「残像だ」って人生で一度は言ってみたいなって
ドマドーリの町を発ってから三日が過ぎた。
クウゴは生まれて初めての旅と、野宿をするという行為に不安よりも興味の方が勝って、飽きずにこの異世界の冒険を楽しんでいた。
想定した通り、この世界にはモンスターがいる。
ドラゴンよりも弱い魔獣と遭遇したり、食人植物が襲い掛かってきたりしたが、クウゴの敵ではないので、どうやって加減して敵を倒すことができるかという修行を進めることもできた。
食料は倒した魔獣を、掌から発射するエネルギー波で焼き、新鮮な肉を食べて過ごした。今のところ順調にこの異世界生活を過ごせている、と思った。
飢えは凌げていたのだが、三日目になると、ひとつだけ問題が浮かび上がった。
渇きだ。水が底をつきかけていた。
どれだけ自分が強かろうとも、空腹と水分補給を怠れば死んでしまうだろう。
なんとかして、水を見付ける必要があった。
「近くに川がねえかな」
最初にこの世界に来たとき、小屋の傍に川が流れていた。
現代でベッドの上で寝たきりをしていたとき、クウゴにできることは読書やネットでの、雑学集めだった。
町や文明が発達するのは、大抵水場の傍だと見たことがある。
今向かっている王都だって、国が栄える中心のはずだ。
きっと、水場は傍にあるはずだと思った。
町で貰った地図を開き、自分の大体の位置を確認すると、やはり近くに川があった。
「よし、川沿いを進んで王都を目指すとすっか」
地図に書いてある王都への道を少しだけ外れ、川の方へと進むことにした。
気持ちのいい朝の陽ざしを受けながら、林の先にある川へとたどり着く。
さらさらと小川が流れ、清涼感が気持ちを落ち着かせてくれる。
クウゴは川に入り、水筒に水を補充すると、そのまま下流へと向かって歩くことにした。
この川を辿れば王都に到着できるはずだ。
「ん……?」
人の気配を感じた。クウゴは足を止め、周囲を探る――。
木々の影や、岩陰などに身を隠すようにして、複数名に取り囲まれているようだった。
「隠れてんのは、わかってっぞ」
「ほぉー? 少しはできるようだな」
物陰からのそりと姿を現したのは、見るからに野蛮な風采の男だ。
動物の毛皮で作ったマントを着込み、両手に斧を持っている。
その男に続き、周囲で身を隠していた者たちも姿を見せた。
全員男で、やはり野性味あふれる出で立ちだ。手にしている武器は、剣や弓矢と揃っていて、総勢六名だった。
「こんなところを丸腰で歩いてるんじゃあ、襲ってくれって言ってるようなもんだぜ、小僧」
「……なんだ、もしかして……山賊とかそういう連中か?」
ここは山ではないから、山賊というのは当てはまらないが、いかにも山賊という雰囲気があったので、クウゴはそう言った。
事実、彼らはこの辺りを縄張りにしているならず者の集団だろう。
「ここは俺たち爆裂団の縄張りだ。命が欲しいなら、身ぐるみ全部置いていけ」
「うひゃー、ほんとにそのまんまの台詞じゃねえか! オラ、ビックリしちまったぞ!」
「あぁッ!? ふざけてんのか? 殺すぞ!」
「おめぇらじゃ、オラは殺せねぇよ」
クウゴは悠々と荷物を降ろし、自然体で親玉らしき男に向き合った。
その姿はどこから見ても隙だらけに見えたし、クウゴの外見も男たちと比べ小柄だ。
多勢に無勢の状況もあって、クウゴのその態度はハッタリにしか見えなかった。
「上等じゃねえか。なら、お前を殺したあと、髪の毛一本まで奪い取ってやる! やれっ!」
親玉の合図とともに、弓を構えていた男がクウゴの後ろから、矢を放った。
その矢は棒立ちしているクウゴの背中に刺さり、貫通する――!
ズガッ!
