第31話「決死の脱出」3/4
全身から稲妻を走らせ、朱雷電が乱狐に狙いを定める。
「――構えろオラアアァァッ!!」
逃げようにも闘おうにも、創伍と織芽を抱えたままでは、どちらを選べど生き残れる見込みはほぼゼロに近い。
「うぅ……!」
打つ手無しと諦めかけた乱狐。
そこに突如――
「ん!?」
ズルリ……と靴を擦るような音が響く。
音の出所は朱雷電の足元。彼が視線を落とすと、乱狐の分身のバラバラ死体――その内の一本の片腕が独りでに彼のロングブーツにしがみ付いていた。
本体の乱狐が死んでは元も子もない。死骸になっても本体は死守しようという分身の防衛本能により、朱雷電の足首を掴むことで注意を逸らしたのだ。
「放さねぇか死に損ないっ!!」
苛立つように叫ぶ朱雷電は掌を突き出し、分身の片手を赤光で焼き尽くす。
(今だ――!!)
ほんの一瞬ではあるが、彼の動きを止めるには十分な拘束。
その隙に乗じた乱狐は一心不乱に駆け出し、別棟へ繋がる廊下に向かって疾走した!
「――っ! 逃がすかよ!!」
謀られたと気付いた朱雷電は、すかさず赤光を放つ。
……が、一手遅かった。電撃は壁を砕いただけで、走り抜けた乱狐には紙一重で命中しなかった。
「チッ……! 往生際が悪いっ!!」
吹き抜けを飛び越えて乱狐の後を追い掛ける朱雷電。
しかし……乱狐が向かった先は、鴉が用意した逃げ道へ繋がる地下駐車場ではなかった。
階は違えど、何故か元来た方を辿って逆走しているのだ。
……
…………
………………
一方その頃、乱狐達を置いて行った鴉と麟鴉は無人の通路にて文字通り羽を休めていた。
「DUDE、あの姉ちゃんが一人奮闘してるってのに俺達こんな寛いじゃってていいんか」
「天下のW.Eのエージェント様だぜ? こういう時こそ弱者のために仕事してもらわにゃ。特に考える前に手が出るタイプのアーツは、こういう体力勝負で重宝する。朱雷電を目的地まで案内してもらうという囮としてな……」
正攻法や、生半可な悪知恵では九闇雄に敵わない。ではどうするか――窮地の中だろうと、既に鴉は頭をフル回転させ次の一手を考えていた。その思考のベクトルは、あらゆる可能性を考慮し、どんな物や手段を用いてでも最後に自分が勝つ為に他ならない。
「おっ。来たみたいだぜ」
麟鴉が軽く翼を揺らしながら呟くと、メインフロア側から騒がしい足音が床を鳴らして響き渡る。
「はっ……は……はっ……!!」
無論、乱狐のものである。命からがら朱雷電の猛追を振り切ってきたところであった。
しかし――
「フッハハハハ! テメェで最後の一匹だ! キリよくきっちり殺させろや女狐ェ!!」
髪を振り乱して必死に走る彼女の100メートルほど後方――赤光を纏う朱雷電が鬼の形相で迫り来る。
「チッ……深手一つ負わせられねぇでやんの。まぁいい、行くぞ」
休息を終わらせ麟鴉に跨る鴉。その顔には相変わらず危機感が無く、むしろ予定通りと口元を吊り上げていた。
そんな余裕そうな彼の姿が朱雷電の目に映る。
「ん……? フフッ、逃げ遅れたかよ裏切り者。丁度いい、テメェもまとめて始末すりゃ一石二鳥……だあああぁぁっ!!」
掲げた両腕を勢いよく振り落とし、無数の赤光を繰り出す。今度は技に捻りを加えたか、床や壁、天井を砕きながら四方八方跳ねて迫り来る。
「うわあああっ!! ……とっ!!」
怪我人を運んでいる以上、下手な反撃は出来ない。乱狐は咄嗟に床を蹴って宙へ跳び上がり、二人を抱えたまま信じられないバランス感覚で上半身、下半身を反らせ、三方向から交差してきた電撃を滑り抜ける。
数ミリのズレも許されない奇跡的回避。代わりに長い黒髪がまた少し焼き切られたが、乱狐は見事着地して再び走り出す。
しかし状況は何ら好転しない。彼女は変わらず恰好の的であるままだ。
すぐに第二の電撃が飛来してくる。鎌のように先端を尖らせた五本の稲妻が、投げ槍の様な軌道を描いて頭上へ落ちてきた。
「ほんっと、しつこい……っ!!」
そこへ今度は勢い付けての幅跳び。電撃は乱狐を仕留め損ね、床を穿つだけに留まる。
「おい姉ちゃん、短距離走してる暇あったら早くやる事やってくれよな」
「アンタ……! ちょっとはサポートくらいしなさいよ!!」
「だからスピード落としてやってんじゃん。これ以上は下手すりゃ追いつかれんだよ」
そんな死に物狂いで電撃を躱す乱狐を尻目に、鴉は気遣うこともなく次の行動を指示する。
一見ひたすら逃げているだけだが、彼の冷静ぶりを見るや、事は順調に進んでいるのであろう。
しかし乱狐は素直に従える気分ではなかった。
(早くやれって……こんな一か八か、そう易々と出来るわけないでしょが!)
