高松着陸
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{ }で括られたものは無線通信を表します
見渡す限り、何処にも隙間の無い雲海の上を、サクラの「エクストラ300LX」は飛んでいた。
「(……何が八割の雲だよ……全然地上が見えないじゃないか……)」
コックピットの中で周りを見渡したサクラは、METARの情報に……心の中で……悪態をついた。
離陸後、高松の方向に機首を向け、高度1000m辺りから雲に入った「エクストラ300LX」は、雲中を数百メートル上昇すると青空の下に飛び出したのだ。
下を覗き込むと、眩く光る雲の絨毯を敷き詰めているように見える。
「(……ん~~ あれは剣山と三嶺かな……)」
その中で、右前方に黒々とした三角形が幾つか、雲の中から突き出していた。
「(……アイツのお陰で、位置を見失うって事がないのは良いな……)」
そう、今日のルート……高知から高松……は、真っ直ぐ飛ぶと剣山の西側を通ることになるのだ。
「(……高度7500……ん~ まだ高松は受信出来ないよな?……)」
サクラはスタンバイの無線機のダイヤルを回し、高松のTACANに周波数に合わした。
「(……まだダメかー……)」
スイッチを切り替えてみるが、レシーバーからは何も聞こえない。
「(……仕方ない。 もう少し高知で飛ぼう……)」
サクラは再びスイッチを切り替え、高知からのVOR/DME受信に戻した。
「位置は分かる?……」
米沢の声がインカムから聞こえる。
「……地上は確認できないようだけど」
「はい。 分かります……」
サクラはVOR/DMEの表示を見た。
「(……高知から30度方向に18マイル……)」
その数字を右膝に取り付けたメモで確認して……
「……POPPYの辺りです」
サクラは位置を割り出した。
「ん! 良いわ。 でも「辺り」と言うのはどうかしら……自信が無いの?」
「えー っと……電波源が一つなので、誤差が有るかな? と思って……」
「そう……それなら良いでしょう。 そういう事まで考えるのは良いことね」
「(……ふーー ビックリした。 変なところに突っ込んでくるんだもんな……っと、そろそろ切り替えるかな……)」
サクラは、スティックを左手に持ち替えると右手でコックを回し、使用燃料を左タンクから右タンクに変えた。
{『……高松空港 情報C 2時 現在離着陸は滑走路08を使用中 管制周波数118.3MHz 風向090度で5ノット 視程10キロ以上 高度500フィートに少し雲 高度5000フィートに4割程度の雲 高度7000フィートに8割程度の雲 気温19度 QNH(高度補正値)30、21インチ 離着陸する飛行機は、情報Cを受信した事を報告……』}
レシーバーから聞きなれた……高知でなく高松空港だが……ATISの英語が流れている。
サクラの操縦する「エクストラ300LX」は、無事に四国山脈を飛び越え、高度を下げながら高松空港に近づいていた。
「(……よっし、これで良いな……)」
{『関西アプローチ JA111G エクストラ300LX……』}
ATISの情報を膝の上のメモパッドに書き込み、サクラはアプローチ……高松も関西で管制をしている……を呼んだ。
{『エクストラ111G 関西アプローチ ゴーアヘッド(どうぞ)』}
男の声で、すぐに返事が来た。
{『関西アプローチ エクストラ111G 現在高松の南西10マイル 高度5500 リクエスト full stop(着陸) 情報Cを受信済み』}
{『エクストラ111G 関西アプローチ ストレートイン 5マイル手前で高松タワーに連絡してください』}
{『関西アプローチ エクストラ111G ストレートイン 5マイル手前で高松タワーに連絡』}
「(……さーて……ストレートインなら、KOMPIに向かえば良いな……)」
丁度「KOMPI」ポイントというのが高松空港から西にある。
『レフトターン ヘディング320度』
インカムの向こうに居る米沢に宣言すると、サクラはスティックを左に倒した。
正面に長細いため池が見えている。
「(……満濃池だな……そろそろKOMPIだよな……)」
かんがい用のため池としては日本一の満濃池の畔に「KOMPI」ポイントがある。
それを示すように、滑走路の方向80度に合わせた受信機の指針は、もうすぐセンターに合いそうだ。
「(……ターンしてからタワーに連絡すれば良いよな……)」
そして「KOMPI」ポイントは滑走路から5マイル離れていて、さっき指示された「5マイル手前でタワーに連絡」というのにピッタリなのだ。
「KOMPI」ポイントの上空2100フィートで右旋回した「エクストラ300LX」は、ヘディング80度で水平飛行に移った。
適正降下角だと1600フィート程の高度が丁度良いのだが、高松空港は高台の上に……海抜600フィート程度……あるし、着陸コース上に1500フィート近くの山が有る。
それらの状況を考え……やや進入が苦しくなるが……サクラはこの高度を選んだ。
「(……どうやら……雲は掛かってないな。 ん~ PAPIはまだ見えないか……)」
進行方向や周りにそれなりの雲が浮いているが、滑走路は……SFL(連鎖式閃光灯)の閃く先に……灯火で囲まれた黒いシミのように見えていた。
{『高松タワー エクストラ111G 西に5マイル 高度2100 着陸のため進入中』}
{『エクストラ111G 高松タワー そのまま進入して、3マイル手前で連絡してください』}
サクラの通信に、女性の声で返事があった。
{『高松タワー エクストラ111G このまま進入 3マイル手前で連絡』}
