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『誰も信じられなくなったシンティオは、一心不乱に竜の国から逃げた。だけど刺されたところが翼の付け根だったから、長くは飛べなくて。傷を癒すため、力を取り戻すために黄金のリンゴがある白霧山へ下り立ったの。でも途中で私を落としたから、その後のことは私よりあなたが詳しいと思う』


 私は月長石の話を聞きながら大粒の涙を流していた。

 シンティオは生まれてからずっと周りに虐げられて生きてきた。

 周りは彼が白い竜ってだけで勝手に世間の常識に当てはめて、彼自身を見ようともしない。

 月長石が言っていたように長年染みついた考えを変えることは難しい。すなわち、白竜破滅主義の考えがなくならない限り、竜王様が法律を作ってもまた同じ悲劇が起こる可能性があるということ。

 そんな場所にシンティオをいさせたくない。


 私は手の甲で涙を拭うと鼻を鳴らしながら立ち上がった。

「いくら竜王様の命令でシンティオが竜の国へ帰っても、心から安らげる場所なんてきっとない。彼を連れ戻さないと」

 劣等感を抱えて生きてきた私に新しい価値観を教えてくれたのはシンティオだ。

 烏滸がましいかもしれないけど、今度は私がシンティオの力になりたい。過酷な環境から救ってあげたい。


 私は月長石を見つめ話しかけた。

「あなたは精霊石だから、凄い力があるんでしょ? 私をシンティオのところに連れて行って欲しい」

『行ってどうするの? 竜の国は人間が足を踏み入れて良い場所じゃない。きっと侵入者として捕まってしまうわ。人間嫌いの竜に見つかれば殺されてしまうかもしれないのよ』

「私はサンおばさんの弟子で薬師だよ? 睡眠薬も下剤もお手の物、なんなら煙幕だって作れる。竜の国といっても皆、人の姿をして暮らしているみたいだし。簡単にはバレないと思う」

 あ、でもサンおばさんはシンティオが倒れた時に『竜臭い』と言っていたから匂いでバレるのかな? それなら行く前に匂い消しを作らないと。『楽しい応用薬学 ― 多分ポケット版 ―』に書いてるかもしれない。

 思案を巡らせていると月長石に尋ねられる。

『……そこまでしてあなたに何の得があるの? 商人は損得勘定で動く生き物なんでしょう?』


 確かに商人からすれば竜の国へ行くなんて危険なだけで何の得にもならない。

 私は今まで通りの生活に戻れる。白パンを食べられなくて済むし、セクハラまがいなマーキングをされなくて済む。だけど――

「損得を考える前に、私にとってシンティオはかけがえのない存在。いないと寂しいし、できるなら私はシンティオと一緒に生きていきたい」

 だからお願い。私をシンティオの元に連れて行って!


 真剣な面持ちで訴えると、月長石が青白く輝き始めた。

『……あなたの気持ちはよく分かったわ。だけど、あなたが竜の国へ行く必要はない』

「え?」

 月長石が一層眩い輝きを放つと、周りを包んでいた白い霧がさあっと晴れていく――



 次に足音が聞こえて頭を動かすと、そこにはシンティオが柔和な表情を浮かべて立っていた。

「ただいまルナ」

「シン、ティオ?」

 シンティオは頷いて私の呼びかけに応えてくれる。

 本当にシンティオ? また月長石が見せる幻ではなくて?

「シンティオ」

 実感が湧かなくて再度名前を呼べば、優しく抱き締められた。

 触れる肌からは温かい体温、そして彼の心臓の鼓動が伝わって来る。幻ではなく本物だと分かった途端、私の心臓が早鐘を打つ。

 けれど、どうして帰ったはずの彼がここにいるのか分からなくて混乱した。


 何から尋ねれば良いか優先順位が決まらず、言葉が詰まって上手く声が出せない。

 すると、シンティオが私の頭を撫でながら口を開いた。

「我は全て片付けてきた。雌竜との婚約も解消したし、兄上の側近も辞めてきた。兄上の説得には難儀したが、運命の番に巡り会えたことと、その者と一生を添い遂げる旨を伝えたら最後は幸せになれと了承してくれた」

「は? 番?」


 この竜今なんつった? それって今度こそ愛し合える雌竜が見つかったってことだよね?

 だったら何で私は抱き締められているのだろうか。これって事案では?

 それともあれか? 世話になった餌やり係に結婚報告しに来たのか!?

 嬉しさのあまりハグで報告か!?

