第1話 賢者の石
深山幽谷に行き交う人はなく、野の獣ですら陰に紛れる。
ひっそりと佇む静寂に、人知れず隠れ住むのは男女の番──
女は長く美しい髪の持ち主で、名を『刹那』といった。
このうら若き健康的な者は、せっかちでそそっかしい性格。
良く言えば、積極的で大胆。そして、大らかである。
男の方は長い鬚を貯えており、名を『永遠』といった。
この痩せ細った弱々しい者は、おっとりとしていて臆病な性格。
良く言えば、慎重で柔和。そして、生真面目である。
トワは、奔放で明るいセツナが好きだった。
「ああ、セツナ。ボクはキミの笑顔さえあれば、もう多くを望まない」
セツナもまた、思慮深く優しいトワが大好きだった。
「ああ、トワ。私は貴方と一緒に居られるなら、他に何もいらないわ」
ただし、セツナには秘密がある。
彼女の記憶は曖昧で、いつからここにいるかを覚えていない。
それでも彼女が深く考えることはなかった。
「私にはトワがいればいいの。それ以外は些細な問題だわ」
そうして番は、悠久の日々を紡いでいく。
今日も、明日も、明後日も──
*
数日に一度、セツナは外へ狩りに出かける。
大きな弓と磨き上げたナイフを持って。
トワの方は山菜取りにいくが、いつもすぐに終わってしまう。
だから、彼女を待つ間は決まって工房に篭っていた。
トワはセツナの知らない外界を知っており、豊富な知識を持っている。
そのせいか、彼の工房は不思議なもので溢れ、神秘的な風景であった。
外界で仕入れたという、透明なガラス容器が並ぶ。
そこから、透明な長いガラス管が伸びていく。
ガラス容器には、何やら液体が溜まっている。
中には、ひどく異臭のするものもあった。
セツナが不用意に触れようとすると、トワがそれを必死に押し止めた。
だから、セツナは自然と工房には立ち入らなくなった。
*
ある日のこと。セツナが狩りから帰ると、トワの姿が見えない。
また工房に籠っているのだろうかと、彼女はそっと中を覗いてみた。
「トワ、帰ったよ。いるの? ──ああ、トワ! しっかりして!」
そこには、床に倒れたトワの姿があった。
トワは衰弱する呪いにかかっており、その症状は深刻だった。
セツナはトワを優しく抱き上げ、寝室のベッドへと寝かせる。
「ありがとう、セツナ。すまないね、キミにはいつも苦労をかける」
痩せ細ったトワの身体は、随分と小さく軽いように感じた。
セツナは寝室を出てから密かに涙を流す。
「トワ、嫌だよ。貴方が苦しむ姿を私は見ていられない」
彼女は現実を受け入れられなかった。
*
セツナは旅に出ることを決意する、『呪いを解く方法』を探すために。
「トワ、待っていて。貴方の呪いは、私がなんとかする」
トワは引き留める。
「ああ、セツナ。行かないで。どうかボクのそばにいて欲しい」
だが、セツナはその言葉を受け入れない。
セツナにとってトワこそがすべて。
トワの幸せこそが、彼女の生きる意味だった。
「いいえ、トワ。貴方の苦しみは私の苦しみ。放ってはおけないわ」
それからの数日間、二人の口から出たのは同じ内容だった。
行ったり来たりの平行線で、仕舞いには喧嘩となってしまう。
セツナは意地っ張りで、彼女が譲らないのはいつものこと。
「どうして分からないの? 貴方に苦しんで欲しくないだけなのに」
だが、その時に限っては、トワも頑なに譲ろうとしなかった。
「お願いだ、聞いてくれ。ボクの幸せはキミと在ることだけなんだ」
セツナは焦っていた。
こうしている間にも、トワの衰弱は進行していく。
「あんなトワを見ていたくはない。私はどうしたらいいの……」
そして、セツナは何も言わずに家を出ていった。
長い髪をバッサリと切って束ね、書き置きと一緒に残す。
「せめて髪を置いていくわ。トワ、これを私だと思って待っていて」
セツナは疑いもしなかったのだ。
「呪いが解ければ、必ずトワともまた分かり合えるはずよ」
*
外界へと旅立ったセツナ。
彼女にとって、そこには刺激的な世界が広がっていた。
多種多様な人々、見たこともない建物、色とりどりの景色。
セツナは思う。この世界をトワにも見せたい、と。
そして、ふと考えが過る。
「どうしてトワは私と暮らしていたの? 世界はこんなにも素晴らしいのに」
何も知らないセツナとは違い、トワは外界を知っている。
これほど素晴らしい世界なのに、彼はなぜ外界を捨てたのだろうか。
だが、セツナがいくら考えても、その理由は思いつかなかった。
トワの呪いを解くため、セツナは町で情報を集め始める。
だが、呪いを解く方法は一向に見つからない。
奇しくも、その過程でセツナは様々な知識に触れた。
その多くは、セツナにとって未知の概念だった。
──人の『死』。
その先には何も存在しない。
肉体は消滅し、魂も完全な虚無に囚われるという。
セツナは急に恐ろしくなった。
トワが死んでしまえば、もう二度と会えなくなる。
虚無に囚われるトワのことを考えると眠れなくなった。
セツナにとって、それは何よりも避けたい最悪の未来だ。
それから再び懸命に情報を集めた。
おかげで、呪いとは別に有用な情報を掴んだ。
──それは『錬金術』。
高価な金属を生み出し、不老不死の法を研究しているのだという。
そして、偶然にもその施設へ立ち入る機会が訪れる。
奇しくも、そこはトワの工房にとても良く似ていた。
だが、錬金術の知識がないセツナは、その意味を理解できなかった。
それでも有益な情報はあった。
──錬金術による『賢者の石』。
それは『不老不死となり、死者をも蘇生する』のだという。
セツナは、その石を死に物狂いで探した。
「きっとこれがあれば、トワを救うことができるはず!」
だが、見つからなかった。
「どうして? どうして何も見つからないの?」
少しずつ全容があきらかになっていく。
『錬金術』とは、詐欺師の常套句でしかなかった。
不老不死を餌に人々から金を巻き上げる。
ある意味、それこそが金を生み出す錬金術だった。
つまり、不老不死の法など最初から無かったのだ。




