異世界転生と召喚。
頭になにやらとても柔らかい感触が……。そして優しい香りが僕の鼻腔をくすぐる。
その2つの感覚が僕の朦朧とする意識を現実へと誘う。
「おや? ……起きたようですね?」
女性らしい高い声、凜とした響きの中にどこか慈愛に満ちている声音は僕の意識を覚醒させるのには十分だった。
「……う、ん……ん? えっ!?」
僕は目を開けた。まず眼に入ったのは白い布が張り裂けそうなほど豊満な胸。
僕はギシギシと音が鳴りそうな勢いで首を回して目線を枕元へ向け、僕の頭が置かれてる位置を確認すると……そこには真っ白な肌の健康的に引き締まった綺麗な太もも。
――え……もしかして…………膝、枕!?
「あ、あの……あ、あまり、じろじろ見ないで頂けると嬉しいのですが……」
「あ……! す、すいませんっ!」
恥じらいと怒り、両方が混じった声音に、僕は慌てて彼女の膝から起き上がると飛び退くように移動して、頭を下げて謝った。
「……ふふっ」
僕の慌てっぷりが彼女のツボに入ったのか、優雅でありながら妖艶な笑い声を軽くあげる。
そんな美しい声に反射的に顔を上げる。
「――ッ!?」
この世のものと思えぬような整った顔に宝石のような翡翠色の瞳、腰まで伸びた美しい金色の髪。魅惑的なプロポージョン。目を剥くほど美しさにも関わらず、僕の目はある一点に集中している。
彼女の背中、背から生えている一対の白い翼。
――人間じゃ……ない……?
「はい、私は人間じゃないですよ? 成瀬智哉くん」
「……ど、どうして、僕の名前を……それに――」
「何故キミの考えていることが分かったのか? でしょうか。」
僕は彼女の輝いた笑みに背に悪寒が走りゾッとするが、辛うじて頷く事が出来た。それから彼女は、そうだ、と言わんばかりに両手をパンっと合わせる。
「あ、そうだっ! ……私だけ一方的に名前を知ってるのは良くないですね。智哉くん、私は女神・システィーンといいます」
「……は?」
「ふふっ、これは手厳しいですね……何言ってんのこいつ、といった表情をしていますよ?」
いやぁ、だってさーいきなり神を名乗られても……
「信じられませんか?」
僕と女神様との距離は約5メートルほど離れていたはずなのに、目を離した隙に鼻と鼻の先がくっつきそうなほど近づいていた女神様に僕は悲鳴じみた声を上げてしまう。それと同時に僕は綺麗な顔を間近に、顔が火照り始めたのを余所に飛び退く。
「――うわぁぁ!?」
「この空間ではキミの内心は私に丸聞こえですからね?」
「は、はい……それで……女神様が僕に何の用ですか……?」
辺りを見回しても永遠に白い空間が続いているだけだったので、僕は話を進めるべく彼女の話を聞くことにした。
人間は翼を持たないし……これは信じるしかないじゃん?
「信じて貰えて嬉しいです。貴方には異世界へと行って頂きたいのです」
「い、いせかい? ……何故僕なんですか?」
「智哉くんは『AWO』をやっていましたよね?」
『AWO』
Advanced World Online の通称だ。
ゲーム会社最高峰のソラー社から発売された最新式VRMMO。専用ヘッドマウントディスプレイ型端末【アディア】の五感を完全にゲーム内へと移行するフルダイブ技術と圧倒的グラフィックによる完全な仮想空間の構築はゲーム業界に革命を起こした。
全年齢対象で全ての世代から絶大な人気を誇る、中世ヨーロッパを基礎とし、剣と魔法の存在するRPGゲームだ。
「やってましたけど……それが何か?」
「『魔装剣・オルタナティブ』」
女神様の言う『魔装剣・オルタナティブ』とは『AWO』に存在する最もレアな片手剣で、ゲーム自体は全世界で配信されているのにも関わらず僅か一本という破格のレア武器。
性能はレア武器の名に泥を塗ること無く、攻撃力はピカイチ、魔法を補助する杖の効果も付いている。
僕の脳裏には、装飾の無い無難な鞘に納められる剣が思い浮かんでいる。
「えっ!? ま、まさか……一本しかない超レアアイテムの理由って……!」
「勘が鋭いですね。恐らくキミの考えている通りです。異世界へ行く者を選定するためでした」
アーサー王物語みたいな……選定の剣かっての。
確かに今思えば、レアドロップ確率0,00001%っておかしいし……
「……も、もし僕が行かないと言ったらどうするんですか?」
「……大変言いにくいのですが、この空間に来た時点で地球での成瀬智哉は既に存在していない事になっています」
「――は?」
この人、今なんて言った? 存在しない? 僕が?
「オブラートに包まずはっきり申し上げます。地球での貴方は死にました。」
え? なんで……? 僕はもう死んだって? なんてこった……
「混乱するのも分かります……ですが――」
「いいですよ……」
「な、なにがでしょう?」
「異世界に行きます、何すればいいんですか?」
ごちゃごちゃ考えるのはよそう。死んだのは予想外だけどここで停滞してたらいつまでも動けない。死因とか虚しくて聞けないし……っていうか直前までの記憶がないのはやっぱりショック死とかだったのかな?