 要は最後まで告白できずに振られて終わることになってしまったということね。これでは不完全燃焼だ。


 それでも祝福はしたいから私はとびっきりの笑顔を顔に貼りつけた。

「おめでとう。その番と幸せになってね。あと私も一応女だから思わせぶりな態度を取らないでくれる? ほら、勘違いするから……んん?」

 シンティオから離れようとすると、何故か先ほどよりも腕に力が籠められる。

 怪訝な瞳で見上げると、シンティオが小さく笑った。

「勘違いではないぞ。白い竜の運命の番は竜ではなく、人間だったのだ。そして我の運命の相手とは其方のこと。竜にとって精霊石の指輪を贈ることは番以外あり得ぬ」

 シンティオは私を解放すると、私の左手を取り、愛おしそうに薬指に光る月長石を撫でた。


 これが竜の求愛行動だといのなら、一つ納得できないことがある。

 どうして私の告白を最後までさせてくれなかったのかだ。

 真意が知りたくて尋ねると、シンティオは少しはにかみながら話してくれた。

「最後まで言葉を聞いてしまったら、我はルナを残して竜の国へ帰れなくなる。だから聞かぬことにしたのだ」

 振られたわけではないことが分かって私は胸を撫で下ろした。

「ルナのことが気になってたまに心を読んだことがあるが、我は其方を餌やり係などと一度も思ったことはない。其方が穴から落ちてきた時から、我には運命の番だと分かっていた。だが人間と竜では種が異なるから価値観は違うし、唐突過ぎて告白などできぬ。それにあんなに怖がられてはな……」


 出会った当時のことを思い出したのか、シンティオは眉尻を下げる。捨てられた子犬みたいに悲しい顔をされ、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

「あ、あの時は本当に爬虫類……いや、竜が生理的に受け付けなかったからごめんね。今は人間の姿も、竜の姿も受け入れられると思う。だって私はシンティオのことが好きで、これからもあなたと一緒にいたいもの」

 遮られる前に今度は滔々と喋った。


 シンティオは目を見開くと顔を赤く染めた。

 やがて蕩けるような瞳でうっとりとこちらに熱い視線を送ってくる。

 きっと尻尾が見えるなら忙しなく揺れているに違いない。

「我も、我もルナが大好きなのだ! 竜の哀惜の念は非常に深い。人間の雄の様に浮気することは決してない」

「私も浮気なんてしない。でも人間と竜では生きられる時間が違うから、私が死んだらシンティオは独りになるんだよね」

 竜からすれば人間の生きる時間なんて一瞬だ。私が死んだ後の長い時間を考えると彼を置いて先立ってしまうことだけが悔やまれる。

 するとシンティオは誇らしげに胸を張る。

「なに、心配は要らぬ。ルナが穴から落ちてきた時点でちゃんと我の血を飲ませ、眷属にしておいたのだ! これで同じ時間を過ごせる」



 誇らしげに語るシンティオに対して、私は腹の底から寒気がした。心と物理の両方から距離を取るように数歩後退った。

「それって私がシンティオのこと好きにならなきゃただの痴漢で犯罪だからね。ほんと毎回思うけど最っ低!」

「あの時は番と巡り会えた喜びで我を忘れてしまい、血を飲ませてしまったのだ。すまぬ、本当にすまぬ。お願いだからゴミを見るような目で見ないでくれ。赦してくれなくていい。でも我は責任をもってルナを幸せにすると約束する。だから……」

「幸せにしてもらわなくて結構です」


 私はきっぱり断ると、腕を組んでくるりと背を向ける。

 人間との慣習が違うから仕方がないのかもしれないけど、私からしたらちゃんと段階を踏んで欲しかった。とはいっても異種族だからシンティオもいろいろと悩んだみたいだし。

 そういうところはお互いにちゃんと価値観を共有していくしかないか。

 私が勝手に結果を出して納得している間も、シンティオは背後で平謝りに謝り続けていた。ちらりと盗み見ると、いよいよ涙目になっている。


 私は小さく息を吐くと、シンティオに向き直り、彼の前に手を差し出した。

「そこまで怒ってないからもう謝らないで。それと幸せにしてもらわなくていいっていうのは本当だよ。私は二人で力を合わせて幸せになりたい。だから――」

 これからもよろしくね、と声を弾ませて言った。

 シンティオは私の顔と差し出された手を交互に見る。

 次に顔を綻ばせ、手を握り締めると力強く返事をしてくれた。

「――うむ」



長い間お付き合いくださりありがとうございました。

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