっている、なんてことはざらだ。葬式は、体格の良かった祖父のブカブカのダブルの礼服を借りている。葬式のようなことは急だから、用意ができていないのも仕方がない。香典にピン札は(用意をしていたようで)、よろしくないように、ブカブカの礼服で駆け付けても、仕方ないで済まされる。
しかし、結婚式はよくない。ご祝儀にピン札を用意するように、着るものも、それなりにビシっとしていなければならない。川島は、その都度、スーツを買っていた。体格がいいだけに、安い吊るしのスーツは、弾かれてしまう。お客様ですと、こちらですかね、と出されるのは、そこそこの値段がするものばかりだ。いや、安い奴でもいけるのじゃないか、と思っている。次があれば、ファストファッションで揃えてやろうと思っている。
貸衣装があるよ、と教えられることもあるが、スーツを着る機会が、仕事でまったくないわけじゃない。いちいち断っているが、どうしても出なければならない場面に、いつ出くわすかは、わからない。おそらく、祖父のブカブカ礼服では、許してくれないだろう。
これもいい機会だから、と買うが、結局、次の結婚式に呼ばれるまで、着ることは、ほぼない。
そんな川島が、どうしてもスーツを着なければならない状況になったことがる。表彰されたのだ。建築部長に、代理で受け取ってください、と頼んだが、こんな名誉なことはないから、と満面の笑みで断られた。
観念して、スーツを着て、本社の総務部に行った。
大爆笑が起こった。
おそらく、川島を知らない人間が、川島のスーツ姿を見ても、特に何も思わないだろう。
「笑うようなことじゃないだろう。」
悪態を吐くが、総務のにやにやは止まらない。なんせ、あの川島がスーツを着ているのだから。
着慣れていないから、着こなせていない。尚のこと、笑いを誘う。
「いやあ、今年一番、笑ったよ。いいものを見せてもらった。」
総務部長が、川島の背中を叩いた。
総務部も、川島の常日頃の働きに、敬意を表している。決してバカにしているわけではない。バカにしているわけではないが、あの川島がちゃんとした格好をしている、のだから、仕方ない。コスプレをして登場したようなものなのだ。
「似合わんなー。」
誰が呼びに行ったのか、経理課長が、わざわざ見に来て笑っていた。
「馬子にも衣裳と言うが、川島にスーツは似合わんな。」
川島は、着たくて着たんじゃない、と不満を顔に出した。
「似合わないですね。」
川島を見て、ハリスがにやにやしていた。
風呂上り、見知らぬ寝間着を渡されて、
「あれ、俺の服は?」
洗ってしまったらしい。しかしもう干している、というので、朝には乾いているかと思っていたが、幽霊船を呼び寄せたことで、港町にも霧がやってきていた。その所為か、ジャージが乾いていなかった。DRYって書いてある素材にしておけばよかった。小さなところで、ケチった。因果応報だ。
翌朝、着替えはないかとサイモンとハリスが探した結果、港の詰所で、予備の制服をハリスが見つけて持ち帰ってきた。貸してあげますよ、と真新しいおまわりさんの制服を渡された。サイズは微妙だったが、なんとか着れた。
この着心地の悪さ。スーツと同じだ。いや、もっとひどい。鏡がないのが救いだが、きっと、珍妙な格好に違いない。現代に、こういう服はない。強いて言えば、コスプレをしているような感じだ。袖が真新しい。
邦画で、特に実写化された日本映画で、設定に対して衣装が真っ新なことへ、あれだけ異議を唱えてきたのに、まさに今、自分がそうなっている。
少しテンションが落ちたが、慣れるしかない。
「さて、少し打合せをしよう。」




