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ここでは「」で括られたセリフは日本語 『』で括られたセリフは日本語以外です。
{ }で括られたものは無線通信を表します。
眼下を海面が流れ、防波堤の前に広がる砂浜が近づいてくる。
「エクストラ300LX」の前席に乗り、室伏は天辺にバルーンを付けたポールを見つめていた。
「(……ん! 加重を抜いた?……)」
室伏は、それまで感じていた重力が無くなった事に気が付いた。
途端……
{「くっ!」}
気合の篭った……しかし何処か可愛い……掛け声がインカムから聞こえた。
後席と連動しているスティックが左に倒され、機体は左にロールする。
「(……ほお! ちゃんと釣り合ってる……)」
「エクストラ300LX」は、機軸を揺らす事無くバンクを取った。
{「ふっ!」}
「(……おっと!……)」
主翼が殆ど垂直になった所でスティックが手前に動き、室伏はその先端でお腹を打った。
「(……ん! くうううう……)」
途端に立ち上がるGに、室伏は力を込めた。
「(……こ、これは……引きすぎじゃないか?……)」
そう……室伏ほどのベテランになると、バンク角によるGの大きさは直感で分かるのだ。
「(……上昇するぜ……っと、やっぱり……)」
室伏の眼前にある昇降計は、明らかに上昇を示していた。
そのまま数秒……
{「くっ!」}
ニュートラルに戻されたスティックが、右に倒された。
「(……うん……釣り合ってるな……)」
「エクストラ300LX」は、機軸を進行方向からずらす事無く、右にロールした。
「……はぁ、はぁ……ど、どうでした?」
いつもの練習コースを2周して、サクラは室伏に尋ねた。
そう……帰国の連絡があって三週間……今日の朝、室伏は高知に来たのだ。
{「そうだなー……」}
インカムの向こうで、室伏は歯切れが悪い。
{「……言いにくいんだが」}
「構いません。 言ってください」
{「じゃ、言うぞ……このままじゃ、ダメだ。 サクラちゃんは、ラダーを使ってないよな? と言うか……使えないのかな? それでアドバンスヨーを抑えるために、揚力を抜く事で誤魔化してる」}
「つ、使えます。 ちゃんと旋回時は踏んでます」
{「そりゃ、そうだ。 でなきゃライセンスは取れないさ。 そうじゃなくて……レースで飛ぶ低空での事だ」}
流石に室伏は、誤魔化せない。
「だ、だって……怖いじゃないですか。 機首を下に向ける方向に踏むんですよ」
だからサクラは、開き直る事にした。
海面上、高度30メートルを「エクストラ300LX」が飛んでいる。
{「右ターン!」}
いきなり室伏のコールが、インカムから聞こえた。
「くっ!」
サクラは、スティックを右に倒す。
「(……うっ!……)」
それと同時に動いたラダーペダルにより、脚が強制的に動かされた。
「(……ん! くうううう……)」
しかし、それも一瞬……引かれたスティックにより旋回のGが掛かった。
{「よし! リカバリ」}
室伏の声に、サクラはスティックを左に倒し、機体は水平に戻った。
「……は、はぁはぁ……」
{「どうだ? 慣れたら怖くないだろ?」}
「こ、怖いです! 下腹がキュ、となって……お尻がムズムズします」
{「そうか? まだまだ慣れが足りないなぁ……もう一度やるぞ」}
「ま、まだするの……」
一体何をしているのか……つまり、結局は慣れの問題だろうと……サクラの操作に合わせて室伏が、強制的にラダーペダルを操作しているのだ。
いきなり始めるのは、荷重を抜く操作を出来ないようにするためで……その為サクラは「ドキドキ」しっ放しなのだった。
「……もういいでしょ。 帰りましょう」
泣き言が出るのも仕方がないかもしれない。
{「いーや、まだまだ燃料はある」}
そして、室伏は意外とスパルタだった。
「はぁ……疲れた」