「!?」
放たれた矢は、クウゴの背中から貫通し、腹を抜け、鈍い音と共に、地面に突き刺さった。
クウゴの身体を貫通したその矢は、まるで擦り抜けたみたいに、手ごたえなく、地面に刺さったのだ。
すると、クウゴの身体が、揺らめき、かき消える。
「後ろだ」
「なっ……!?」
弓矢を構えていた男の背後に、一瞬のうちにクウゴは回り込んでいた。
矢が貫いたのは、クウゴの残像だったのだ。
ビッ!
超速の手刀が男の首筋に直撃した。
男は驚愕の顔をしたまま、がくんと崩れ落ちた。
「い、いつのまに!?」
「ま、まさか幻術魔法か!?」
相手を惑わせる魔法でも使ったのかと山賊たちは浮足立った。
なにせ、クウゴの手刀さえその目で捕らえることができなかったのだ。
弓矢を構えていた男が、勝手に白目を剥いて倒れたように見えた。
「う、狼狽えるな! 爆裂団の恐ろしさを見せつけてやれ!」
親玉が声高に号令した。部下の男たちは握りしめていた武器を手に、一斉に襲い掛かってくる。
「うおおおっ!」
「おめぇら、今この世界がドラゴンに襲われててやべぇって知ってんだろ?」
ぶんっ、と振りかぶった攻撃を、紙一重で避け、クウゴは軽いジャブを男の腹に打ち込む。
「ごえっ……」
それで、相手は気絶した。
二人目、三人目と襲い掛かってくるならず者たちの攻撃を避け、クウゴは一人ひとり、一瞬で打ちのめす。
修行の成果が出ていると思った。
しっかり加減して、相手の命を奪わず、気絶させるところまでで止められている。
「こいつ、ちょこまかと!」
当たりさえすれば倒せるとでも言いたげな男が、巨大な剣を振りかぶってきた。
クウゴはその切っ先を見据え、動きを止めた。
そして、右手の指を『チョキ』の形にして、頭部に振り下ろされてくる、巨大な剣に向けた。
ガチィイインッ!
激しい激突音が響く。
「う……、うぎぎっ! ど、どうなって、やがるっ……!」
屈強な男は、刃渡り一メートルを超える大剣を握りしめ、震えていた。
クウゴに向かって振り下ろされた剣が、ピッタリと止められていたのだ。
クウゴの人差指と中指で、白刃取りのように。
「う、うごかねえっ!」
全力で力を込めているというのに、その剣はクウゴの二本の指で止められてびくともしない。
だらだらと汗をかき、血管を浮かべる程に男は力を加えているのに、クウゴは流れる小川みたいに涼やかな表情だった。
バキィンッ!
クウゴが挟んだ指を動かし、その巨大な剣を叩き折った。
「う、嘘だろ!?」
シュッ!
残像さえ残すクウゴの超スピードで、呆気にとられた大剣の男は、吹っ飛ばされていた。
クウゴが、拳を使ったのか、脚を使ったのかも見えなかった。
気がつけば屈強な男は吹っ飛び、川の中にボチャンと落ちた。
「ば……ばかな! アレックスがやられた!」
さっきの男の名前だろう。別に相手の名前など興味はなかったが、親玉らしき男は明確に狼狽え始めた。
「う、うわああっ」
他の部下たちも焦り始め、逃げ出す素振りを見せた。
クウゴは逃げようとした部下に俊足で接近し、手刀を入れ次々と気絶させる。
「ば……ばかな……五人が、い、一分も経たずに、全滅だと……」
「あとはおめえだけだな」
両手に斧を持っている漢は、歯軋りをして、クウゴを睨みつけた。
冷や汗を浮かべ、悪夢でも見ているようだ。
「やっつける前に訊いとくぞ。なんでおめえらは、その力をドラゴン退治につかわねぇんだ」
「ば、バカ言うんじゃねえ! あんなバケモノに勝てるわきゃねえだろ!」
「だから、自分よりよえぇ奴を襲って暮らしてんのか?」
「生きるためだ!」
「オラだって、生きたかったけど、それでも誰かを不幸にしてまで生きてぇなんて、思ったことはねぇっ!」
シュバッ――!
