ちょっと迂闊だった
ここでは「」で括られたセリフは日本語 『』で括られたセリフは日本語以外です。
{ }で括られたものは無線通信を表します。
エフラタで一番ルームチャージの高い「ベストウエスタンホテル」。
そのロビーのソファに座り、メイナードは腕時計を見ていた。
『(ちょっと早く来たけど……)』
パイロットの使うクロノグラフなので、正確な時刻を表しているはずだ。
『(……もう十時は過ぎたよな?)』
『ハイ! メイナード……』
そんなメイナードの耳に、ちょっと訛った可愛い声……アメリカ人は、喉の奥の方で発音するため、ドスの聞いた声になりやすいのだが……比較して彼女は喉の上の方で発音しているようで、どちらかと言うと幼く聞こえる……が入ってきた。
『……待った?』
『い、いや……そんなに待ってないよ』
慌ててメイナードは、立ち上がった。
目の前にサクラがやって来ると、顔を覗き込んできた。
『そう? 退屈してそうだったじゃない?』
メイクの決まった綺麗な顔が、メイナードの目の前にあり……彼女の胸の高まりは、上着に触れそうだった。
『そ、そ、そんな事無いよ……僕が早く来ただけだから』
メイナードは、一歩下がった。
『そう? メイクに時間が掛かったから、待たせたかなって思ったんだけど』
サクラは、首を傾げた。
『大丈夫だから。 本当、早く来すぎただけ……』
メイナードは「くるっ」と体を回した。
『……っじゃ、飛行場に行こう』
『そうね、楽しみ』
サクラは、メイナードの横に並んだ。
駐車場には、マスタングのコンバーチブルモデルが止まっていた。
「すたすた」とメイナードは近づいていくと、右のドアを開けた。
『良い車じゃない。 メイナードの?』
幌が外されオープンになっているそれは、何処もしっかり磨かれていた。
『うん……学生のころに中古で買ったんだ。 さ、乗って』
『ありがと』
サクラはシートに御尻を下ろし、両足をそろえて……回して……車内に納めた。
『サクラって……やっぱり何処かの、お嬢様だったりする?……』
車の前を回って、メイナードは運転席に乗り込んだ。
『……仕草が洗練されてるよね』
『ぅふふ……それは秘密。 って事もないけど……あまり言いふらしたくないの』
サクラは、シートベルトを締めた。
『そうか……んじゃ、聞かないことにする』
メイナードは、セルのキーを回した。
サクラの目の前に「スホイ SU-29」があった。
「(……大きい……)」
それは、サクラが普段乗っている「エクストラ300L」より、ひと回り大きく見えた。
それもその筈……「スホイ SU-29」は、「エクストラ300L」より全長、翼長共に1メートル長いのだ。
最大離陸重量は1.2トンに達し……それに合わせてエンジンパワーも360馬力あった。
『えっと……私はどちらに乗る? 前? 後ろ?』
サクラは、横にいるメイナードに尋ねた。
『先ずは前が良いと思う……』
メイナードは、サクラの手をとった。
『……「エクストラ」とは、かなり違うから。 初めからは飛ばせないよ』
『ありがと……』
サクラは、持たれた手を支えに主翼に上った。
『……ここは踏んでも良いんだよね』
『うん。 その黒い滑り止めの貼ってある所なら大丈夫……』
メイナードは、手を離した。
『……コックピットに入ったら、ちょっと待ってね』
『OK』
サクラは、止めてあるストラップを外して横に寄せると、コックピットに入った。
コックピットに上半身を突っ込んで、メイナードはサクラのストラップを調整していた。
『(……や、柔らかい……良い匂いもするし……)』
当然、手はサクラの太腿やウエストに当たり、彼の頭は彼女の胸の前にある。
『大変だよね、ありがと』
ストラップは、全部で7本もある。
『いや、別に良いよ。 姉さんで慣れてるから……』
名残惜しさを出さないように、メイナードは体を起こした。
『……って言っても、僕らは体格が殆ど一緒だから……滅多に調整することは無いけど。 それじゃ、ショルダーストラップに肩を入れて』
