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創造世界の道化英雄《ジェスター・ヒーロー》・第1部・創造世界編  作者: 帯来洞主
第三幕「闇の英雄」・Dark Hero・

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第32話「喪心の創伍」2/2


 創伍達が帰還してからというもの、W.E本部内は嘗てないほどの混乱に包まれていた。


 原因は三つ。

 一つ目は監視保護下にあった創伍が許可無く自室を抜け出し、現界にて鴉だけでなく朱雷電にまで襲撃を受けたのが、本部に戻ってから判明したということ。


 二つ目は、その創伍の救出という名目ながら、厳重な管理下にて精密検査を受けていたクロがW.Eから突如の脱走。


 そして……三つ目は織芽の存在だ。異品との闘いに巻き込まれて重傷を負った為に、乱狐に連れられ、そのまま創造世界へと足を踏み入れてしまった。


 創伍に続く、禁忌を犯した二人目の人間――それだけでもW.Eでは重大案件として扱われるに十分であった。


 これらの行動が招いた結果の責任は、当然創伍へと向けられる……。


……


…………


………………



 PM18:20 創伍の部屋



「ふぅ、終わった……」

「………………」

「容態は安定して命に別条は無いわ。でも記憶はちゃんと後で消さなくちゃならないから、しばらく寝ててもらう。その間この子の親族や知り合いの記憶から存在を一時的に消すため、この部屋に干渉遮断結界を張る――いいわね?」

「…………あぁ」


 頭を強打し、血を流していた織芽はアイナの治療術により事なきを得たが、一連の出来事を記憶させる訳にはいかない。そのため催眠術を施し、しばらく創伍の部屋で寝かせることにした。


 創伍はというと、本部に戻った折、クロの無効化の能力により弾痕や切り傷、打撲といった「結果」が否定され、再び全ての痛みを取り除かれ完治はした。

 織芽の怪我も同様に治そうとしたところを、アイナは断固却下。人間と道化師の過度な接触を恐れ、またしてもクロは創伍と隔離されるのであった。


「話は全部乱狐から聞いたけど……ごめんなさい。私の権限じゃどうにも出来ないし、今回の件であなたやクロがやった事を庇い切れない。守凱や他の隊長達も改めてあなた達の追放を訴えてはいるけれど……そこに関しては慎重な協議を重ねたのち、最後に遠征から戻ってきた長官の判断に従ってもらう」

「………………」

「それまでは当然、部屋から出るのも厳禁。あなたの道化師からも私達の管理能力に対して強く抗議されて釘を刺されてるもの。お互い三度目は許されない。それを条件にクロも再度精密検査を受けることを承諾してくれたんだから、あの子達の為にも、あなたの為にも……じっとしてて頂戴」


 前代未聞の事態に、W.Eの負荷は計り知れない。如何にアーツの存在を人間に知られることなく、九闇雄強襲を収拾させるか――隊長クラスのアーツ達が一堂に会して話し合っている中……本部と現界の境界線となる創伍の部屋だけは異様な静けさに包まれている。


 というのも、二度目の待機命令を受けた創伍は、アイナに連れられて戻ってくるなりほぼ黙り続けていた。織芽が眠るベッドの脇に背を預け、膝を抱えて顔を埋めたまま言葉を交わそうとしないのだ。


 何故なら、今の創伍は強い罪悪感に苛まれていた。


 自分が取った勝手な行動が幼馴染を窮地に引き込んでしまっただけでなく、道化師が居なければまともに闘えないお飾りの英雄という、鴉の指摘した通りに何も出来なかった己の非力さを心底悔いているのだ。


「こうなるのを恐れるからこそ、常日頃から慎重な行動を…………って、今は人の事言えないわね。まさか九闇雄が監視の目を潜って、真っ先にあなたの命を狙うなんて……迂闊だった」


 本来なら創伍に弁解の余地は無く、即刻厳罰に処されてもおかしくない。だがW.Eの誰も朱雷電の出現に気付かず、現場へ急行することが出来なかった落ち度も紛れもない事実。だからそれ以上は彼を責めることは出来なかった。



