フリー演技
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{ }で括られたものは無線通信を表します。
「(……はぁ 4番かー……)」
無造作に張り出されたプリントを見て、サクラは胸の中で溜息を吐いた。
「(……やっぱり、ロール速度が違うもんなー 目標が無いときは、難しい……)」
『ハイ! サクラ』
胸の下で腕を組んでプリントを睨むサクラを、ハスキーな声が呼んだ。
「(……ん?……)」
腕を解いて、サクラは振り向いた。
『やっと来れたわ。 どう? 成績は』
そこには、メアリとメイナードの姉弟が立っていた。
『メアリ、メイナード……』
サクラは「ふっ」と、強張っていた顔から力を抜いた。
『……全然ダメ。 5人中4番目よ』
『そう……でも、まだノウンが終わっただけよ。 まだまだ挽回するチャンスはあるわ』
メアリは、サクラの横に来た。
『それが出来ればいいけど……』
サクラは、再びプリントに視線を向けた。
『……3番の人と250点ぐらい差が有るんだよね。 それはそうと……』
サクラは、メアリを見た。
『メアリは1番だよ。 凄いね』
『ありがと、ノウンは得意なのよ。 そこは、メイナードも一緒なの』
そう……張り出されているスポーツマンの成績を見ると、メイナードが1番だった。
『……ヒュー……っと、メアリ?……』
『……ヘイ、レディ……げ! メアリじゃないか……』
『……ハイ、キューティ……っと……メアリも一緒か?……』
・
・
・
サクラに声を掛けてきた男達が、何故かメアリを見た途端に口を噤む。
『メアリ、って……有名?』
気にならないほうが可笑しいだろう。
『ま、ちょっとね……』
サクラに答えながら、メアリはすまし顔で「すたすた」歩いている。
『……色々あるのよ』
『姉さんは、この辺では有名だよ……』
後ろを付いてくるメイナードが、口を挟んだ。
『……僕達は、このエフラタをメインで飛んでるんだ。 だから……』
『メイナード! 余計な事は言わない事よ』
メアリの声が飛んだ。
『わ、分かってるよ』
メイナードは、何故かサクラの後ろに隠れた。
三人は、空港ビルの中でイロナ達と落合い、テーブルを囲んだ。
『これがサクラのフリーね……』
メアリは、ジャッジペーパーを広げている。
『……なかなか上手くまとまってるじゃない。 特にこのY軸から演技が始まるのなんて、ジャッジの目を引くのに効果的だと思うわ』
『ありがと。 割と自信が有ったんだけど……ふぅ……』
サクラは、テーブルの上で顎を腕に乗せている。
『……何だか、それも無くなってきちゃった』
『大丈夫だよ、サクラは上手く飛んでるから。 それに……』
メイナードは、ペーパーを指差した。
『……ここなんて、背面からの「ローリングサークル」だよね。 こんなの……アンリミテッドの演技じゃない? 少しぐらいの減点なんて、問題にならないほどの係数だよ』
『それに……サクラは、ロールレートに戸惑ってるみたいだけど……このフリーには上向きでロールをするところが2ヶ所しかないのよ。 12個の演技でよ……』
メアリは、一つずつ演技を指した。
『……ここと、ここね。 まるでこうなる事を読んでたみたいじゃない。 大丈夫、自信を持ちなさい』
『二人とも、ありがと。 何だか、飛べるような気がしてきた』
サクラは、体を起こして胸を張った。
シルバーの「エクストラ330SC」が……音楽に合わせて……空の上でダンスを踊っていた。
まるで重力など無いように……空中に止まって……縦に、横に、斜めに……「くるくる」と回る。
かと思うと……垂直に昇りながら……何度も何度もロールをする。
木の葉のように「ひらひら」と落ちてくると……「ピシッ」と機体を安定させ、再び上昇していく。
そして……それらの軌跡は、濃く吐き出されるスモークにより明示されていた。
「(……凄い……)」
サクラは、「ポカン」と空を見ている。
「(……やっぱり室伏さんって、上手なんだ……)」