ここで合流する前に受けていた鴉からの指示。それは何度思い返しても正気を疑うものであったのだ。
成功するか否かは、全て乱狐次第。しくじれば自分の所為……。この非常時にも関わらずその発想力、そして責任逃れの計算高さに怒りを通り越して感心すらしてしまう程。
それでも、もう後には引けない――
(えぇいクソ! 何とかなれっ!!)
覚悟を決めた、その直後――
「ヘイ! パーッス!!」
何を血迷ったか、乱狐は突然抱えていた織芽を、鴉の方へとヤケクソ気味に放り投げたのだ。
「待ーってました! 生のJKッ!!」
乱狐の掛け声に真っ先に反応したのは麟鴉。鼻から息を吹き出し、蒸気機関車の如く脚を一気に加速させる。
ふわりと浮いた織芽が、先頭を走る鴉達の頭上を追い越しかけたところを……
「――怪我人は丁重に運べよなあぁっ!!」
朱雷電が織芽目掛けて赤光を一直線状に放った。乱狐の体力の限界と、枷になっている怪我人を放り出すことを先読んで撃ち落とそうとしていたのだ。
しかし――そこへ鴉が懐から先程の小型銃を抜き取り、引き金を引く。
弾丸は赤光へ正確に命中し、バチン!と音を立て互いを打ち消し合うように霧散した。もし……鴉がコンマ数秒撃つのが早ければ、弾丸は織芽に命中してたであろう。
「チッ……! まだ温存してたか」
数秒間の息を呑む展開を終え、投げ飛ばされた織芽が地面に落下しかけたところを――
「ナーイスキャッチー! ムフフフフ〜!!」
バクンッ――と、麟鴉が嘴で織芽をキャッチ。
鴉達と合流した際、気絶した乱狐を拾ってきたのと同じだ。織芽の腹部をガッチリと咥え、恍惚とした笑みを浮かべている。
「残念無念、朱雷電。そう簡単に特別点はぁやんねぇよ」
「残念? ……首の皮繋げるのが精一杯の奴が何ほざく。俺が絶対的有利というこの状況は揺るがねぇ。どこまで逃げようと、最後は俺が全員刈り取って終いだろうがよぉっ!!」
そう、朱雷電を止めない限り今の行動は全くの無意味。単に怪我人を彼の攻撃から遠ざけたに過ぎない。
まして来た方向を逆走しているのだから、朱雷電からすればむしろ自滅の道を辿っていることとなる。
ただし……それは鴉達が無計画であればだ。
「どうかねぇ。俺ァ、そうは思わねぇけど……なっ!!」
鴉は踵を返すと、勢いよく麟鴉の腹を蹴る。それを合図に麟鴉が乱狐達を置き去るかのように疾走し始めたのだ。
向かう先は数十メートル前方の、二つの分かれ道。
片方は、前進し続ければ鴉達の出発地点であるフードコードへと戻る。もう片方は右側へカーブが続いており、そちらへ進むと噴水があったメインフロアへ引き返していく。
麟鴉と鴉は……迷うことなく右の道を選んだ。
そして――
「もういいぜっ。後は好きにしてくんな!」
鴉がそう言い残すと、麟鴉が後ろ足を強く蹴り出して朱雷電から一気に遠ざかる。
「……!? 何のマネだ……」
突然の鴉の奇行を訝しむ朱雷電。途中まで乱狐と行動を共にしていたのに、織芽だけを連れ、我先にと逃げて行ったその狙いが読めない。
「――っ!!」
ただ、それが反撃の合図であったということに直ぐ気付かされる。
織芽を鴉に引き渡して両手が空いた乱狐がなんと――無謀にも創伍を背負ったまま、振り返りざまに真っ正面から殴り掛かってきたではないか。
そう、先の言葉は鴉が乱狐に向けていたもの。
このまま乱狐が走り続けても、いずれは体力が尽きて朱雷電に追い付かれる。
なら死なば諸共――最後の足掻きとも言えるだろうが……
「フハッ――血迷ったか女狐ェアアアッ!!」
大胆な乱狐の不意打ちは惜しくも朱雷電に届かず。逆に突き出された片手から迅速且つ正確に赤光が放たれ、彼女の腹部に直撃。
赤光はそのまま背中に突き抜けた。