「やっぱり死因、聞きたいですか?」
「い、いえ……別に地球に未練とか無いですし、まあ……せめて育ててくれた親父と母さんにはお礼の一つくらい言いたかったですけど」
「ほ、ほんとに申し訳ありませんっ! ……私に出来ることなら何でもしますからっ!」
「いやいや……いくら神様でも女性でしょ? 綺麗な女の人が何でもするなんて言っちゃだめですよ?」
僕は出来うる限り下心を見せないようにしつつ、神様に言う。それを聞いた神様は、はっとしながら自分の失言に頬を赤く染める。
あっち方面に慣れていそうな大人の女性がこうやって頬を染める所にぐっときてしまう僕。
それに気づいた神様は僕の胸元にポカポカと拳で軽く殴ってくる。
「も、もうっ! 神に欲情なんて、いけない子ですねっ!」
「いやあ、すいません……そうだ、異世界に行くなら『AWO』のロアノスの姿にしてくれませんか?」
「え……?」
「ああ、無理なら大丈夫です。ただオルタナティブをもっと使って一緒に冒険したかったですから」
僕はたった一週間前に手に入れた『魔装剣・オルタナティブ』を頭に思い浮かべながら神様に尋ねた。もちろんダメ元で聞いたからあまり沈んだ気持ちにはならない。
でも……やっぱりあの剣と一緒に冒険とかしたかったなぁ……
僕の気持ちを読んだのか、神様が慌てて口を開く。
「い、いえっ! 私が言い出したんですっ! もちろんできますっ! しかし……」
「しかし?」
「その姿になる為、そしてオルタナティブを使う為にはある人たちに会って貰う必要があります。」
おちゃらけた雰囲気はどこヘやら、今まで見たことも無い真剣な眼差しは僕を射殺さんばかりに向けられている。平和な国に生まれた僕は初めて殺気というものに当てられ、思わずたじろいでしまう。
(別にその姿で無くともいいじゃないか。)
(あの姿に気に入っていたのは僕自身じゃないか、それにオルタナティブを使ってあげないなんて、職業・騎士として、オルタナティブに失礼じゃないか?)
僕の内心では2人の僕が天使と悪魔となって言い争う。
だが最初から僕の意見は変わらない。
「勿論会います。それでロアノスに、オルタナティブを使うことが出来るのなら」
僕は神様同様、真剣な眼差しで答える。僕のその覚悟の籠もった眼差し、声に満足したのか殺気を消し去り、綺麗な笑みを浮かべる。
「分かりました。『女神・システィーンの名の下に汝、成瀬智哉はロアノスとして生きることを許諾する。』」
神様がそう呟くと、僕の身体が発光しだした。その光は時間が経つごとに徐々に強くなっていき、神様がそう呟いてから5分後、目が潰れそうなほどの眩い閃光が視界を白く染めた。
直ぐに視界は回復した。だが感覚がおかしい。なにやら頭は重いし、少し目線が高くなっている。
それに気づいた僕の様子を見ていたのか、神様があまり装飾の無いシンプルな手鏡を渡してくれた。
「うわぁぁっ! ほんとにロアノスになってるっ!」
自分で言うのも恥ずかしいが、きめ細かい女性のような白い肌、細い三日月の如く形の良い眉、彫刻のような造形された鼻、紅と蒼のオッドアイは鋭すぎず、無造作に長く伸びた黒髪。
身長は約180センチほどだろう、キャラクターメイキング通りになっていた。
「背中をご覧下さい。」
「え……も、もしかして……!」
胸の前の金具を外し、無難な普通の鞘に納まる剣を両手で握る。僕は恐る恐る右手で剣の柄を握り、一気に抜く。
絶対に見間違うわけが無い。
装飾の凝った蒼い鍔、漆黒に染まる柄、刃渡り約1メートルを超える剣身には一筋の血管のような赤い線が入っている。
「『魔装剣・オルタナティブ』……今度はちゃんと使うから……」
『――――』
オルタナティブから「私に認められるように精進しろ」と聞こえた気がしたのは気のせいだろうか。どうやら僕もいきなりのことに精神的に参っているみたいだ。
「さて、先程は説明があまり出来ませんでしたのでもう一度。
成瀬智哉もといロアノス、貴方にはシレーナという女性の召喚獣となり、彼女を、そして世界を救って下さい。」
女神様がそう僕に伝えた瞬間に僕の身体――ロアノスが発光し出した。
「むぅ……もう時間ですか……また説明が不十分でしたね。貴方の身体能力等は向こうの世界で確認できるよう調整しておきました。それにスキルや魔法もゲーム内のままにしてあります。」
「は、はぁ……」
「それに向こうの世界でロアノスとは名乗らず、オリジンと名乗って下さい。いいですね?」
有無を言わさぬ鋭い眼光に思わず、背筋を伸ばしてしまう。
「わ、分かりました。後……会わなければいけない人って……?」
「それはですね、キミが彼らに認められた時に私が強制召喚しますから、それまでは自分の良心に従って行動して下さいね? ご武運をお祈りしています」
「え、ちょっと――」
言葉を遮られる形で、再び僕の視界が白く染まり、女神様がいた空間から強制的に移動をさせられた、そんな気がする。
「あの世界であの装備にあの魔法は少し過剰戦力ですけどね……」
既に転移したロアノスには女神様の言葉は聞こえてはいない。
『――輪廻転生する英知なる魂よ。全てを超越せし魂よ。
――全ての世界を渡り歩いてきた航海者よ。過去を知り未来を知る者よ。
――そして、英雄ノ器を持ちし者よ。
我が名、シレ―ナの名の下に。汝、英雄に名を連ねる者よ。我が召喚に応じ、現世に顕現し給え。』
女神様とは違う声音だが、確固とした意志を持った響きは僕の心を大きく揺らした。
漆黒の空間に一筋の光が、僕が進むべき道を照らし出す。僕はそれに従って歩いて行くとパッと視界が晴れた。
目の前には金髪碧眼の美しい女性がおり、僕の手を握っていた。
「初めまして、私の使い魔さん」
「初めまして、僕の所有者」
僕は今ここに異世界へと降り立った。
人間として……ではなく、彼女の使い魔として。