ケトルベル
この作品は、フィクションです。作品に登場する人物名・団体名・その他名称などは架空であり、実在する人物・団体・その他名称などとは一切関係ありません。
ダンベルを持ちながらラジオ体操をやったらどうなるのだろうか、という着想は、どこから湧いてきたのか。
バブル景気真っ盛り。ジャパンマネーで、ハリウッドスターをコマーシャルに起用しまくっていた時代(それは今も変わらないかもしれないが)。圧倒的な筋量を誇るアクションスターが、やかんを持ってポーズを決める。そんなコマーシャルがあった。”世界一のラーメン”のCMだ。
今になって思えば、あれは、やかんをケトルベルに見立てていたのだ、ということが理解できる。当時は、まだケトルベルの存在を知らなかった。しかし、やかんを持つ姿が、やけに様になっていた。その印象が強く残った。
それは、記憶の片隅で居座り続け、ある日ふと、表に現れ出でる。飛び出してくる。
その日は、基礎コンクリートの打設日で、朝からバタバタしていた。立米数は、計算上、昼休みを取るか取らないか、判断に迷う数量だった。昼飯を食い損ねるおそれが高い。よし、ここはカップラーメンを買っておこう、と朝立ち寄ったコンビニで、最もポピュラーな、赤と白のカップラーメンをレジまで持っていった。
「お箸にしますか?フォークにしますか?」
欧米か、という言葉がまず浮かんだ。しかし、口には出さなかった(当然のことだが)。
これまで、コンビニでのカップラーメン購入において、お箸をお付けしますか?と尋ねられたことはあっても、箸かフォークかの選択を迫られたことはなかった。
動揺した。
そして迷った(いや、迷うことはないのだが)。どこかで、カップラーメンをフォークで食べるのって、オシャレだな、と思っていた自分がいた。これは天啓ではないか。お導きだ。今こそ、積年の恨み、じゃない、長年の夢、というほどでもない、一度やってみたかったことをやってみるチャンスではないか。そう思って、こう答えた。
「フォークでお願いします。」
さて、恐れていた通りというか、案の定というか、いやいや、身構えたリスクは発生しないというジンクスが破れたというか、午前11時頃に出した決断は、昼休憩を取らず、やり切り、だった。
正午を回ったあたりで、相番の型枠大工は帰り支度をはじめ、長針が真下に来る頃には、差し筋の洗いだとか、そういう後始末だけが残った。ポンプ車の伝票にサインをして、以降の現場の諸々の差配などを口頭で済ませ、何かあったら言ってくれ、と事務所に戻った。一息ついてから、思い出したように引き出しを開けて、カップラーメンの入ったレジ袋に手を突っ込む。まずはカップラーメンを取り出し、次に箸を探して掴んだのは、
「ん?」
あ、フォークか、と何やら笑みがこぼれる。
湯を注いで待つ3分間。
無だ。
特に何もない。虚無。
じんわりと、勝手に蓋が開こうとするので、机の上にたまたま置いてあった蛍光ペン5色セットを載せる。
3分経って、いや、本当に3分経ったのか怪しいから、もう少し様子を見る。カップラーメンは、少しのびている方が好きだ。少しくらいオーバーしても構わない。
きっと、5分以上は経った。
思い出す。
大流行したロールプレイングゲーム。初見全滅必至。数多くの少年の冒険心を圧し折り続けた極悪ダンジョン。その凶悪さで有名な、かの洞窟。トライ&エラーを繰り返し、集中、集中。
集中し過ぎて、食べようと用意していたカップラーメンの麺が、汁をすべて吸ってしまっていた。
同じ過ちは繰り返さない。もう立派な大人。繰り返すはずがない。
蓋を開けて、慣れない手つきで、フォークを麺にぶっ刺した。
うまくいかない。
見るとやるでは大違い。
どこで見たのか。
あのコマーシャルだ。
実在する人間で、その筋量がありえるのか、と驚愕した、あのアクションスターが、カップラーメンのコマーシャルで、フォークを使って食べていた。
そういえば、あのコマーシャルは、やかんを持ちあげていたな。
「あ。」
あんな風に、ダンベルを持って、ケトルベルでもいいが、朝礼のラジオ体操をしたら、ちょうどいい筋トレになるのではないか。
思い立ったが吉日生活。
早速、試しに軽い重さのダンベルを購入し、はじめてみた。
1か月ほど様子を見て、もう少し重くてもいけそうだな、と判断し、ちょっと奮発して重くしてみた。うん、重い。思ったより重い。しかし、踏ん張って続ける。そして慣れてくる。また少し重くする。その繰り返しだ。
やがて、頭打ちになる。
ある日、プロテインは摂取していないのか、などと声を掛けられる。
その発想はなかった。いや、その概念がなかった。
少年大好物のバトル系漫画では、それはアニメにおいてもそうなのだが、当時、修行の場面は描かれていても、食事の場面が描かれていることはなかった。いや、なくはないのだろうが、そういう描写は少ない。腹が減っては戦はできぬ、のような食事描写はあるし、強いイコール大食いの描写はある。しかし、それらは大抵、エネルギー満タン、という文脈であって、一時的な補給に過ぎない。恒久的な体作りに言及した作品は、当時、見当たらなかった。
昔の話だから、確かな記憶ではない。しかしそれは置いておく。その話は本流ではない。
新しく手に入れた概念。筋トレだけでは、筋力や筋持久力はつくだろうが、筋量はつかない。食べなければ身につかない。
実際、プロテインを摂取し始めての3ヶ月は、目に見えて体が変化していった。
そして、筋トレに嵌った。
筋トレと出会えたことに感謝している。
何かの困難に直面した時、筋トレの経験によって、突破している。打ち破っている。
ありがとう筋トレ。
ありがとう筋肉。
ありがとうオーストリアン・オーク。




