10.姉様
通りの角から、魔導車がふたたび現れた。
窓ガラス越しでは、エラ様の顔は見えない。
それでも、通りの人たちは、その車に向かって手を振っている。
魔導車は、ゆっくりと屋敷に近づいてきた。
玄関の前には、使用人たちが並んでいる。
その中には、さっきまで話していたアルバートさんの姿もあった。
魔導車が、屋敷の前で止まる。
周りの歓声が、一段と大きくなった。
「エラ様ーー!」
僕は、窓から様子を見つめた。
魔導車の扉が開く。
最初に降りてきたのは、数人の使用人と、リオとメモリアだった。
最後に、一人の女性が降りてくる。
長い髪が、風になびいていた。
燃えるような赤だ。
女性は、並んだ使用人たちに笑顔を向ける。
使用人たちが、いっせいに頭を下げた。
その姿を見ていると、なぜか、胸の奥がざわついた。
「…………」
女性は、屋敷の中へ入っていった。
その後ろを、リオとメモリアがついていく。
屋敷の中が、急に騒がしくなる。
「おはよー!」
リオが、すごい勢いで部屋に飛び込んできた。
「おはようございます、リオ姉さん」
「ごめんね、朝いなくて。手紙、読んでくれた?」
「アルバートさんが、読んでくれました。僕、字が読めなくて……」
「あっ、そうだった! るいくんと普通に話せるから、つい忘れてたー」
「リオ姉、ほんとバカでしょ」
そう言いながら、メモリアも入ってきた。
「姉様が急に帰ってくるから、大変だったんだよ」
「仕方ないよ、儀式なんだから」
「それより、るいくん! 今日、姉様がるいくんに会いたいって言うから、部屋に――」
「リオ姉」
「なに?」
「後ろ」
「え?」
リオが、振り返る。
「姉様!?」
「初めまして、るいくん」
「……初めまして」
僕は、目の前の女性を見つめた。
燃えるような赤い髪。
部屋の中が、一瞬で、彼女の色に染まったように見える。
そして、儚げなのに、力強い瞳。
「会いたかったわ、るいくん」
「……どうして、僕に?」
「ふふ。それは、あなたがもう分かっているんじゃない?」
「……僕が?」
「ええ」
エラ様が、僕の目をじっと見つめる。
「僕は、何も……」
「本当に?」
「…………」
言葉に詰まった。
頭の中に、あの日の景色が浮かぶ。
八歳のころの夢。
暗闇の中に広がる、光り輝く世界。
そこには、人がいた。
あれは、確かに、この世界だった。
「……夢」
「ええ、そうよ」
エラ様は、リオとメモリアのほうを向いた。
「リオ、メモリア。少しだけ、二人で話してもいいかしら」
「「分かりました」」
「でも姉様、るいくんに変なことしないでよ?」
「ふふ、大丈夫よ」
二人が出ていって、部屋には、僕とエラ様だけになった。
「立ったまま話すのもなんだし、座りましょうか」
エラ様は、ベッドに腰かけた。
僕も、同じようにベッドへ座ろうとしたが……。
「るいくんは、椅子に座って。目を見て話したいの」
「……分かりました」
僕は、椅子に座った。
エラ様の瞳が、まっすぐ僕を見つめている。
「まず、聞かせて。あなたは、ここに来てから、何を知った?」
「……魔法とか、地下にこんな世界があることとか」
「そうね。でも、それだけじゃないでしょう?」
「…………」
「あなたは、自分がここに来た理由を、ずっと考えている」
「……はい」
エラ様は、少しだけ笑った。
「私も、あなたに知ってほしいの。あなたがここに来た理由を。連れてこさせたのは、私だけど」
「どうして、僕だったんですか」
「それは、あなたが言った、夢にあるわ」
「……夢」
やっぱり、あの夢は、ただの夢じゃなかった。
「八歳のとき、私は、お父様から魔力血を受け取ったの。魔力核を継ぐ者が、代々受け取るものよ」
「…………」
「その日、私の意識だけが、初めて地下の外へ出たの。地上を、初めて見たわ。どこまでも続く、まぶしい世界だった」
僕は、黙って耳を傾けた。
「そこで、あなたを見つけたの。一目見て、会いたい、と思った。だから、記憶の魔法を使ったのよ。まだ未熟だったけど。リモアという魔法を」
「リモア……?」
「記憶を、誰かに見せるための魔法。本当は、相手のそばにいないと使えないの。でも、あの日の私は、違った。魔力血を受け継いだことで、魔力量と少しだけ特殊なことができるようになったの」
エラ様は、自分の手のひらを見つめた。
そして、その手で、僕の手を取った。
手が触れた瞬間、小さな光がともる。
頭の中に、映像が流れ込んできた。
暗闇。
どこまでも続く大地。
そして、光。
「……今のは」
エラ様は、静かにうなずいた。
「あの日、私が見たものの、ほんの一部よ」
「大きなビルや、海。ここよりずっと大きなものが、空を飛んでいたわ。……でも、一番気になったのは、あなた」
「僕、ですか」
「ええ。周りには、たくさんの人がいたのに、あなたは誰とも話さず、ずっと空を見上げていた」
そんな記憶は、僕にはなかった。
八歳のころの僕は、何をしていたんだろう。
指先が、すっと冷たくなる。
「そして、あなたの目が光ったの。今と同じ目だったわ」
エラ様は、まっすぐ僕の目を見た。
「その瞬間、あなたから目が離せなくなった。どうしてなのかは、今でも分からないのよ。ただ、どうしても会わなければいけない、と思ったの」
「それで……僕に、夢を」
「ええ。私がここにいることを、あなたに知ってほしかったの」
エラ様は、そこで言葉を切った。
「……申し訳ないと、思っているわ」
僕は、膝の上で、拳を握った。
あの夢がなければ、僕は、南極には来なかった。
十年近く、あの光を探して、勉強して、観測隊に入って、ここまで来た。
それが、すべて、誰かの魔法から始まっていた。
……怒りたいのか、悲しいのか、自分でも分からなかった。
胸の中が、空っぽになったようだった。
でも、すぐに、思い直した。
夢を見せたのは、エラ様だ。
けれど、勉強して、観測隊に入って、ここまで歩いてきたのは、僕自身だ。
その十年は、誰のものでもない。僕のものだ。
「……るいくんは、地上に戻りたい?」
エラ様が、静かに聞いた。
「……戻りたくない、と言えば、嘘になります。隊長や、小原さんもいます」
「…………」
「でも、僕は、ずっと、この場所を目指して生きてきました。だから、今すぐに帰りたいとは、思いません。ここで、この世界を、もっと知りたいです」
「……そう」
エラ様は、ほっとしたように、息をついた。
「なら、よかったわ。実はね、あなたにリモアを使ったことを、少し後悔していたの」
「どうしてですか」
「あなたの人生を、私の都合で、変えてしまったから」
「…………」
「だから、るいくん」
「はい」
「困ったときは、私を使ってちょうだい。そして、この世界を、あなた自身の目で見てほしいの」




