(2)
何日か悶々と考えに考えたが、とりあえず、前世のよくわからない記憶は置いておこう。
今悶々したって、どうしようもない。前世は前世、過去なのだ。
知らない記憶に翻弄されて、現在がおろそかになるようじゃいけないわよね。
落ち込んだときには癒しが必要である。
「フランフランフラン~!」
がばり、と思い切り抱きついたわたしを、年下の少年はややよろけながら受け止める。その表情はまさに半目である。
「どうしたんですか、セシリアさま。せっかくのお召し物にしわがつきますよ」
ひどく大人びた言葉で正論を紡ぐ憎らしい少年に頬を膨らませつつ、表面上は素直に引き下がった。フランの皮肉は痛いくらいわかる。敬語なのがよけい効く。
この日、わたしは朝から大変だった。
湯浴みをし、身体にたっぷり香油を塗り込み、髪をとかし、結い上げ、新しく上げたドレスを身に纏い……母の侍女総出で取り組まれたのである。
そりゃあ頬も引きつりますわ。
余談であるが、貴族のなかで毎日湯を浴びる習慣はなかったが、現代日本の風呂で慣れ親しんだわたしの要望でお風呂がつくられた。魔法で水の湯沸かしもできてしまえるのは、アルバートの特権だろう。一時期風呂は裕福層のたしなみとなった。
そもそも、魔法器具は希少価値の高いものであり、昔とちがい、魔法が廃れた現在となっては一般家庭に浸透しているものではなくなった。魔法器具が使えるということは、それだけで成功者の証なのかもしれない。父さまの魔力のおかげで、最近では徐々に魔法器具も貴族間を中心に出回っているようだ。
魔法はすごいものなのだ。
たとえば、蝋燭に火をつけるためには、炎自体が必要であるし、また強風や雨天時など、周りの環境にも影響される。しかし、魔法器具があれば、いついかなるときでも灯をともすことができる。それこそ、魔法の炎ならば、海のなかだって燃えていられるのだ。
以上、閑話休憩。
さて、朝いちばん、たたき起こされなにも告げられぬまま、わたしは余所行きの格好をさせられた。
わけがわからず混乱していると、様子を見に来たらしいお母さまの眼がみるみる見開き、ついで眦が引き上げられた。
「冗談はおよしなさい! 殿下から招待されたのは今日でしょう」
まさか、忘れていたわけではないわよね、と言外に唸る母に、わたしは青い顔をして首を振るのだった。
完璧、忘れていましたわ!
そんなわけでなんとか準備が整った次第である。レイチェルはむすっと顔をしかめて、「わたくしだけでもいいですのに」なんて言っていた。
お城に招待されたのは正直うれしい。けれど、あの日の【アルバート家奴隷を囲う事件】への関与を疑われているなか、父さまの様子も代わりなく、我が家は不気味なほど平和で静かだった。なんのお咎めもないだなんて、逆に恐怖以外のなにものでもない。父さまがうまく言い逃れできたと、そういうことでいいのだろうか?
本当なら従者はフランにお願いしたかったが、今回ばかりは自重するしかあるまい。ふてくされたくなるのはわたしのほうだ。でも、『奴隷』という呼称自体がフランを傷つけている可能性だってある。
そんななかでも、いいことはあった。フランの奴隷の印である、首輪をとることに成功したのである。というよりも、父さまは驚くほど簡単にオーケーを出してくれた。えっ、いいの? と口をついて疑問が飛び出しそうになったが、藪蛇になるのを恐れて詳しく父さまに追及はしなかった。だってフランの奴隷の印がとれるなら万々歳だもの。
しかし、久しぶりに外気ににさらした首元は幾分かぶれていたので、しばらくは首元を覆うような服装をつづけてもらうことになりそう。フランは何度か首を回して、それからはにかみながらも、うれしそうに「ありがとう」を言ってくれた。
「いつまでそうしてるつもり? うわ、ニヤニヤするなよキモチワルイ」
「な、なあんですってえ」
呆けていたわたしに、フランは肩をすくめ、次いでニンマリとした。
「まさか、さみしい、とか?」
「さみしい? ああ」
――そうかもしれない。わたし、フランがいないと、とっても不安だわ。
思ったままを告げれば、なぜかぎょっとした様子で、フランはあわてて「馬鹿!」と叫んだ。耳まで真っ赤である。つられて、わたしの頬にまで熱が走った。
「なに顔を赤くしてるんだよ!」
「そ、それはこっちの台詞よ。恥ずかしがってるなんて珍しいわね」
「うるさいなっ」
ツンと顎をそらしてそっぽを向くフラン。なんだか堪えきれなくなって、思わず抱きついてしまった。
「ちょ、ちょっと」
「ああーん、フランかわいすぎるーっ」
かわいいものは好きだ。カワイイは正義である。うむ。
今度こそ、顔やら首やらをりんごのように赤くして、フランは距離を取るように両手を突きだした。
「痛い。なにをするのよ」
「わっ、ごめん――って、そうじゃなくて!」
キッと眉根をよせ、フランは頬を膨らませた。
「いい加減にしてよ。俺だって一応、男なんだからな」
「知ってるわよ」
「わかってないよ。まったく。こんなんだから、誤解されるんじゃあないか」
後半はぶつぶつつぶやくように言って、わざとらしくため息をついた。
言い方はいつもどおり。ツンデレな我が従者。しかし、すこしばかり違和感が生じる。どこかそわそわとして、こちらをうかがっているようだ。
もしかして心配してくれているのかしら。
知らず、口元が緩んだ。
「心細いけど、行ってくるわ。明日はたくさん愚痴を聞いてね」
「わかったよ、主」
憂鬱な気分はなりをひそめ、わたしは意気揚々と馬車へ乗り込む。
レイチェルが怯えたような怒りたそうな器用な表情で、「ニヤニヤして、なにを企んでいるのよ」なんてぷりぷりしていた。
ニヤニヤじゃなくって、ニコニコって言ってほしいわ!