『うん……』
サクラは、肩ベルトを通した。
『……これで良い? なんか丁度良いみたいだけど』
『え? そう?……』
確かに肩ベルトは、しっかり締まっていた。
『……ホントだ。 あ! そうか』
『なに? 何かわかった?』
サクラは、首を傾げた。
『サクラは、少し僕らより小さいけど……胸の大きさで肩ベルトを引っ張ってる……アッ! ゴメン』
『メイナード……』
珍しくサクラは、喉の奥で声を出した。
『……セクハラ!』
『ゴメン。 ホント、ゴメン』
メイナードは、ひたすら謝った。
メイナードの操作により、星型9気筒のエンジンが始動した。
「(……これまたおっきなプロペラだよな……)」
そう……「ルクシ」のプロペラは直径2メートルなのに、これは2.4メートルもある。
『暖機するから』
インカムでメイナードが言った。
『うん。 ねえ、これって「エクストラ」に比べて、随分上向きに座ってるよね。 まるでリクライニングチェアみたい』
前席に座ったサクラは、前を見ても空しか見えなかった。
『そうかな? 僕は「エクストラ」に乗ったことがないから比較できないけど……』
メイナードは、カウルのシャッター……開け閉めしてエンジンに流れる空気の量を変える……を調整した。
『……「スホイ」はプロペラが大きくて、その分メインギヤが長いんだ。 地上姿勢が上を向いているせいじゃないかな』
『だよね。 おっきなプロペラだよね。 反トルクが凄そう』
『そうだね。 だからスロットルの操作には気を使うよ……』
メイナードは、テールギヤのロックを外した。
『……んじゃ、行くね』
『ええ、いいわ』
サクラは、頷いた。
{『エフラタトラフィック N69KL スホイ29 RW22に向けてタキシー』}
昨日までは「パインカップ」のために、臨時のタワーが設置されていたのだが……今日はそれが無くなって……エフラタは、ノンタワーの空港になっていた。
メイナードは、トラフィックに宣言するとスロットルレバーを進めた。
「スホイ」は「スルスル」と進み始めた。
{『エフラタトラフィック N69KL スホイ29 RW22より離陸 空域に留まります』}
滑走路端で機体を止め、メイナードが宣言した。
『ん! 誰も居ないね』
サクラも一緒に少し耳を澄ませたが、何も無線は無かった。
『そうだね……それじゃ、上がるよ』
メイナードの操作で滑走路に入った「スホイ」は、センターラインで「くるっ」と回り、そのまま走り出した。
加速は「エクストラ」とあまり変わらず、すぐに尾翼が持ち上がり視界が開けた。
『……Vr……』
ほんの100m程で「スホイ」は、機首を上げ離陸した。
『替わろうか? ユーハブ』
滑走路の近くにある「エアロバティックボックス」の手前で、メイナードが言った。
『いいの? アイハブ』
サクラはスティックを持ち、ペダルに足を乗せた。
途端に「じわり」と反力が返ってくる。
「(……ふーん……意外と同じくらいの操作力なんだ……)」
「エクストラ」より大きくて重いのに、舵に掛かる力は同じに感じられた。
『マニューバしてもいいよ』
『いいの? それじゃ、軽くループする……』
インカムに答え、サクラはスティックを引いた。
「……ぐぅぅぅぅ……」
いきなり掛かるGにサクラは、日本語でうめき声を上げた。
「(……な、なんでこんなにGが大きい……)」
そう……Gメーターは、8Gを指している。
『……うぅぅぅぅ……サ、サクラ……引きすぎ……少し戻して……』
後席のメイナードが、スティックを少し押し戻した。
お陰でGが、小さくなった。
『……ふぅ……サクラ、大丈夫だった?』
『うぅぅ……痛かった』
『え! 何処が? 何処か怪我でもした?』
苦しそうなサクラの声に、メイナードは慌てた。
『胸……Gに引かれて胸の付け根が痛かった……』
そう……今日は、補強したブラを付けてなかったのだ。
『……って、うそうそ……な、なんでもないから……今のは忘れて』
『あ、そう……うん、僕は何も聞かなかった』
