サイテーション サクラ
ここでは「」で括られたセリフは日本語 『』で括られたセリフは日本語以外です。
{ }で括られたものは無線通信を表します。
十一月も中旬……秋も深まり、高知空港には冷たい北西風が吹いていた。
「(……もう一年経つんだなぁ……)」
そう……サクラがニコレットと共に高知空港に降り立ったのは、一年前だった。
「(……いろいろあったけど……やりたい事に対して進んだのか、進んでないのか……よくわからないなぁ……)」
サクラは、格納庫の中のソファーに座って……航空無線を聞きながら……紅茶を飲んでいた。
{『高知タワー HA-SKL(ホテル アルファ ダッシュ シエラ キロ リマ) セスナ サイテーション テン 着陸のため東南東30マイルを飛行中 情報Nを確認済み』}
その無線機が、待望の通信をスピーカーから流した。
「(……来た!……)」
HAという国籍記号は、ハンガリーを表している。
つまり、イロナの乗ったヴェレシュのジェット機が、やって来たのだ。
{『サイテーションSKL 高知タワー ストレートイン 10マイル手前で報告してください』}
{『高知タワー サイテーション サクラ ストレートイン 10マイル手前で報告』}
「(……チョッと待て!……)」
よく交わされる着陸前の通信だが……途中におかしな所があった。
「(……何だよ、サクラって……ひょっとしてSKLはサクラ?……)」
そう……サクラはSzakulaと綴るのだ。
「(……まさか私にくれる、ってんじゃないよな? あのおっさん、親ばかだから……)」
サクラの懸念も、あながち間違いでは無いだろう。
エンジンを後部に2機搭載し、翼端にウイングレットの付いたジェット機が、エプロンに入ってきた。
「(……サイテーションXだって言ってたけど……+(プラス)の方じゃないか……)」
そう……それはセスナの最新式のビジネスジェットだった。
「(……20億円以上するんじゃないかな……)」
呆れて見ているサクラの前に……マーシャラーのサインに合わせて……その機体は止まった。
スマートな機首に、ややお腹の出たような胴体……高い垂直尾翼の上に水平尾翼……そして……
「(……でっかいエンジンだよなー まるで胴体が三つあるみたいだ……)」
後部のエンジンは、その存在を主張していた。
エンジンが止まり、機首のドアが外側に倒れるように開くと……それの内側は階段になっている……そこにニコレットが立っていた。
『サクラ! 久しぶり』
ニコレットは、ワンピースが風で捲れないように片手で押さえて、階段を降りてきた。
『ニ、ニコレット! 大丈夫なの? 赤ちゃんが居るんでしょ』
サクラは、慌てて階段の下に駆け寄った。
『大丈夫よ。 今は安定期だから』
ニコレットは、両手を広げた。
サクラは、その中に飛び込むと……
『久しぶり! 赤ちゃんが出来たって……ビックリしたよ』
おっかなびっくり……ハグした。
『私は、よしたほうが良いって言ったんだけどね』
イロナは、いつものビジネススーツ姿で降りてきた。
『イロナ……お帰り』
サクラは、イロナともハグをした。
そして……
『俺が一緒だから、大丈夫だよ……』
『げ! ツェツィル』
『……げ、って……それはないよサクラ』
サクラは、ツェツィルから距離を取った。
『サクラ……それは可哀想だわ』
そして最後に降りてきたのは……
『フランツィシュカお姉さん! お姉さんも来たの!?』
病院で会ってから以来のフランツィシュカ……ツェツィルの奥さん……だった。
『さて……』
今日来たメンバーとサクラは、高知空港ビルの中にあるサクラの部屋に集まっていた。
『……今日来たのは、サクラの検査もあるけど……』
皆の前でフランツィシュカは、話し始めた。
『……新しい会社の事をサクラに説明するためよ』
『新しい会社?』
突然の事にサクラは「きょとん」とした。
『ええ、そうよ。 貴女の希望に沿うために、イロナとニコレットが提案してきたの』
フランツィシュカは、ニコレットに目配せした。
『サクラは、自分がスポンサーになってでも、レースを開催したいのよね?』
『うん。 このままじゃ、なんとも動きが取れないから』
サクラは、ニコレットに向かって頷いた。
『分かったわ。 そんなサクラのために、私とイロナが考えたのが、投資会社を作る事だったの。 イロナお願い』
『ここに資料を持って来たわ……』
ニコレットに促され、イロナはバッグからファイルを取り出し……
『……先ずは見てちょうだい』
テーブルに広げた。
『良く分からない……』
真っ先にサクラが、音を上げた。
『……なんで会社を作るの?』
『簡単に言うとね……』
それをニコレットが拾った。
『……個人の資本じゃ限界があるの。 だって、お金は使えば減るのよ。 それを会社組織とすることにより、減った分より増える分を多くしてやろう、って訳なのよ』
『それって……どうやって?』
サクラは首を傾げた。
『そうね……今考えてるのは……先ず、小さな広告代理店を買収するの……』
ニコレットは、イロナの出したファイルにアンダーラインを引いた。
『……時価総額として5億位かしら。 でもそのままじゃ、資本金が足りない……信用してもらうためにね……だから、増資する。 希望としては40億。 それをサクラが20億、ヴェレシュが20億引き受けるのよ。 分かる? 貴女は半分ちょっと出すだけで、会社をコントロールできる。 株の持ち数が50パーセントを超えるから』
『うん……そこまでは分かった。 でも、それだけじゃ……お金が減っていくのは同じじゃない?』
サクラは頷いた。
『そうね、このままじゃダメよ……』
ニコレットは、ファイルにペンでチェックを入れた。