バキィッ!
クウゴは素早く右手を突き出した。
その衝撃波だけで、親玉の持つ斧を粉砕した。
「な、な、なんなんだてめぇはぁぁぁっ!?」
クウゴの圧倒的な強さに、男は完全に戦意を消失していた。
恐怖が勝っていたと言ってもいいだろう。もう片手に持っていた斧も取り落とし、ガクガクと膝が笑いはじめている。
「降参しろ。命まで取る気はねえ」
「あ、あぅう……」
がくりと膝を落とし、爆裂団の親玉は観念した。
クウゴは気絶した手下たちをまとめてふん縛り、犯罪者たちをどこかに引き渡さなくてはならないなと考えた。
多分、王都まで連れて行けば投獄に入れてもらうことはできるだろう。
「おめぇたち、これで全員か?」
「あ、あぁ……そうだ。向こうにアジトがある。見てもらえたら、分かるはずだ……」
親玉は素直にそう言って、川向うを顎で指した。
クウゴは少し気になったので、アジトの様子も見ておこうと思った。
とん、と足で地面を蹴り、浮き上がる。
「う、浮いた……!」
親玉は目玉を丸くして、空を飛んでいくクウゴを凝視していた。
「おっ。あれだな」
アジトにしているらしき、洞穴があった。
入口に、野営の後などもあるし、ここを根城にして今まで強盗をしていたのだろう。
着地すると、洞窟の奥を進んでいく。
暗かったが、松明があったので、火をつけ進んでいくと、開けた空間に出た。
そこにはならず者たちが生活をしていたらしき跡があり、食事場や、寝床、それに奪ったであろう金品が詰め込まれている宝箱がある。
「結構悪さをしてたっぽいな」
周囲の状態を調べて、奥に進んでいくと、やがて鉄の檻を見付けた。
まるで猛獣を飼育する時に利用するような、頑丈でそこそこの大きさがある檻だった。
「!!」
その中身を見て、クウゴはぎょっとした。
なんと、そこには少女が一人身を小さくしていたのだ。
「でぇじょうぶか!?」
クウゴは急いで檻に近づくと、傍に置いてあった鍵を掴み、その扉を開いた。
檻に入ると、少女は隅に素早く移動して、こちらに怯えた顔を向けた。
「あいつら、人さらいまでしてたんか……!」
多分、この少女は誘拐されたのだと分かった。見た目が綺麗で、若い。
攫った少女をどうするつもりだったのか、簡単に想像できる。
「安心してくれ、オラは味方だ。爆裂団とかって連中はオラがやっつけたから、もうでぇじょうぶだ」
クウゴはできるだけ優しい声色で安心させようと、静かに手を伸ばしてやった。
まだ少女は警戒した顔を向けていたが、爆裂団の連中とは雰囲気が違うクウゴの様子に、おどおどとしながら、その手を取った。
「ケガしてねぇか?」
「う、うん」
「そっか、よかったぞ。オラ、クウゴ。王都に行く途中で、あの連中とやりあったんだ」
「私……エリ……」
エリと名乗った少女は、クウゴとそんなに歳が変わらないように見えた。
綺麗な瞳はパープルで、少しミステリアスだがくりっとしていて可愛らしい。髪は汚されてしまっているが、銀髪で長く流している。
上玉の少女として、人身売買に使われそうになっていたという想像はきっと当たっているだろう。
服装もぼろぼろになっていた。ここに誘拐され、酷い目に遭わされたのかもしれない。
「助けてくれて、ありがとう……クーゴ」
か細い声でお礼を言ったエリは、まだ安心しきれていないのか、強張った顔をしていた。
クウゴは少しだけでも安心させてやりたいと思って、笑顔を浮かべて見せた。
エリを洞窟から連れ出して、クウゴは少し考えた。
あのならず者たちをどうするべきかだ。
このままここに縛り付けたままにしていても、自力で逃げ出すか、はたまたモンスターに殺されるだろう。