「それでも……よく最後までその子を守ったわね……」



 そのためアイナは、せめて自力で一般市民を退避させ、織芽を最後まで守ろうとした彼の姿勢だけは評価し、励ましの言葉を掛けようとするも……


「………………」


 心を閉ざし塞ぎ込む創伍には届きそうもない。今だけ静かすぎる室内が、彼にとっては冷たい牢獄と変わらなかった。



 そこへ――



「あ〜あ、やってらんないわ。ったく……」



 美影乱狐がうんざりとした面持ちで玄関ドアから入ってきた。


「乱狐……どうだった?」

「どうもこうもないよ。今回の件で大多数が創伍達の追放だけじゃなく、あたし達のチームの解散しろとか言い出しちゃって……ろくに意見が出来やしなかった」

「そう……」

「歴の浅い隊員がビビって、正式な届を出さずに結構な数が逃げ出してるらしくてね。その所為で監視は出来ても、人員に穴が空いて一部の現場へ急行出来ないんだって。九闇雄なんてのが出た今じゃW.E全体の問題の筈なのに、こんな状況下で現界に被害を齎したのは全部あたし達の所為って言いたい感じ? だから守凱隊長……責任感じたのか知んないけど、他のチームの協力求めずに一人で異品の鎮圧を請け負っちゃってさ。朱雷電がまだ生きているなら、自分が見つけ次第決着をつけるって言い出して――」

「ちょっと待って。守凱がそう言ったの?!」

「同行するって言ったんだよ? そしたらあたしにも謹慎命令! そりゃあ創伍を縛ってでも止めるべきだったのは認めるけど……隊長は朱雷電との交戦で両手をやられてて万全じゃない。異品だけならともかく九闇雄の相手なんて無茶過ぎるって。終いにゃ他の奴らは、事態の鎮静化に向けて別でチームを作るとか言い出してさ……どいつもこいつも自分勝手過ぎるよ」

「………………」


 組織の中にも小さな派閥がいくつかあり、守凱の事を快く思わない者が居るのだろう。同じ志の下に集まっても、思考や目的が異なるのは致し方ないとも言える。


「まぁ一番厄介なのが死んでれば、後は守凱さんだけでどうにでもなるんだろうけど……朱雷電(アイツ)の生死はもう判ったの? アイナさん――」

「まだね。現場の救助隊と、周辺に野次馬が多すぎて介入のリスクが大きいの。もう少し経過すれば部隊を投入出来そうだけど……」

「ヤバいって……こうしてる間にもし朱雷電が生きてて、報復して来ようもんなら完全に裏ノ界も現界も無防備じゃん……」


 守凱は一人で出動し、長官はまだ戻らない。ヒバチとつららは未だ回復せず、鈴々は逃走。もしもの事態の備えようにも、乱狐やアイナだけでは人手が足りず対策のしようがない。


「こんなことになるなら、鴉が言ってたアイツの弱点に気付けていればなぁ……」

「……弱点?」


 身動きが取れない事へ愚痴を溢す乱狐に、アイナが反応した。


「さっき話した、噴水の水で朱雷電の動きが止まったってやつ。それを見た時、てっきり水が弱点なのかなと思ったんだけど……鴉に言われたんだよね。条件を満たしたから起きた現象なだけで直接弱点を突いたわけじゃないって――」

「九闇雄に、そんなヒバチの様なあからさまなのがあったら苦労しないわよ」

「そうなんだよねぇ〜。でも本当の弱点は朱雷電自身も気付いてない欠陥らしくてさぁ。あの時に条件が整ってなかったら、あたし達今頃7回は死んでたんだと」

「7回……」


 淡い希望など抱いてなかったが、乱狐が口にした7回と言う単語が引っ掛かる。


「――()調()()じゃなかったってこと?」


「え??」

「斬羽鴉が言った条件よ。それが整っていなければ朱雷電は乱狐達を殺せていた――でもそうしなかったのは、必要な余力が無かったのかもしれないのかなって……」

「余力ぅ? いやぁ、そりゃないない。だってバチクソに電気撃ってきたもんアイツ」


 思い返して浮かんで来る光景といえば、何度も直撃しかけた忌々しい赤光。あの殺気立った様子の朱雷電の攻撃が全力でなかったと言われたら、直接襲われていた者としては到底納得出来ないだろう。


