絵島と川島
この作品は、フィクションです。作品に登場する人物名・団体名・その他名称などは架空であり、実在する人物・団体・その他名称などとは一切関係ありません。
株式会社サークルエンドは、同族経営の解体業者である。創業は、川島の生まれた年で、資本金は3千万、従業員数は108人。ながらく社長を務めていた先々代娘婿の藤重久弥が会長となり、代表取締役社長には、直系の丸末義孝が就任した。社名も、丸末興業株式会社から改め、株式会社サークルエンドとした。
気に入らない。
古株の絵島は、新しい社名が気に入らない。後株が前株になったのも気に入らない。そもそも新しい社長が気に入らない。
新しい制服の色がエンジだった。これも気に入らない。
同族優遇に不満が爆発した営業部長が、独立して会社を設立し、好条件であちこちの解体業者から社員を引き抜いた。当然、丸末興業からも、優劣を問わず、次々と引き抜いていった。新しい会社は勢いがいい。どんどん工事も奪われていった。売り上げも落ちる。
その責を問われた社長退陣、というのが表立った理由で、本当の理由は、すい臓がんだ。すい臓はダメだ。知る限り、戻ってきた奴はいない。
それでも、オヤジなら戻ってくるのではないか、と絵島は僅かな望みを抱いていた。
暴走族だった絵島は、暴力の世界ではなく、走りの世界に傾倒していった。レースをしたり、ツーリングをしたり。そして、ツーリング先でたまたま知り合ったのが、先代社長の藤重と専務の重藤だった。
藤重は、当時専務で、重藤は、営業部長だった。藤藤コンビと呼ばれ、丸末興業を大きくした功労者である。
藤重の誘いで丸末興業に入社した絵島は、持ち前の運転センスを重機でも発揮した。
オペレーターとして、大小問わず、解体現場を次々とこなしていくうちに、エースと呼ばれるようになった。赤いフライトジャケットをよく着ていたことから、冗談で、赤い彗星などと言われたこともある。
重機オペレーターとして不動の地位を築いた頃、重藤が取ってきた大きな解体現場の職長になるよう言われた。
その現場にいたのが、川島だ。
高校を出たばかりの川島は、大きな解体現場に元請けの監督としてひとり、工事写真撮影の為だけに配置されていた。本来は、ちゃんとした担当者が常駐すべきだが、多忙からか、1週間に何度か顔を出す程度で、現場の回しは、下請けの職長である絵島がしていた。
現場事務所はないが、作業員の休憩所は置いた。その隅にちょこんと川島は座っていた。
こつこつ写真を撮り、内装解体を手伝い、足場を組むのを手伝い。
寡黙で真面目な奴だ、というのが、川島に対する絵島の印象だった。
ある時、重藤が大きなバイクで現場にやってきた。川島は、そのバイクを見て、ハマっているテレビゲームに出てくるバイクにそっくりだ!と珍しくはしゃいでいた。
絵島は、川島にバイクの免許を取ったらどうだ、とすすめた。
川島は、給料が安いから、教習所のお金がもったいない、と断った。
それから、解体工事の現場で一緒になることが多かった。ゼネコンの監督としては、解体工事の担当が多いのは珍しい。何年かして、ある現場で一緒になった時、バイクの免許を取ったのだ、と川島が言ってきた。中型免許だったので、なぜ大型を取らなかったのかと訊いたら、最寄りの教習所は大型を扱ってなかったから、と川島は答えた。付き合いがだんだん長くなるにつれ、何となく変な奴だな、という印象に変わっていった。
免許は取ったけど、バイクを買うお金がない、などと言うので、知り合いを紹介して、安くバイクを買えるように差配した。納車の日にも立ち会い、バイクの燃料タンクに貼られたステッカーについて説明した。
「このステッカーが貼ってあれば、大概の連中は因縁をつけてこないからな。」
ふぅん、と気の抜けた返事をして、川島はバイクに跨って走り去った。
後日、川島が現場にバイクでやってきた。燃料タンクを見るとステッカーを剥してあったので、なぜ剥したのか尋ねた。
「大概の連中なら自分でどうにかする。でも、そうと知って因縁をつけてくるのは、余程の相手だろうから、手に負えないかもしれない。外している方が安全だ。」
こいつは、ちょっとだけ変だ。と絵島は思った。