『……ここからが重要なの。 この会社は、広告代理店だけど……ネット配信に強みを持ってるの。 だから、世界中で行われているスポーツイベント……狙ってるのはエンジンを使った乗り物によるスポーツね。 それをネット配信するのよ。 メジャーでないと言っても、世界中で10万や100万人はファンが居るわよね。 だったら……広告を入れてくれ、って会社も現れるわ』
『それって、例えば……サンドバギーのレースとか……スノーモービルでジャンプする奴とか、かな?』
サクラも、何となく見たことがある。
『そうよ。 そんなスポーツは、なかなか配信されないから……きっとファンは飛びつくわ。 だから、見るのに会費を取るの。 それだけでも、結構な金額になる筈よ。 これも重要は収入ね』
『そうか……会費だけでも億の単位になるんだ』
ふんふん、とサクラは頷いた。
『まあ、細かいところは置いといて……』
フランツィシュカが、話を引き継いだ。
『……その提案をヴェレシュは引き受けたの』
『えっと……引き受けたって……20億出資する事?』
サクラは、ファイルを見ていた顔をフランツィシュカに向けた。
『ええ、そうよ……』
フランツィシュカは、ニッコリした。
『……でもね……ヴェレシュはしっかり口を出すわよ。 何たって50パーセント弱の株を持つんだから。 役員の数は半分貰うわよ』
『いえ、フランツィシュカ様。 そこはしっかり差を付けさせて頂きます』
透かさず、ニコレットが口を挟んだ。
サクラは、サイテーションの所に来た。
「(……こいつ早いんだよなー 確かマッハ0.92だったかな?……)」
見上げる先では、高所作業車に乗ったグランドクルーが、エンジンのサービスドアを開けていた。
『サクラ様……』
いつの間に来たのか……袖に4本の金モールが入ったブレザーを着ている壮年……40代?……の男と、同じデザインのブレザー……ただしモールは3本……を着た女性が居た。
『……初めてご挨拶いたします。 タマーシュで御座います』
『ローザで御座います』
『タマーシュとローザね。 よろしく……』
サクラは、頭を下げる二人を見た。
『……って……貴方たち、以前名古屋に飛んだときに居なかった? 特にローザ……貴女、キャビンアテンダントしてなかった?』
そう……夏に名古屋に行くときに乗った飛行機の、パイロットとキャビンアテンダントは……イロナの言うには……ヴェレシュの人間だと言うことだったし、ローザはその時のキャビンアテンダント、その人だった。
『はい。 私達で御座いました……』
タマーシュは、再び頭を下げた。
『……更に言えば……一年前に、サクラ様がヘルシンキから関西国際空港に飛んだときにも、機長をしておりました』
『あ、そうだったんだ。 ご苦労様、ありがとう』
サクラは、軽く頭を下げた。
『勿体無いお言葉に御座います……』
タマーシュは、更に深く頭を下げた。
『……ただの使用人で御座いますれば、どうぞ頭を下げるのは止めて頂きたく』
『そう言ってもね……はぁ、仕方が無い……分かったわ……顔を見せて……』
タマーシュとローザは、頭を上げた。
『……明日、飛んでくれるのよね』
『はい。 サクラ様のために、しっかり勤めさせていただきます』
サクラの目を見て、タマーシュは言った。
『この飛行機は、どう?』
タマーシュとローザが、階段を上って機内に行った後も整備風景を見ていたサクラの横に、フランツィシュカが立った。
『どう? って……いい飛行機ですね』
『そうでしょ。 これ、貴女にあげるわ』
『え! ちょ、ちょっと待って、お姉さん……』
サクラは、首を回してフランツィシュカを見た。
『……これって、20億以上するはずです。 そんな……おもちゃを譲るみたいに簡単に……それに、私は操縦出来ないし』
『あら? ほんの2000万ユーロよ……』
フランツィシュカは、少し上にあるサクラの目を見た。
『……それに、クルーも付けてあげるから』
貴女が操縦しなくてもいいのよ、とフランツィシュカはウインクをした。
『これって、貴女のためにお父さんが買ったのよ』
二人は、サイテーションに入り座席に座った。
テーブルを挟んで向き合ったシートは座り心地の良いレザーが貼ってあり、何時間でも座っていられそうだ。
そして客席の後ろ半分に、まるでMRI装置のような機械が積まれていた。
『え? ボディースキャナーを持ってくる、って話はつい最近出たと思うんだけど……こんな飛行機、注文してから何週間も掛かるんじゃないかな?』
サクラは、首を傾げた。
『うふ……貴女の、その仕草……相変わらず可愛いわね……ローザ、コーヒーを淹れて』
『はい、畏まりました……』
フランツィシュカの指示を受け、コックピットに居たローザが客室に来た。
『……サクラ様は、如何いたしましょう?』
『私は、紅茶にして』
『畏まりました』
ローザは、作りつけられたキッチンで作業を始めた。
『んで、さっきの話……お父さんは、貴女の誕生日に贈るつもりだったのよ。 でも、思いついたのが遅かったから……出来上がったのが9月になっちゃったのね』
あは、ドジよね、とフランツィシュカが苦笑した。
『はぁ~~ 考えられない。 何なのそれ……幾らなんでも、ジェット機を贈り物にする? お父さん、大丈夫かなぁ』
サクラは、盛大に溜息を付いた。
『ん、まあ……そう言ってあげなさんな。 お父さん、貴女が好きなのよ。 お母さんにそっくりだから』
『そうは言っても……これは高すぎるよね』
『そうね。 まあ、こんなのは今回だけだと思うわ。 日本では20歳で成人なんでしょ。 それに合わせたのよ。 つまり成人祝いね』
おめでとう、とフランツィシュカが微笑んだ。