 だが……



「……そうか。そうなるとあたしの『あの時』のも、合点がいくかも」



 元を辿っていくと、彼女の中でそれに納得できる一つの事象があった。


「……どうしたの?」

「あたしさ、鴉達と合流する前に、本部へ応援を呼ぼうとしたら誰かに首を打たれて、一度気ぃ失ってたんだよね。確証は無いけど、もしかしたらあれは朱雷電だったんじゃないかって……今になって思うんだ」


 モールの屋上で本部に救援を求めようとした際、乱狐は背後から何者かによって気絶させられた――そのまま人影はモール内へと進入していったのを見るに、朱雷電と考えるのが乱狐にはしっくり来ていた。


「でもその場合余力以前に、何故気絶に留めたのかよね……。乱狐を殺したくても殺せなかった理由が有ったとか?」

「うぅぅぅん……そこはお恥ずかしながら完全に背後取られてたんで、マジで分っかんないんだよねーん」


 実力は嫌と言うほど体験している。赤光でも手刀でも乱狐を殺すことは容易かったろう。だがもし本当に朱雷電だったのなら、何故彼女を敢えて殺さなかったのか――客観的に見ても不可解なその行動に確信へと至れない。



「――ねぇ〜創伍。あんたはどう思う? 」


「………………」


 腕を組みながら項垂れる乱狐は、創伍にも意見を求めんと声を掛けるが……


「あっ、乱狐……」

「……? どしたのアイナさん、創伍のやつ」


 創伍は反応しない。本部に戻ってから一度別れていたため、乱狐は彼の心境など気付きようもなかった。

 身体の傷こそ消えているが、心の傷は癒えておらず、自室の奥で膝を抱えたまま動かない。


 引き戸越しに台所から様子を窺う二人の視界には、その背中がやけに小さく映っていた。


「戻ってからずっとなの。幼馴染巻き込んじゃったから……」

「……ふ〜ん」


 アイナが空気を読んで小声で教えるも、乱狐は気にした様子もなく、お構いなしに創伍の傍へと歩み寄る。


「そーごっ。どーしたどした! 元気がなーいぞ」

「………………」

「創伍――今日の事は鴉が発端で、別にあんたの所為じゃない。こんなん予想だにしなかった結果論じゃん。そん中で出来ることはやったんだから、いつまでもウジウジしててもしょうがなくない?」

「………………」


 一番の功労者でありながらの今回の処遇には不満があれど、創伍個人に罪はない。膝を折ってしゃがみ込んだ乱狐は、いつもの調子で彼を励まそうとした。


「前にも言ったっしょ。大事なのは、ミスったらちゃんと挽回すること。この次にまた鴉の奴が現れたら、今日の分をお返しにぶっ飛ばしてやりゃいいんだから――」


「――乱狐さん」



 ……しかし、創伍が長い沈黙を破って口を開く。




「俺、もう闘うのを辞めます――」




「……え??」


 開口一番に出てきた言葉に、思わず間の抜けた声を漏らしてしまう乱狐。


 塞ぎ込んでいた間に彼が至った考えは、今の役割の放棄であった。


「戻ってからいろいろと考えてたんです。俺、もう闘わない方がいいって……」

「ど、どうしたよ急に。随分弱気になっちゃってぇ。らしくないぞ?」

「………………」

「まさか……さっき鴉に言われた事引き摺ってんの?」


 闘う気が無いのなら英雄の資格はない――界路での別れ際に鴉が放った言葉が、完全な敗北を喫して僅かな希望に縋った創伍に重くのしかかっていた。


「あんな奴の言う事いちいち真に受けんなって。他人の価値観でモノ言われて萎縮してたら何も務まらんでしょ。自分の意思で此処に居るのを選んだんだからさ」

「鴉に言われたからどうこうじゃない……」

「じゃあ何だっての」



 創伍がゆっくり顔を上げ、溜まっていたものを吐き出す。



「俺が、不幸体質だから……」

「は??」

「……こういう結果になったのは、全部俺の不幸体質の所為なんです。シロもクロも居ないと俺は貧乏神みたいなもので……どう足掻いても最悪の結果になる。俺だけが貧乏くじを引くならともかく、巻き込んでしまうのがもう嫌なんだ……! その所為で、誰かを不幸にさせるのが一番耐えられない……。もし俺が闘わないで誰も傷付かなくなるなら、何もしない方がいい……!」