できれば、然るべきところに連れて行き、法の裁きを受けさせるのが一番だが、そうなると王都まで六人の男たちを縛ったまま移動するという面倒なことになる。
「……エリも連れて行かねえとならねえし」
何より、この少女も安全なところまで連れて行ってやらなくてはならない。
「おっ、そうだ。いい方法があったぞ!」
クウゴは妙案を思いついて、また洞穴に戻っていく。
エリが何をするんだろうと洞穴の入口で待っていると、ごつん、ごつんと、何かが壁にぶつかる音が何度が響きながら、外に向かってくるのに気が付いた。
「えっ!?」
そして、洞穴から出てきたクウゴに驚きの声を上げる。
なんと、クウゴは先ほどエリが閉じ込められていた鉄の檻を担いで、洞穴の入口から出てきたのだ。
かなり大きいし、重量もあるその檻を一人で担いで出てくるクウゴの姿は異様だった。
檻が大きくて、通路が通れないところを、力ずくで穴を広げて通ってきたそのやり口も、エリを驚かせたことだろう。
「こいつに、あいつらを詰め込んじまおう」
軽々と鉄の檻を担ぎながら、歩き出したクウゴにエリは付いていくしかない。
やがて川までくると、クウゴはその檻を降ろし、締め上げられている爆裂団の面々を六人まとめて持ち上げた。
「ひぇええっ!?」
爆裂団の男が情けない悲鳴を上げた。
エリはその男が自分を攫った悪漢だと気が付いた。
アジトで散々怖い目に遭わせてきた男と同じ人物とは思えないほど、彼は恐怖で縮こまっている。
クウゴは六人の男をまとめてぐるぐる巻きにして、束にするとそれを檻の中にぶち込んだ。
「えーとインクとペンを貰ってたよな」
ドマドーリの町で貰った道具の中を探り、目的の物を見付けると、親玉の男のシャツに『私達は強盗です。捕まえてください』と書いて見せる。
「な、なにをする気だ!?」
完全に怯えきった男はクウゴの行動が理解できず、子供みたいに泣きじゃくっていた。
エリもクウゴの行動が理解できず、ぽかんと事の成り行きを見送るばかりだ。
だが、本当にクウゴが爆裂団を退治したということだけは理解できた。
「おめぇらをこれから王都まで郵送する」
「は!?」
クウゴは六人の大男たちがぎゅうぎゅう詰めになった檻にカギをかけると、その檻ごと持ち上げた。
「げげげっ!?」
両手で持ち上げ、クウゴは「えーと」と考える。
「エリ、王都の方角ってどっちか分かるか?」
「えっ……? あ、あっち、かな?」
「サンキュー」
クウゴはそう言うと、担いだ檻をぐいっと振りかぶる。
「ま、まさか……」
カチカチと奥歯を鳴らして涙目で男は呟いた。
「さっき地図で見た感じだと、王都までの距離は……」
「やめろぉおー! やめてくれええええー!」
「こんくらいか、なっと!」
ぶぅんっ!
「ぎょえぇぇええー……っ」
クウゴは六人の男が詰め込まれた檻を、王都目がけて、ほおり投げたのだ。
男の悲鳴が響き、遠くに消えていく。
ぱんぱん、と掌を叩き、一仕事したという感じのクウゴは、ふう、と息を吐き出す。
「これで王都でしょっ引かれるだろ」
めちゃくちゃなスケールで行動するクウゴに、エリは暫し呆気に取られていた。
――が。
「ぷっ……、あはははは!」
途端、笑いがこみ上げてきた。
自分を誘拐した男たちが怯えて、泣きじゃくりながら悲鳴を上げて飛んでいった。
その光景が、笑いに笑えた。お腹を抱えてエリは明るく笑った。
そして、自分は本当に助かったんだと実感して、このクウゴという少年の底知れない雰囲気に、強張っていた緊張を解きほぐしたのだった。