サクラはスロットルを下げ、降下速度を650フィート/分に調整した。
今「エクストラ300LX」は120ノットで飛んでいるから、この位で標準的な降下角になる筈だった。
アプローチのための操作をしながら、チラチラと前を確認していたサクラは、滑走路の左側に白い灯が四つ並んでいるのが見えた。
「(……あー PAPIは4灯白かー ……やっぱり高すぎるよなー ……)」
そう、今「エクスロラ300LX」は、適正降下角の上を飛んでいた。
「(……もう少し絞って……)」
サクラはスロットルレバーを少し手前に引き……
「(……速度も落とそうかな……)」
スティックを持ち替えると、エレベータートリムレバーを「アップ」側に動かした。
「(……さて、そろそろ3マイルかな?……)」
{『エクストラ111G 高松タワー クリヤード ツー ランド』}
サクラが管制塔に連絡をしようとした時、その管制塔から着陸OKの指示が来た。
{『高松タワー エクストラ111G クリヤード ツー ランド』}
すかさずサクラは返事をする。
「(……さて、PAPIも白2、赤2だし……このまま降りられるな……)」
さっきの操作により「エクストラ300LX」は、適正降下角を飛んでいた。
滑走路の手前で待っている「ボーイング737」を横目で見ながら、「トン・トン」と2回の軽いショックで「エクストラ300LX」は、滑走路に車輪を付けた。
風が正面から吹いていて、機体が左右に傾いてなかったので、尾輪に続いて主輪が左右同時に付いたのだ。
{『エクストラ111G 高松タワー 次の誘導路で滑走路から出てください』}
ほっ、としたのも束の間、タワーから指示が来た。
「(……はいはい、定期便が離陸するんだろ……分かってますよ……)」
高松空港は、2500メートルの滑走路の真ん中あたりに出て行く誘導路がある。
サクラはブレーキを使わず……逆にスロットルを開けるようにして……「エクストラ300LX」を走らせた。
{『JAL478 高松タワー クリヤード フォー テイクオフ』}
サクラが「エクストラ300LX」を滑走路から出した途端、離陸を許可する無線が聞こえてきた。
{『高松タワー JAL478 クリヤード フォー テイクオフ』}
どうやら、さっき待っていた「ボーイング737」が離陸するようだ。
「(……で? 私はどうすれば良い?……)」
{『エクストラ111G 高松タワー 周波数261.2に変更してください』}
何だか、忘れられてるんじゃ無いかと思っていると、唐突に連絡が入った。
{『高松タワー エクストラ111G 261.2に変更』}
返事をすると、サクラはダイヤルを回して周波数を変えた。
{『高松タワー エクストラ111G リクエスト 駐機場へのタキシー』}
高松空港は、グランドもタワーでコントロールしている。
{『エクストラ111G 高松タワー 駐機場Dへのタキシー許可』}
{『高松タワー エクストラ111G 駐機場Dへタキシー』}
これでやっと動ける。
サクラはスロットルレバーを押して、エンジンの回転を上げた。
「(……うわー おいしそう……)」
サクラの目の前に「讃岐うどん」が置かれた。
ここは、高松空港のなかに出店している、うどん屋だ。
「エクストラ300LX」を駐機場に止めて、サクラと米沢は昼食を取ろうと、小雨の中を歩いてきたのだった。
「いただきます」
米沢の前にもうどんが置かれたのを見て、サクラは割り箸を取った。
「いただきます」
米沢も割り箸を割ると、手を合わせた。
「美味しかったわー」
湯飲みを持ちながら、米沢が感嘆の声を上げた。
「ええ、そうですね。 この「もっちり」した、腰のある麺はここでしか食べられないですよね」
少し遅れて完食したサクラも、湯飲みに手を伸ばした。
「あら! ひょっとして、高知から飛んできた方かしら?」
そこへ、驚いたような声が聞こえてきた。
「え?……」
サクラが振り仰いで見ると、制服を着て髪をハーフアップにした女性が立っている。
「……えと、そうですけど……どなた?」
「あ! 御免なさい。 私は此処で管制業務をしている者です」
女性は首から提げたカードを見せた。
「えと……ひょっとして、タワーに居た方?」
「そうそう。 ごめんなさいね、急がせてしまって」
「いえ、いいんです。 それが業務でしょうから……」
サクラは立ち上がり、右手を出した。
「……戸谷さくらです」
「管制官をしている磯部聡子です……」
磯部は、差し出された手を握った。
「……それにしても……外人さんだったのね。 随分流暢な英語だったので、びっくりした……ん? 戸谷? なんだか日本的な名前ね。 って言うか……日本語が綺麗」
首を傾げながら、磯部は手を離した。
「え……えーっと。 生まれはヨーロッパなんです……どうぞ、座ります?」
サクラは隣の席を磯部に進めた。
「そうなんだー 失礼しますね……」
座った磯部はメニューを広げた。
「それにしても……ふぅ……噂通り大きいのね」
注文し終わった磯部が、横からサクラの胸を見た。
「ん? うわさ?」
サクラは首をかしげる。
「そう、噂……」
磯部は、湯飲みから一口お茶を飲んだ。
「……管制官の同僚に、高知に行ってるのが居るのよね。 そいつが、時々メールをよこすんだけど……「今、巨乳の女性が高知でトレーニングしている。 美人だぞ」……なんて書いてよこしたの。 それも、私にだけじゃなくて、一緒に働いてる男どもにも。 だから管制塔では、今は皆んながその話で持ちきり」
ほんと男どもは……はアァ、と磯部は大きなため息をついた。