格納庫の中にあるソファに、サクラは倒れこむように座った。
「どうかな? 少しは慣れたように思うんだが……」
室伏は、向い側に腰を下ろした。
「……一週間も続ければ、何とかなるかな?」
「嫌です! こんなのは、もう沢山……」
サクラは、隅に立っているクルーを手招きした。
『……アンナ、コーヒーを淹れて。 紅茶じゃ持たないわ』
『はい、畏まりました。 室伏様は、如何いたしましょう?』
当然のように、アンナは尋ねた。
『そうねー チョッと待って……』
自分だけ飲むのは、確かに不味いよね、とサクラは気が付いた。
「……室伏さん、何か飲みますか? 私はコーヒーですけど」
「お! それは有り難い。 それじゃ、俺もコーヒーを」
ハンガリー語が分からない室伏は、何か考え事をしていた。
「コーヒーですね。 分かりました」
これ位の日本語は分かるアンナは、お辞儀をして下がった。
「何を考えていたんですか? 室伏さん」
コーヒーが用意できるまで、とフライトスーツからいつものジーンズとシャツスタイルに着替えたサクラが、再びソファに座った。
「ん? いや……ちょっとな……」
室伏は、アンナの置いていったコーヒーカップを持った。
「……サクラちゃんの努力は、報われるんだろうか? なんてな」
「え? どういう事ですか?」
ポカンとサクラは、室伏を見た。
「いや……実はな……レースのスポンサー探し……」
室伏は、コーヒーを一口飲んだ。
「……どうも上手く行ってない様なんだ」
「そ、そうなんですね……」
サクラもコーヒーカップを取り上げた。
「……実は、私の実家にも話があった様なんです。 けど……」
「けど?」
室伏は、カップをソーサーに戻した。
「……断った様です。 ごめんなさい」
「いや、別にサクラちゃんが悪いわけじゃないし……」
室伏は、ソファに深く座り直した。
「……さて、これからどうなるか? 少なくても、このままじゃ来シーズンも、中断は続くだろうな」
「そうですか……」
サクラは、カップを置いた。
「……何とかならないかなぁ」
そしてソファに背中を預けて、目を閉じた。
「室伏さん……」
二人が黙ったまま数分……サクラは、口を開いた。
「……費用はどれ位を想定してるんでしょうか?」
「ん……聞いた話だと……50から60億。 6戦するとしてだな」
室伏は、膝の上に肘を乗せ、組んだ指に顎を乗せた。
「6戦で60億ですか……1戦あたり10億ですね」
サクラは、ソファから背中を離した。
「いや……1戦あたり5億だ。 パイロンや組み立て式の格納庫などは、最初に用意すればいいから……逆に用意する段階で、30億見積もっている」
「と、言うことは……ふぅ……」
サクラは、小さく息を吐いた。
「……一回しか開催しなくても35億いる訳ですね」
「うん……サクラちゃんの考えは、分かった……」
室伏は、頷いた。
「……初めから全額用意せずに、転戦しながら集めよう、っていうんだな」
「はい。 実際に開催して見せれば……スポンサーも見つけやすいんじゃないかな、と思ったんですが……」
サクラは、胸の下で腕を組んだ。
大きな胸が、少し持ち上がる。
「……初期費用が、意外と大きいですね」
「ああ……大きいな……」
室伏は、サクラの胸に「ちらり」と視線を向けた。
「……それだから、苦労してるって訳だ」
格納庫の隅に置いたシミュレーターの椅子に、サクラは座った。
「んじゃ、始めます」
50インチの大きなモニターの中に「エクストラ300L」のコックピットが映っている。
「300LXのコックピットじゃないんだな」
室伏が、後ろから見ていた。
「ええ、これはネットに落ちていたデータなんです。 ルクシちゃんはワンオフなので……3Dデータは無いんです」
画面の中では、下に映っている海面が線を引いたように後ろに流れていた。
「そうか……ま、大した違いじゃないから、問題は無いだろう。 お! パイロンが見えてきたな」
