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紅い桜  作者: 道豚
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デモ飛行(3)

 ここでは「」で括られたセリフは日本語 『』で括られたセリフは日本語以外です。

 { }で括られたものは無線通信を表します。


 土曜日、予選の第2ラウンドが滑走路で行われている頃、サクラはヤスオカのテントに居た。

「(……人通りが減ってきた……博美のフライトかな?……)」

 昨日気付いた事だが、博美が飛ばすときは……世界チャンピオンのフライトなので……ジャッジ席の後ろは、まるでラッシュアワーのホームの様で、そしてその他の場所には誰も居なくなっていたのだ。

「(……んー 10時か?……確かにそろそろだな……)」

「すみません」

 時計を見て納得していると、カウンターの前に男が立った。

「はい……」

 サクラは、営業用の笑みを浮かべた。

「……いらっしゃいませ」

貴女あなたが戸谷さん? 昨日「エクストラ」でアクロした」

 サングラスを掛けた、中肉中背、短髪の……まあ、街中に溶け込みそうな……その男は話しかけてきた。

「はい、そうですけど……」

 サクラは、首を傾げた。

「……どちら様でしょうか?」

「あ、失礼。 俺は坂井、って言います……」

 男はサングラスを外した。

「……昨日、フォックスでアクロをした者です」

「あーー あのアクロ、凄かったですね……」

 サクラは、うんうん頷いた。

「……お兄さんだったんですね」

「ありがとう。 それを言うと、戸谷さんのアクロも良かったよ」

 坂井は、照れくさそうに「ぽりぽり」頬を掻いた。

「ありがとうございます……」

 サクラはにっこり……営業用でない笑みを浮かべた。

「……あ、私の事は「サクラ」で構いませんよ」

「え!……そ、それじゃ「サクラ」さん。 今日のデモ飛行のとき、フォックスに乗ってみませんか?」

「……えと……ナンパ?」

 サクラは「ぽかん」と坂井の顔を見た。

「いやいやいや……そんなんじゃ無いから……」

 坂井は超高速で、手を顔の前で振った。

「……室伏さんが……知ってますよね、室伏さん」

「はい、知ってます。 師匠ですから」

 サクラは頷いた。

「その室伏さんが……チャンスがあったら、サクラさんをグライダーに乗せてやってくれ……そう言ってたから」

「そうなんですねー ナンパじゃ無いんだ」

 はたから聞くと、残念そうに聞こえるセリフをサクラは吐いた。

「ダメかな?」

「いえ……お願いします。 あの速度管理は、勉強したいです」

 サクラは、花が咲いた様な笑顔を見せた。




「さて松川さん……日本選手権第2ラウンドが、終わりましたね」

「はい、選手の皆さんお疲れ様でした」

 昨日と同じように、本部テントの放送席に浅井と松川が座った。

「これで予選は終わりだそうですが……明日の決勝に出場されるのは、どんな方ですか?」

「予選の成績、上位8人ですね」

「えーっと……40人出場された訳ですから、上位2割の方ですか」

「そうですね。 8割の方は、残念ながら選手権大会は終わった、ということです」

「それは……なかなか厳しい事ですね」

「まあ……勝負の世界ですから、仕方の無いところではありますね。 皆さん仕事も持っている訳ですから、長々と続けるわけにもいかないんですよ」

「まだ、予選通過者は発表されてませんが……加藤さんは、当然通過してますよね」

「当然でしょうね。 恐らくトップで通過してると思いますよ。 何たって、第1ラウンドは1000点でしたから」

「っと……そんな事を話していたら……グライダーが用意されましたね」

 そう……昨日と違って、ウルトラライトでなくグライダーが、最初にエプロンに引き出されていた。




 「フォックス」の後席に、サクラはベルトで縛り付けられていた。

「(……ちょっと苦しいかな……)」

 いつも「エクストラ300LX」に乗るときは、肩ベルトは少し緩めているのだが……本当はいけない事だが、胸が潰れるので……今回は手伝ってくれたクルー……サクラのクルーでなく、坂井のクルー……は遠慮なく肩ベルトを締めたのだ。