今行われているのは「4ミニッツ フリー」と呼ばれる、アンリミデッドクラスだけにある演技で……その名の通り……4分間自由に飛ぶことができる。
パイロットは、自分の持つ技能を……なんの制限もなく……披露することが出来るのだ。
それ以下のクラスにもフリーはあるのだが……それらは、自由とは言えど制限が課せられている。
ちょうどフィギュアスケートのフリー演技で、ジャンプの種類や回数に制限が設けられているのと同じである。
それに対して「4ミニッツ フリー」は……先ほども書いたように……なんの制限もない。
ただ「エアロバティックボックス」からはみ出さなければ良いのだ。
「(……終わった……)」
空港に流れていた音楽が止まり、「エクストラ330SC」はバンクを3回振った。
サクラは、待機位置でゆっくりと「エクストラ330SC」を旋回させていた。
「ちらっちらっ」、と「エアロバティックボックス」を見れば、黒を基調としたラッピングの「スホイ」が演技をしている。
「(……あ、終わったかな?……)」
何度目か「ボックス」を見た時「スホイ」はバンクを打った。
{『サクラ エフラタコントロール ボックスに進入して宜しい』}
どうやら、本当にメアリは演技を終わったらしい。
「スホイ」がボックスから出て行った所で、無線が入った。
{『コントロール サクラ ボックスに向かいます』}
サクラは、機体をエプロンから離れるように向けた。
機首の下にエフラタの空港ビルやエプロン……そこに並んでいるエアロバティック機が見える。
今サクラは「ボックス」のY軸と平行に飛んでいた。
「(……よし!……)」
サクラは、スティックを左・右・左・右と動かす。
「エクストラ330SC」は左に2回バンクを打った。
さあ……これからは、飛行全てに点数が付く。
「(……ふぅ……)」
息を吐いたサクラは、驚くほど落ち着いていた。
ボックスのセンターマークが主翼に隠れた。
サクラは、スロットルレバーを手前に引き、スティックを押した。
「エクストラ330SC」は、水平飛行から下向きに逆宙返りを始める。
「(……ふぅぅぅぅ……)」
マイナスGで、サクラはシートから浮き上がりそうになった。
「(……よし!……)」
勿論、ベルトで硬く止められていて浮き上がったりはしない。
サクラは、サイティングデバイスを見て垂直を確かめた。
機体は、真っ逆さまに落ちていく。
「(……くっ!……)」
サクラは、右腕だけでスティックを右に倒した。
何故いつもの様に両手を使わないのか……
つまり、片手だけを使う事で「エクストラ330SC」のロール感度をワザと下げることにしたのだ。
これで、やや切れに欠けることになるが……回りすぎて減点を食らう事が少なくなると、サクラは考えたのだった。
キャノピーの上の方に見えていた滑走路が、「ぐるっ」と回り左側になった。
「(……くっ! んっ!……)」
空かさずサクラは、スティックを中立を通り越した所まで戻し、慣性を打ち消して中立にした。
スロットルレバーを前に進め、左手をスティックに添える。
サクラは、今度は両手でスティックを引いた。
「(……ぐぅぅぅぅぅぅ・ぅ・ぅ・ぅ……)」
垂直降下から垂直上昇への引き起こしである。
お腹に力を入れ、血液が下がるのを堪えるサクラを、巨大なGがシートに押し付けた。
「(……はっ……はっ……はぁ……よし!……)」
機体が上を向くに従い少しずつGは小さくなり、サクラはサイティングデバイスを見て垂直になったところでスティックを戻した。
「(……良いかな?……)」
背凭れに体重を預け一息ついた後……サクラは、ユックリとスティックを引いた。
地平線が上から降りてくる。
「(……ここだ!……)」
それが真正面になる寸前、サクラはスティックを僅かに押した位置に戻した。
「エクストラ330SC」は、背面飛行を始めた。
サクラは、スロットレバーをイッパイ手前に引いた。
エンジンはアイドリングになり、機体は推力を失った。
