第2話 願いの代償
セツナは錬金術を諦めて、別のものを探すことにした。
様々な人々と言葉を交わし、沢山の情報を集めた。
──吹き荒ぶ氷湖の『人魚』。
その肉を口にすれば、不老になるという。
──煮え滾る活火山の『火蜥蜴』。
その生き血を啜れば、不死になるという。
──漆黒の森の迷宮の『牛頭巨人』。
その骨を砕いてかければ、魂を肉体へ呼び戻すという。
──絶界の死の渓谷の『不死者』。
その魂を捧げれば、肉体を失っても生まれ変われるという。
どれも伝説級の代物であり、並大抵の苦労では手にすることができない。
それからのセツナは人が変わったように、それらを追い求めた。
そして、数々の冒険の果てに、セツナは不死者以外の物をすべて入手する。
これらの物にどこまでの効果があるかは分からない。
「どれかひとつでいい。トワの呪いを解けるなら、もうなんだっていい」
セツナはそれらに一縷の望みをかけ、ようやくトワの待つ家へと戻る。
*
セツナは自分の家に戻ったものの、目の前の光景に困惑してしまった。
「どうしてこんなに家がボロボロなの? トワ! トワはどこなの?」
家の半分は倒壊しており、すでに草木が侵食していた。
「トワ、どこにいるの? 聞いて、きっとこれで貴方の身体を治せるわ!」
だが、どこにもトワの姿は見当たらない。
セツナは、探し回ってベッドのあった場所に辿り着く。
そして、そこで発見してしまった。
かなりの時間が経過していて原型を留めていないそれを。
それでも、セツナはそれがトワだとすぐに分かった。
なぜなら、セツナの置いていった髪を大事そうに抱えていたからだ。
セツナはその場に泣き崩れてしまう。
「嫌だよ。嘘だ、こんなの絶対嘘だよ。トワ、私を一人にしないで……」
セツナは、初めて死というものを目の当たりにした。
最早、トワの肉体は朽ち果て、魂は虚無に囚われてしまった。
彼女は絶望に打ち震えた。
だが、セツナは大事なことを思い出す。
今、彼女の手には、死をも超越する切り札があることを。
だが、セツナは再び絶望することになる。
「嘘よ! 嘘よ……、こんな……」
『人魚の肉』や『火蜥蜴の血』は、生者にしか使えない。
『牛頭巨人の骨』の方は、風化してしまった亡骸には効果がない。
彼女が苦労した物は、どれも今のトワには何の効果もないものだった。
セツナは無気力になって暴れた。家具も壁も壊してしまった。
「ああ! どうしてなの! 私はトワがいればそれで良かったのに!」
結局、トワとは喧嘩別れしたままで再会もできなかった。
謝ることもできず、もはや一生分かり合えない。
「ごめんなさい、トワ……。ごめんなさい……」
セツナは、深い後悔の涙に溺れていくしかなかった。
*
セツナはそのまま何もせずに過ごした。
どれほど時間が経ったことだろうか。
その時、ふと風か、家の歪みか。偶然に奥の扉が開いていった。
そこにはトワの工房があった。
セツナは、頼りない足取りで中へと足を踏み入れる。
そこには、見たことのない肖像画が壁にかけてあった。
おそらく、トワがセツナをモチーフに描いたのだろう。
セツナに芸術のことは分からないが、上手だとは思えなかった。
だが、セツナの目に涙が溢れ、それを止めることができなかった。
なぜなら、その拙い絵にはトワの愛に溢れていた。
セツナはその絵を手に取ってみた。
すると、その裏側に一言だけ走り書きが添えられていた。
──『愛している』と。
セツナはそれから、死んだように何もない日々を過ごした。
毎日、その絵を見て過ごすだけの日々だ。
そして、ある日。
セツナは、見よう見まねでトワの肖像画を描こうとする。
だが、彼女は今まで絵など描いたことはない。
しかも、記憶の中にあるのは、最後に見たトワの悲しげな表情。
結局、肖像画はいつまでも完成しなかった。
*
失意のセツナは、ふと麓の町へと降りた。
それは『不死者』のことを思い出したからだ。
その魂を捧げることができれば、トワを虚無から救えるかもしれない。
だが、麓の町へ行くと見知った者はもう誰もいなかった。
それどころか、町並みも随分と変わってしまっている。
「私が知っている人が誰もいない。一体どういうことなの?」
セツナの泣き続けた日々は、相当に長いものだったのかもしれない。
それはもう、彼女の知っている人たちが全員老いて死んでしまうほどに。
そうして、セツナはようやく気付く。
自分こそが『不死者』であることに。
そして、トワを蝕んでいた呪いの正体が『老い』であることに。
不死者の肉体は不老不死であり、朽ちることはない。
だが、魂を失えば、不死者であろうと消滅するだろう。
それに、魂を捧げてトワが転生したとしても、セツナは彼と会うことはない。
そもそも転生してしまえば、別の人間となる。
たとえ会えたとしても、彼はセツナのことを何も知らないのだ。
だが、セツナに迷いはなかった。
すぐにトワの元へと戻り、自身の魂を捧げることにした。
それは自身の死を願い、ただ相手を求めること。
セツナは、殆ど原型の留めていないトワの肉体を抱く。
その行為に、どんな意味があるかは分からない。
彼女は、心からトワに消えてほしくなかっただけなのだ。
「トワ、戻ってきて。貴方のためなら、私はどんな代償も厭わない」
セツナの身体から霧散するように何かが消えていった。
そして、魂を失った彼女の肉体はゆっくりと倒れ、泡と消えてしまった。
こうしてトワの魂は虚無を逃れ、トワは新たな生を受ける。
だが、その人物はセツナのその献身を知ることはなかった。