それはつまり……彼女が背におぶっていた創伍をも貫いたことを意味する。
「フ……! フフッ、アッハハハハ……!!」
一度、目を疑った。自分と死闘を繰り広げた数少ない敵が、まさか味方の玉砕に巻き込まれて死んでしまうとは――
「ハァーッ! ハハハハハアア!!!! こんな形で幕下ろしか英雄様よぉぉぉぉ!!」
あまりのあっけなさに思わず笑い出してしまう朱雷電。
創造世界の修羅道を幾度となく潜り抜けてきた彼には、打ち負かした敵に自ら手を下す強い拘りがあった。
敗者に引導を渡すことで、生き残った勝者として力を証明し、更には生きていることを強く実感出来るからだ。
……だというのに、この救いようのない創伍の結末。道化師らしい最期といえばそうだが、そんな死なれ方をされては笑わずにいられなかった。
(さぁさぁ傀儡の主がお亡くなりだぜ愚者! コイツにいったい何をこさえたか――世界のバグでも天変地異でも起こしてみろよ……!)
しかし、まだ終わりではない。朱雷電がここへ来た目的は現界の侵攻――ではあるが、道化師が創伍を野放しにする程、九闇雄の襲来に無関心であるはずがない。
必ず何かを仕掛けている。この場で愚者との因縁を断ち切らなければ、今生の災いになることは明白。
「おらぁ! とっとと来やがれやぁッ!!」
間も無く種明かし。放たれた電撃により乱狐と創伍の身体を爆発四散するのを心待ちにする朱雷電。
彼の眼前に広がったのは――大量の血
「ッ……!!」
ではなかった。
血飛沫のように舞ったのは破れた枯葉、肉片はただの泥だ。
何が起きたのか理解に数秒を要した。
影分身を殲滅後、怪我人を背負って逃げる残り一体の乱狐こそ本物と思っていたが……結果はその乱狐も影分身。創伍はダミーの使い回しであった。
「だったら何故……」
この状況に朱雷電は釈然としない。今殺した乱狐が本物なら、恐怖で来た道を引き返してただ逃げ回っていただけと片付く。
だが影分身の乱狐は囮になって朱雷電を誘導していた。それだけでなくわざわざ逃げたはずの鴉と合流し、あたかも彼女が本物であると思わせる為だけに援護射撃までさせて……。
もしそこまでして時間稼ぎする目的が、他に何か有るのだとしたら……
「はっ――」
考えを巡らす朱雷電の耳に、柱や壁の軋む音が入り込む。
続けて大小様々な破裂音の連鎖後、天井から床にかけて一気に亀裂が広がり、足元が崩れ始めたのだ。
(……斬羽鴉の気が変わった……"生"より"殺"――この先で凄まじい殺気を張り巡らしている……)
朱雷電の脳裏で無数の点が線となって繋がる。
鴉達は逃げ回ってたのではない。この窮地の脱出から一転、自分を殺すことに舵を切ったのだ――と。
それは勝算ありきか、はたまた道連れのつもりなのかは読めない。
朱雷電にしてみれば、こんな建物の崩壊からの脱出は容易く、瓦礫の下敷きになろうと致命傷にもならない。だが怪我人を抱えたままの異品をみすみす取り逃したとなれば、彼の名前を地に落とすこの上ない屈辱となる。
そのプライドの高さを見込み、鴉は敢えて逃げ惑う獲物を装っていたのだ。仮に朱雷電が罠に嵌められたと気付けど、我が身可愛さに逃げるという選択もしないはず。
「フフフフフ……フフフハハ……!」
どうあっても鴉が思い描く脚本通りに動くことを強いられる朱雷電は不敵に笑い出した。
「あぁ認めてやろうじゃん、人を見る目だけはな。いいぜ……こちとら退却なんざ頭に無かったさ。そのチンケな頭で用意した作戦を、完膚無きまでに踏み倒し……此処をテメェらの墓場にしてやらぁぁぁああああっ!!!」
そして怒号とともに身体から闘気を爆発させ、鴉に引導を渡すべく、稲妻の如き速度で崩れ行く通路を突き抜けていった。
* * *