サクラは、下がっていく速度に合わせてスティックを押して、機体が高度を落とさないようにする。
機首を上げることになり……背面飛行中なので、スティックを押すと機首が上がる……抵抗の増えた機体は、更に速度を落としていく。
「(……もうちょい……もうちょい……)」
機体が傾かないように地平線を確かめながら、サクラは速度計の針が回るのを見ていた。
「(……もうすぐ……)」
59ノットが近づくにつれ、スティックを押し返す力が弱くなり……
「(……えいっ!……)」
失速した機体が機首を下げた瞬間、サクラは右ラダーペダルを蹴った。
「エクストラ330SC」は、スピンを始めた。
機首の向こう側に見える地面が「くるり」と回る。
「(……っやぁ!……)」
1/2回ったところで、サクラはスティックを中立にして左ラダーペダルを踏んだ。
「エクストラ330SC」はスピンからの回復に1/2回転掛かるのだ。
「(……よっし、良いところで止まった……)」
上手く一回転のスピンをして、機体は垂直降下姿勢になった。
サクラは、左手をスティクに添え……
「(……くっ!……)」
それを引いた。
「(……くぅぅぅぅ……よし!……)」
Gがサクラを襲うが、それも水平飛行までである。
サクラは、左手をスティックからスロットルレバーに戻した。
『お疲れ様。 出来はまあまあかな?』
メアリが、エプロンに留めた「スホイ」のエンジンを止め、キャノピーを開けるとメイナードが覗いて来た。
『そうねー いまいちかな?……』
メアリは、ベルトを外した。
『……どうもスッキリしないのよ。 サクラのように、もっと捻った演技をするべきかしら。 っと、サクラは?』
『んー 良い飛びをしてるよ……』
メイナードは、空を見上げた。
『……今は……ん? ブレイクしたみたいだね』
『あら、ホント……どうしたのかしら?』
「エクストラ330SC」は、バンクを振って「エアロバティックボックス」から出て行った。
バンクを振って合図をすれば、演技を中断することが出来るのだ。
『あ! 分かった。 ローリングサークルをするために、位置を調整するんだ』
『そうみたいね。 帰って来たわ』
二人が見守るうちに「エクストラ330SC」は、Uターンをしてボックスに入って来た。
バンクを振って、再び演技を始める。
『わ! 綺麗……』
メイナードは、思わず声をあげた。
『……凄く滑らかなローリングサークルだよ。 こんなの見た事ない』
『ホント……これは、芸術だわ』
メアリは、機体から降りるのも忘れて見惚れていた。
ベンは、高槻と並んで……彼らの生徒である……サクラの演技を見ていた。
『ユウイチ……俺は、サクラのローリングサークルを見たことが無かったんだが……こんなに上手かったのか?』
『そうだったか?……』
言われて、高槻は首を傾げた。
『……俺と練習していた時は、こんなものだったぞ。 てっきり、ベンが教えたと思ってたんだが』
『いや、俺はサクラに教えてない。 しかし……これは……いや、まさか……』
ベンは、ぶつぶつ言いながら首を振った。
『……似てる』
『なんだ? 何が似てるんだ?』
『ヨシアキだ。 ヨシアキのローリングサークルにそっくりだ……』
ベンは、「エクストラ330SC」を指差した。
『……あそこだ……あのラダーとエレベーターの繋がり。 あの滑らかな連動は……あれは、俺が変態的な舵のバランスだ、って揶揄ったものだ。 あんなのはヨシアキじゃなきゃ、出来ない。 少なくとも俺は出来なかった』
『ほぉ……言われて見れば、確かにあれは見事だな。 この演技は、いい点が出るだろう』
高槻は、うんうん頷いた。
『ユウイチ、事はそんなに簡単なものじゃない。 あれはヨシアキしか出来ないんだぜ……』
ベンは、両手を空に向かって上げた。
『……見つけた。 ヨシアキだ! ヨシアキは生きてたんだ!』
差し上げた腕の先……「エクストラ330SC」は「ローリングサークル」を終えて、再びバンクを振ってボックスから出て行った。