答えながらも、メイナードの顔は真っ赤だった。
メイナードの操縦で「スホイ」は、水平飛行をしていた。
『はぁ……さっきはビックリしたね。 あんなにスティックを引くんだから』
サクラから操縦を代わったメイナードは、このままでは危ないからとループの頂点でロール……所謂インメルマンターン……して水平飛行を始めたのだ。
『ごめんね……』
サクラは、前席で「しょんぼり」していた。
『……「スホイ」が、こんなにエレベーターの効きが良いとは思わなかった』
そう……大柄な機体に、重い重量……それなのに「スホイ」は「エクストラ」に比べてエレベーターの反応が敏感だったのだ。
『そうみたいだね。 ちょっと迂闊だった……』
メイナードは、周りを見渡した。
『……特に別の飛行機は飛んでないようだから……広い範囲で練習する?』
『うん……そうする。 アイハブ』
サクラは、再びスティックを握った。
『ユーハブ。 ロールから試したほうが良いかも』
メイナードは、スティックから手を離した。
『エルロンロール……ナウ』
サクラは左膝を外に開くと、両手で握ったスティックを左に倒した。
「(……エルロン重い……左踏んで、右踏んで……)」
アドバンスヨーを殺すため、一旦ラダーを左に切り……直ぐに機首を持ち上げるように右に切っていく。
「(……プッシュ……ラダーを抜いて……)」
背面飛行に近づき、スティックを押す。
「(……左踏んで……スティック中立……)」
背面飛行を通り過ぎ、左の主翼が上になった。
「(……よし! くっ!……)」
機体が一回転した時に、サクラはスティックを一瞬右に動かし……これにより、回転の慣性を殺す……その後中立にした。
文章にすると長いが……全ては1秒以下のことである。
『どうだった? イマイチかな?』
サクラは、後席のメイナードに問いかけた。
『上手だと思うよ。 初めての機体で、これだけ飛ばせるなんて』
『そう? ありがと。 「エクストラ」とは随分と操縦感覚が違うよね。 って言っても分からないかー』
『そうだね。 残念ながら、僕は「エクストラ」に乗ったことがないから』
『そうだよね。 今度、私の「ルクシ」に乗ってみる? 知らない機体に乗るって、楽しいよ』
『良いの? 是非お願いしたいな』
『良いよ。 今回のお礼になるし……』
サクラは、周りを見渡した。
『……まだ誰もいないね。 もっと色々なマニューバしても良いよね』
『うん。 まだ20分は、エアロバティック出来るよ』
『OK。 さて、次はなにをしようかな』
うきうきと、サクラはスロットルレバーを進めた。
空港ビルにあるパブで、二人は簡単な昼食を食べている。
『はぁ……楽しかったね。 メイナード』
『そうだね。 僕もサクラと飛べて楽しかったよ。 それとさ……僕の事「メイ」って呼んでいいから』
『ん? メイ? 女の子みたいだね。 そんなんで良いの?』
『いいよ。 学生の頃からの友人は、みんなそう呼ぶから』
『それじゃ、メイ。 私は、友人枠って事になるのかな?』
『うん、今はそうなるのかな? 迷惑?』
『ううん、全然。 メイは良い人だし』
『それは、ありがとう。 サクラは、愛称のような物は無いの?』
『私? ん~ 無いかなー。 サクラって、十分短い名前だし、困らないから』
『そうなんだ。 ねえ、サクラはハンガリーで生まれたんだよね。 ハンガリーってどんな所かな?』
『そうねー そんなの一言では言えないわよ。 古くからの国で、温泉があって、ドナウ川が流れてて、名前が「姓」「名」の順番だって位? 言葉は「マジャル」語。 例えばこんな風に『今日は楽しかった。 またいっしょに飛ぼうね』 全然分からないでしょ』
『なんていったの? 全然分からないよ。 でも、サクラの声って可愛いよね』
『かわ……可愛い? そんなことないよ。 それでいったら……メイはナイスガイね。 紳士だわ』
『それは……嬉しいけど……何か照れるね』
『ぅふふ……これでおあいこね』
二人、頬を染めて顔を伏せた。