第1話「枯渇」
今日、重大なニュースが飛び込んできた。テレビ、SNSの速報が一斉に流れる。
中東の石油が、枯渇した。
何も出なくなった、と。
金融は即座に手を引き、巨万の富を持つ産油国の人々は、今まで積み上げてきた資産だけを頼りに生きてゆくしかない。あらゆる専門家が口をそろえて「原因不明」と言い、新興宗教家や自称預言者たちは「神からの啓示だ」「人類への警告だ」などと、さまざまなことをまくし立てている。
俺は高校を卒業してすぐ、地元のガソリンスタンドに勤めて、気がつけば十年のベテランになっていた。頭が良い方ではないと自分でも分かっているから、真っ先に失業のことを心配した。しかし、ガソリンは備蓄分を含めてあと半年は持つらしい。
ある朝、社長からこう言われた。「お前ら、ここの在庫がなくなったら大手に転勤だ。俺も含めてな」
何のことだろうと首をひねっていると、社長は続けた。「国がスタンドを国営化する。つまり、我々は公務員になるということだ」
「え! 公務員ですか!」
思わず声が裏返った。
話はこうだ。ガソリンは配給制となり、しかも特定地域限定、個人の販売許可制になるという。火力発電は廃止。代わりに原発再稼働と石炭火力発電の再開で電力を賄う方向に切り替わった。
俺のこのスタンドでの仕事も、あと一週間となった。夕方には警備会社の人たちと交代しながら家路につく。普段は原付バイクで通勤していたが、今は自転車だ。
枯渇前は無人だったスタンドが、今は常時三名で警備している。世の中が変わったのだと、ハンドルを握るたびに実感する。
その日の昼で、油がついに底をついた。それからは室内の備品の回収や機材の移動で数日間働くことになった。
そんな最中、奇妙なニュースが流れた。「中国から原油が出た」というのだ。量は明らかになっていないが、やや粘度の高い重質原油らしい。とにかく今まで何もなかった地層から突然湧き出したのだから、人民が喜びで狂喜乱舞している映像が世界中に流れた。
国は中国から原油を買えるのか、と疑問に思ったが、俺にはどうにもできないし、考えるのをやめた。それより明日から転勤だ。朝六時始まりである。
── 新しいスタンドにて ──
「おはようございます。石原SSからやってまいりました、村上壮太です。よろしくお願いいたします」
ぺこりと頭を下げると、カウンターの向こうから若い女性が顔を出した。
「私、ここの社長の羽鳥の娘で、朱里といいます。よろしく。村上さんはベテランだから、基本的なことは大丈夫ですね」
「はい、ここのやり方さえ覚えれば問題ないかと思います」と、無難に答えた。
「分かりました、安心しました。ただ、ここも供給次第では閉鎖もあり得ますから」と、朱里さんは少し声を落として続けた。「国は中国に少し期待していたようですが、量が少なく輸出は無理だと分かって。今はアメリカのアラスカのパイプラインに技術支援と投資をして、供給確保に力を入れているみたい」
「詳しいんですね。参考になります」
「私も卸元の玉川次長に教えてもらったのよ。次長って、中東を含む石油事情に本当に詳しいの」
なるほど、と俺は思った。こういう人脈が、こんな時代には命綱になるのかもしれない。
それから数日、新しいスタンドにも少しずつ慣れてきたある朝のことだった。朱里さんが事務所に飛び込んできた。
「大変よ、いい話聞いてきたよ! 聞いて! 何と、新潟に新たな油田が出てきたの。今日のニュースになるわよ。それも良質な原油で、まだ正確な数字は分からないけど、イラク並みの約千四百億バレル規模らしいの。これから急ピッチで工事して、年末に間に合わせるみたい。国家プロジェクトっていうやつ!」
「それはすごい。資源があったんですね!」
「村上さん、それは違うよ」と朱里さんは首を振った。「油田の近くではあったけど、前は何もなかった場所から急に湧き出したんだから。まるで、中東の原油が中国と日本に移ってきたみたいよね」
まさか、と思った。しかし、その方が夢があっていい、と俺は素直にそう感じた。
家に帰れば、その話題で持ちきりだった。さらに政府から各業種への労働者募集が告知され、破格の報酬と、それに付随する施設の二次募集、さらには関連する町の整備計画まで発表されていた。まるで新しい街が生まれるようだ、と朱里さんは言っていた。