「サクラさん、準備はいいかな?」

 そんなサクラの様子も知らず、坂井が前席から尋ねた。

「はい、OKです」

 目の前に見える坂井の頭に向かって、サクラは返事をした。

 そう……グライダーのコックピットは狭くて、まるで大型スクーターに二人乗りするぐらいの距離に坂井の頭が在るのだ。

 そして静かなので……エンジンが無いから……インカムは使わなくても話が出来る。

「それじゃ、行こうか……」

{『笠岡トラフィック JA20KB 滑走路に向かってタキシー』}

 坂井の合図と共に、バギーに引かれて「フォックス」は動き出した。




「(……なんか、怖いな……)」

 滑走路端にたどり着き、人力で機首を風上に向けた「フォックス」に向かって、曳航機の「ハスキー」が走ってきた。

 サクラにとって、それはまるで正面衝突するように見えたのだ。

 しかし「ハスキー」は「フォックス」の数十メートル手前で、片側のメインギヤを中心にUターンした。

 ほのかに排気ガスの臭いが流れてくる。

 グランドクルーがロープを「ハスキー」に取り付け、此方に駆け足でやって来た。

「リリース 引いて」

 機首の前に来ると、クルーはロープの先を見せ、次に掌を見せた。

「OK……はい、引いた」

 坂井の肩越しにサクラが覗き込むと、計器盤中央、やや左下のレバーを引くのが見えた。

「(……牽引索のリリースレバーかな? ん? 此処にもある……)」

 見渡すと、同じようなレバーが後席の左側にもあった。

「放して」

 クルーは見せていた掌を握った。

「OK 放した」

 ロープの先を取り付けたのだろう……坂井の返事を聞いたクルーは、軽くロープを引いて確かめている。

「曳航索 OK」

 クルーは立ち上がり「ハスキー」の方へ行った。




「(……ん! 水平にした……)」

 さっきのクルーを見ていたサクラは、不意に機体が起こされたのに気が付いた。

「(……あー 別のクルーが居たんだ……)」

 「きょろきょろ」と外を見渡すと、右の主翼端にクルーが居るのが分かった。

「索の弛みを取るから」

 無口だった坂井が、いきなり話し出した。

「はい」

 サクラが答えるか答えないうちに「ハスキー」のエンジン音が僅かに大きくなった。

 少しずつ「ハスキー」は遠ざかり、それに連れてロープは張っていった。

{『JA4229 ハスキー  JA20KB フォックス 離脱高度1200メートル予定 用意よし』}

 ブレーキレバーを前方に起こしてブレーキを解除すると、坂井はマイクのスイッチを入れた。

{『JA20KB JA4229 高度1200メートル 了解』}

 返事……ヘッドホンでなくスピーカーから聞こえる……と共に「ハスキー」のエンジン音が大きくなった。




 クックピットから見下ろすと、笠岡飛行場の滑走路が見える。

 「フォックス」は高度1200メートルに達していた。

「(……ん~ ダウンウインドで飛んでるよな? どうするんだろう……)」

 そう……今「フォックス」の右側に滑走路が見えると言うことは、離陸方向と逆に飛んでいるのだ。

「サクラさん、離脱するから。 ベルトはしっかり締まってるかな? 離脱後、すぐにアクロを始めるから」

 坂井が、少し横を向いて話してきた。

「はい。 OKです」

{『JA4229 ハスキー  JA20KB フォックス 離脱』}

{『JA20KB JA4229 離脱 了解』}

 サクラが答えた途端……「ゴン!」とショックがあった。

 目の前を飛んでいた「ハスキー」が左旋回で離れていき……

「ライトターン」

 坂井の宣言と共に「フォックス」は右旋回を始めた。




「ザーーーーーー…………」

 「ザワザワ」とこれまでも、それなりに風切り音が聞こえていたのだが……旋回のGが増えると共に、その音がドンドン大きく、甲高くなっていく。

「インメルマンターン 1/2ネガティブスナップ」

 降下しながらのスティープターンをして風上に向いたところで、坂井が演技名を言った。

「はい。 速度は、この位ですか?」

 サクラの目の前の速度計は250を指している。

「ああ、トップでスナップロールをするから、少し早めなんだ」

「これって……時速ですよね」

「そうだよ。 グライダーは時速を使うから……ノットだと134ノットだね」

「ですよねー 250ノットなんて筈は無いですよね」

 その通り……250ノット等と言えば、単発の飛行機ではなかなか出せない速度なのだ。

 因みにサクラの「エクストラ300LX」の超過禁止速度……絶対に超えてはいけない……空中分解の危険がある……が219ノット(時速406キロ)である。

「はい! ナウ」

 そんな話をしているうちに「フォックス」は、演技開始点に来ていた。




「最初の演技は「インメルマンターン 1/2ネガティブスナップ」だそうですが……どんな飛び方をするんでしょうか。 松川さん」

 浅井は、放送席から空を見上げていた。

「インメルマンターン、というのは……宙返りの頂点でロールをして、進入方向と反対側に抜ける演技ですが、今回はエルロンロールの替わりにスナップロールをします。 ネガティブなので、マイナスのGを掛けるようですね」

 松川は、予め貰ったアレスティコードを見た。

「エルロンロールとスナップロールは、どこが違うんでしょうか?」

「エルロンロールは、その名の通りエルロンを使ってロール……横転しますが、スナップロールは……どう言えばいいかな?……ま、簡単に言えば、片側の主翼を失速させるんです。 だからエルロンロールより高速でロールします」

「つまり?」

「つまり、難しいんです。 失敗するとそのままスピン……錐揉みに入ってしまいます」

「分かりました。 つまり難しいんですね」




「(……うっ!……く……)」

 理解しているか、してないか分からない地上のやり取りが聞こえる事の無い空の上で、サクラはGに耐えていた。

「(……い、意外とGが強い……く……ふ、ふー……)」

 それも数秒……機体が垂直に立ち、スティックを引く量が少なくなるにつれ、Gは弱くなってくる。

「(……速度が下がる……)」

 そう……エンジンが無いのだから、運動エネルギーを失って速度計の針は左に回り続けていた。

「(……早く、早く……早く頂点に届け……)」

 焦るサクラの気持ちを知らず、水平線はゆっくりと下に回っていった。

「(……届いた……)」

 速度計が150を示した時、正面に逆さまの水平線が現れ……

「(……うっわっ!……うっ……くー……)」

 邪魔にならない様に開いたサクラの膝の間で……前席と連動している……スティックが大きく左前に倒され「フォックス」は、マイナスGを掛けながら左に高速で回転した。




 時速250キロでスタートし、頂点で150キロになる宙返りの開始時のGは、およそ6Gとなります。

 「エクストラ300LX」の宙返りの4Gと比べて1.5倍となり、サクラは驚いたわけです。

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