「………………」


 後ろで横になっている織芽がその犠牲者である。幼少時に描いた予言の落書きよりも、遥かに深い罪悪感がその意思を強く固めたのだろう。


「それじゃああんた、記憶探しは? シロちゃん達の事はどうすんのさ」

「過去の記憶なんて無くても、今日まで不便はしてませんでしたから……シロ達には俺からちゃんと説得します」

「説得って……。あの娘達がそんな感情的な理由聞いて頷くほど単純じゃないのは、あんたが一番分かってんでしょ。主と道化師――それぞれの責任を承知の上で契約しといて一方的にやめたいなんて、そりゃあまりに無責任じゃない?」

「…………」

「少し落ち着きな。今のアンタ……ただヤケになってるようにしか見えないよ」



「ヤケにもなりますよっ……! 何の取り柄もない俺のために、みんなが迷惑被ってんのを見せられたりしたらっ!!」



 込み上げた感情を抑え切れず、創伍が自棄と悲痛の叫びを上げる。


「――おい」


 だが彼の一言が、辛うじて抑えていた乱狐の苛立ちにも火を点けた。

 立ち上がりざま、創伍の胸ぐらを掴んで強引に引き起こす。



「勝手な思い込みもいい加減にしろテメェ……」



 縮こまっていた身体が前へ引きずられ、創伍の顔がようやく持ち上がり……



「その不幸体質とやらで……あたしら全員馬鹿を見たって言いてぇのかっ!!」


「っ……!?」



 次に、乾いた音が室内に弾ける。乱狐の拳が創伍の頬に打ち込まれ、よろめいた身体が数歩たたらを踏み、背中から壁へ叩き付けられた。


「乱狐?! いきなり何をして……!」

「アイナさん、ちょっと黙ってて――」


 普段の快活さなど微塵もない。目を大きく見開いて、静かに怒りを露わにする乱狐。


 壁にもたれた創伍は力の抜けた脚からゆっくりと崩れ、その場に座り込んだ。


「見縊らないでよね。あんたの不運なんかに巻き込まれたつもりもないし、そんなもんで簡単に殺されるほど、あたしらはヤワじゃないんだよ!」

「………………」

「あたしはあたしの意思で、あんた達を守るって決めて全力で闘った――そうしないとまずいと思ったから!! いいや、あたしだけじゃない……長官も、アイナさんも守凱隊長も……自分が正しいと思ったことを全力でやってんだよ。自分の命や大切なものを守る為にさ! 負けて情けないって嘆くのは自由だけどね……勝手に捻くれて、一度渡った道を引き返そうなんてしたら……ヒバチさんやつららさん、それに織芽(その子)が――何のために傷付いてまであんたを守ろうとしたのか、わかんなくなるでしょうがっ!!」


 浴びせられる言葉の中には、倒れた仲間の無念が込められているようであった。自分が晴らしてやりたかったが、一人ではどうにもならなかった先の闘いを、乱狐自身も悔やんでいるのだ。