水平線に二つ並んだ……スタート点を示す……チェック柄のタワーが見えた。
「行きます」
サクラはスティックを操作して「エクストラ300L」を二つのパイロンの間に向けた。
「1分12秒」
ストップウォッチを止めた室伏が、数値を読んだ。
「……はぁはぁ……どうです?」
シミュレーターの椅子の上で、サクラは大きく息を弾ませた。
「んー 上手い事飛ぶんだな」
「でしょ。 この飛び方でも、上手く行くんですから……」
サクラは、椅子から降りた。
「……どうぞ、室伏さんの番ですよ」
「ああ、良いぜ……ただ、チョッと待ってくれ。 コースを頭に入れるから」
頷くと、室伏はモニターに表示されているコース図を見つめた。
「1分8秒……」
サクラは、止めたストップウォッチを見た。
「……悔しい」
「……ふぅ……」
室伏は、スティックから手を離して伸びをした。
「……どうだい? 差が出ただろ」
「う、うん……」
サクラは、改めてストップウォッチを確かめた。
「……そうですね。 4秒……こんなに違うとは思いませんでした」
「これがラダーを使ってバランスの良い……釣り合いの取れた旋回をする、って事なんだ。 サクラちゃんの旋回だと……高度が下がるのをエレベーターを引いて……余分に引いている。 つまり必要以上のGを掛けているんだ。 Gが大きければ大きいほど空気抵抗は大きくなる。 更にレースの場合、最大のGは10Gと決まっているから……それを越さないようにするために……バンク角を小さくしなくちゃならない。 するとどうなるかい?」
室伏は、ニッコリとサクラを見た。
「旋回半径が、大きくなります」
「その通り……つまり長い距離を飛ぶことになる。 だからタイムが悪くなる」
室伏は、頷いた。
「分かりました。 ラダーを使うように練習します」
サクラも、深く頷いた。
夜になり、サクラは「いつか」の様にベッドの上でスマホに話しかけていた。
『ねえ、イロナ。 私の資産って、確か100億程度だったよね』
『……ええ、その位ね。 それがどうしたの?』
相変わらず、少し音声に遅れがあるようだ。
『それ、半分ぐらい使ってもいいかなぁ?』
『……使うのは、サクラの勝手だけど……そんな大金、いったい何に使うつもり? 会社でも買収するの?』
イロナの声に、呆れが入った。
『ん~ 無駄遣い?』
『……無駄かどうかは、話だけじゃ分からないけど……何に使うの?』
『レース。 レースのスポンサーになろうかな、って』
『……レース? 貴方、出場するのを狙ってたじゃない。 諦めたの?』
『諦めたわけじゃない。 けど……』
サクラは、スマホを手に持った。
『……今のままじゃ、レースは開催されないんだ。 それじゃ、いくら練習したって空しいよ』
『……そうね……レースのスポンサーが見つからずに困ってる、ていうのは聞いてるわ……』
スマホにイロナの顔が映った。
『……でも、貴方の資産では2年で再び資金不足よ。 これは投資と同じなのよ。 ちゃんと回収できる予測が立たない限り……スポンサーになるべきではないわ』
イロナの顔は、何時に無く真剣だ。
『う、うん……その辺、イロナは調べてくれない?』
『……そうね、どんな方法があるか調べるわ』
『ありがとう。 流石はイロナだね……』
サクラは、スマホに向かって微笑んだ。
『……いきなり反対しないんだ』
『……当然よ。 私は貴方のお姉さんだもの。 例え血が繋がってなくてもね』
スマホの中でも、イロナは微笑んでいた。
『それじゃ、お姉さん。 頼りにしてるね』
『……はい、任されました。 あっと……忘れてたわ……』
イロナは、メモを手に取った。
『……来週には、ボディースキャナーを搭載した飛行機で日本に行けるから……待っててね。 その時に今の話を詰めましょう。 んじゃね』
ウインクと共に、スマホの画面は暗くなった。