続いて政府の正式発表があった。「今回の油田周辺を国有地として管理する。対象地域の住民については、代替地の提供をもって手当てする」というものだった。順調に進めば、日本が産油国として輸出できる可能性も出てくるという。
さらに自衛隊の駐屯地が設けられ、周辺の警戒にあたるらしい。
テレビをつければ、この話題で沸き返っていた。歓迎の声あり、反対運動あり。ところが今回の反対活動に対して、政府は容赦なく逮捕で対応した。発表では「特定の国が絡む案件」とだけ述べて、国名は明かさなかった。マスコミからも逮捕者が出た。やがて政治家まで逮捕された。
不穏な空気が漂い始めていた。
そんな中、またも朱里さんが教えてくれた。
「ねえ知ってる? 中東の発電の多くって、天然ガスに依存しているのよ。燃料の供給が止まれば、即座に大停電が起きる。それだけじゃなくて、サウジアラビアやUAEなんかの飲み水は、ガスの熱を利用した海水淡水化で作っているの。電気が止まればポンプが止まり、ガスが止まれば水が作れなくなる」
「……ガスも枯渇していたんですか」
「そうなの。天然ガスも尽きていたのよ。日本は別のルートで買っているから、ぎりぎり何とかなっているけどね」
朱里さんのおかげで、また一つ賢くなった気がした。水が尽きれば、人は住めない。中東の人々は、これからどこへ行くのだろう。移民、あるいは難民になるのだろうか。そう単純に思った。
── 人の流れ ──
数日後、朱里さんが困り顔でやってきた。
「うちの会社からも新潟に行く人が出てきちゃったよ。補充したくても、新潟の給料が高すぎてみんなあっちに行っちゃうのよ。村上さんはここに居てくれるよね。大丈夫だよね!」
「大丈夫です。慣れない土地には行きたくないんで」
「よかった! それで相談なんだけど、無理しない範囲で労働時間を増やすことできる? もちろん補充できたら時間は戻すから。これを乗り切ったら昇給も考えるから、お願いできる?」
「大丈夫です。やります」
「あー助かるわ! それと、聞いてる? 中国の原油の話」
「いや、全然知らないです」
「実はね、沿岸近くで三か所と、天然ガスが二か所ほど新たに出たらしいの。地元じゃ大歓喜でお祭り騒ぎらしいのよ」
「そりゃそうでしょう。日本も同じですから」
「それがね、そうも喜んでいられないの」朱里さんの声がわずかに低くなった。「油田の一か所が北朝鮮との国境近くにあったらしくて、今、緊張状態なのよ。ヤバいかも」
「それは危ない。戦争になるんですか」
「可能性は高いかも。中国は今、労働者が足りなくて、世界中に散っている中国人を集めているらしいの。特に近い韓国、日本、台湾、フィリピンの中国人も強制的に帰還させているって」
「向こうも国策ですか」
「そういうこと。特に北朝鮮側の油田は、軍を動かして占領するんじゃないかって噂もある。分からないけどね」
帰り道、自転車のペダルを踏みながら、俺はぼんやりとそのことを考えた。石油が消えて、石油が生まれて、また争いが始まる。人間というのは、つくづく懲りない生き物だと思った。
── 茨城の天然ガス ──
それからさらに数日後、今度は茨城で天然ガスの発見が確認された、というニュースが日本中を駆け巡った。その規模は、日本の年間使用量の百年分に相当するという。政府は直ちに前回の新潟と同様の政策を打ち、矢継ぎ早に動き出した。
翌朝、朱里さんが満面の笑みで事務所に入ってきた。
「うちのガス部門も安泰ね!」
それから少し表情が曇った。
「村上さん、中東の話、聞いてる?」
「難民の話ですか」
「そう。イラク、リビア、クウェート……もうヤバいみたい。餓死者も出ているって」
俺は黙って聞いていた。窓の外では、いつもと変わらない青空が広がっていた。でも世界のどこかでは、水も食べ物もなく、どこへ逃げればいいか分からない人々がいる。
石油が生まれた国と、石油が消えた国。
俺には何もできないけれど、せめて今日の仕事を、ちゃんとやろうと思った。
自転車で家に帰りながら、夕焼けに染まる空を見上げた。明日もきっと、朱里さんが何か新しいニュースを持ってくるだろう。世界は変わり続けている。俺は変わらず、ここに立っている。それだけでいい、と今は思う。
(第1話・了)