「彼女達の気持ちも考えず、そんな中途半端な覚悟で創造世界に踏み入れて、あんた一体何に成ろうとしてたんだよ!? 何の為に闘ってたんだよっ!!」

「望んだも何も……元々俺も織芽も、巻き込まれた側ですよ……!」


 だが彼女の叱咤も、今の創伍の心には真っ直ぐと届かない。


「……っの野郎、今度は屁理屈を!!」


「止めなさい乱狐!」


 それが益々乱狐の怒りを掻き立て、再び創伍の胸ぐら掴んで手をあげようとした。



 その時――



「――アイナ先輩!」


 玄関扉が大きい音を立てる。本部側からアイナと似たような魔法少女の服装をしたアーツが慌ただしく駆け付け、重苦しい空気が一時的に止まった。


「っ!! どうしたの?」

「部隊が先程現場に介入しまして……ご報告が――」


 切迫した面持ちのままアイナの耳元へ顔を寄せる。

 短く、だが急を要する報告。それを聞いた彼女の表情が強張る。


「……本当なの?」

「はい……」


 そのやり取りを見ていた乱狐は、わずかな声の揺れを聞き逃さなかった。創伍を掴んでいた手をぱっと離し、思わず身を乗り出す。


「ねぇ、ちょっと待って。今の何さ――」

「乱狐はいいから。大人しくしてて……!」


 アイナの制止も間に合わない。狐であるため、人間の倍以上の超力を持つ乱狐は耳打ちの断片を拾い上げてしまう。



「朱雷電の死体が見つからなかったぁ〜!?」


「声に出さないでよっ!!」



 アイナが慌てて口を押さえようとするが、すでに遅い。重苦しい空気が、今度は別の意味で張り詰めた。

 コホンと息を整え、後輩が報告を補足する。


「現場の殆どは瓦礫で封鎖されていましたが、部隊が別の入り口から突入後、迅速な捜索を行いました。ですが……見つかったのは乱狐さんの分身の残骸とカラスの死骸だけ。決定的な……朱雷電の死体や、彼の血痕らしきものは何処にも……」

「電撃で逃げ道を切り開いたような痕跡は?」

「それも……ありませんでした。天使像の落下地点付近は入念に調査したんですけど……」


「いやぁ、でも……認めたくないってぇ! あの状況から逃げやがったなんてさぁ……」


 事態は絶望的となった。水を浴びて弱っていた朱雷電に天使像を叩き込み、確かな感触があった最後の足掻きも失敗に終わったのだ。


 とすれば、今頃朱雷電は何処かへ逃げ延び、腹の底を煮え滾らせ、復讐の機会をうかがっているはず――


「となると、こんなとこで呑気に話してる場合じゃない……か」


 気持ちを素早く切り替えた乱狐は、ひとり玄関へとスタスタ歩き始めた。


「乱狐、何処へ行くの!?」

「……朱雷電が生きてるんなら、もう時間の猶予は無いでしょ。だから鴉が言ってたアイツの弱点、あたし一人でも調べに行くのさ」

「調べにって……あなたは守凱から謹慎命令が出てるでしょ」

「あぁ〜……! 動ける奴も限られてんのに、このまま殺されるまで待ってろなんて冗談じゃないよ! 処分は事が終わった後にちゃんと受けますからっ!」

「――待ちなさいっ!!」


 アイナがタロットカードを取り出し、拘束術で乱狐を止めようとするも……放った結界の輪が捕えたのは、木の丸太であった。


「変わり身……!?」

「へへ、バイバイビ〜ンッ」 


 軽いステップを踏みながら、乱狐は素早く玄関から外へ飛び出して行く。騒がしかった室内が一気に静まり返り、取り残されたアイナは呆れ気味に溜息を吐くしかなかった。


「何が自分勝手よ……人の事言えないじゃないの」

「先輩、どういたしましょうか……」

「……朱雷電の捜索に向かいたいところだけど、私も火消し途中で呼ばれたものだから、まだやる事が残ってるの。あの刑事達の記憶も消しに行かなきゃだし……。ひとまずあなたも現場に向かって、引き続き情報を集めてきてくれる?」

「わかりました――」


 後輩に指示を出して現場に向かわせ、いよいよアイナもやり残した作業に戻ろうとした。


 しかし振り返った視線の先で、座り込んで俯く創伍が気に掛かる。


「創伍……」


 ……何かを言おうと唇が僅かに動くものの、言葉が出てこない。創伍の心が揺らいでいる今、何をどう伝えるのが良いか分からないのだ。


 結局、何も告げられないまま。アイナは静かに目を伏せ、創伍の部屋を後にした。



「…………」



 織芽と二人きりになり、時計の針の音だけが大きく響く静けさの中、乱狐に殴られた痛みで魂が抜けたかのように放心した創伍。


 彼女にぶつけられた問いかけが頭の中に響き渡る。何故自分はこんな状況に陥ってしまったのか考え始めるのだが……



「……俺、何のために闘ってるんだろ……」



 記憶を取り戻し、自分が何者なのかを知る。そして――人生の主役になるために。

 そこまで言葉が喉元まで込み上げていたはずなのに、どうしても口にすることができなかった。


 身の程も限界も知らず、他人を巻き込み、目の前の現実から逃げようとして――何が“主役”だ。



「そんな資格、有るはずないのに……」



 ならば自分はどう在るべきか、何をすべきか、今の創伍にはそれさえ決めることが至難であった。まるで出口の見えない迷宮を彷徨うかのように……虚空を見つめながら、ただ苦悶に暮れていく。

 


 * * *

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