挿入話 騎士たちの譚 *
*マークはハロルド側の三人称視点になります。
閑話か番外編か迷ったのですが、これも一応『本編』扱いですので挿入話という形をとりました。
「ハロルド! おまえ、悪女の餌食になったんだって?」
何度目のため息になるだろう。ハロルドは怒鳴り散らしたいのを鋼の精神で押さえつけ、ふりむいた。
声をかけてきたのは、同じ王族に仕える騎士である、シリル・アシャール。亜麻色の髪を横に撫でつけ、いつもあまったるい香りをふりまいている色男だ。彼とは常々、馬が合わない。
今日も今日とて、シリルは憐みの表情をつくりつつ、口端を引き上げ、目には嘲りの色をのせている。
「おかわいそうなことだ。おまえたち兄弟はそろって悪女の餌になったんだろう? ああ、けれど驚いたな。あのハロルド・グスターヴまでもが女の色香に騙されるだなんて!」
――悪女の餌食になったわけではない。断じてない。
何度訂正しようが、人間とは面白おかしいほうが好ましく耳に残るらしい。ハロルドが悪友セシリアに足を引っかけられて無様に転びそうになった話は、いつしか『悪女の毒牙にかかり病に伏した話』へと変貌を遂げていた。手首を痛めたことをめざとく見とめられ、医務室へ赴いたことも話の信憑性を妙に真実味を帯びるものにさせていた。しまいには、あることないことおかしく飾りたてられ手のつけようのない噂まで出回っている。
ハロルドは近頃イライラが止まらなかった。醜聞をあおった輩は当然のこと、憎き悪女セシリア・アルバート、それから未然に噂を防げなかった不甲斐ない自分に苛立ちが治まらない。
「さぞや、傷心したのだろう。話は聞いているよ。いやはや、王子の第一騎士がねぇ?」
ハロルドが口をひらくのを遮り、シリルは訳知り顔でつづける。
「いや、君の女性関係にとやかく言うつもりはないよ。ただ、僕は常々、おまえはもしや男に色恋の情を抱いているのではと心配していたんだ。おまえは、ほら、昔から付き合いも悪いし、誘われても娼館に行かないし。浮いた話のひとつもない。お堅い騎士さまにしても異常だと思ってたんだ。ああ、だけど悪女に騙されてしまうだなんて! 王子の第一騎士としてあまり褒められたことじゃないよねえ」
「ええ、まったく」
ハロルドはいちいち抗議するのが面倒になった。
思えばこの男、事あるごとに妙に突っかかってくる。
ハロルドが家の地位に頼らず軍部に入団し試験を突破して王子の騎士に選ばれたのとちがい、シリルは家のコネを最大限に使ってのしあがってきたようなものだ。ハロルドのようにあからさまに上司から目をつけられることもなかったが、同時に王子から目をかけられることもなかったのは皮肉かもしれない。
しかし、シリルは決して無能な男ではない。やや軟派な性格と目下ハロルドを見下すことに情熱を注いでいるのに目をつむれば、腕のたつよい騎士だ。少なくともハロルドはそう思っている。
ただ、やはりプライドが高い。高すぎる。そしていささか繊細すぎた。悪く言えばがさつなところのあるハロルドのような騎士を、シリルは許せなかったようだった。己を差し置き第一王子の第一騎士に選ばれたことも我慢ならなかった原因だろう。
「だいたい、僕は昔からおかしいと思っていたんだ。おまえのような浅はかさの塊がアレックス殿下の騎士など勤まるはずがないじゃないか。れっきとした貴族のくせに正式に推薦もされず、平民と同じように試験を受けて。まったくバカだね。おまえは貴族としての自覚がないんじゃあないのか?」
「ああ、そうかもしれない」
「まったく、本当に節操のない……おとなしく文官として勤めていればよかったものを……もしやあれか? おとぎ話のグスターヴにでもあこがれたのか?」
シリルの言葉にはじめて、ハロルドは目をぱちくりさせた。
「君が神話を理解しているとは驚きだな」
心底感心して言うと、シリルはすこしだけばつの悪そうな顔をした。
「好きで詳しくなったわけじゃない。あの神話狂いのせいだ」
後半はほとんど吐き捨てるようにつぶやくと、シリルは舌打ちをしてさっさと足早にその場をあとにした。嫌味の応酬も通じないハロルド相手にかまっている暇などない、とでも言いたげに。都合が悪くなると一段と逃げ足がはやい。
シリルの言う『神話狂い』とはおそらく第二王子殿下であろうことは容易に想像がついた。第一王子がもてはやされればそれだけ、弟王子との比較ができてくる。第二王子は冷静で知識に貪欲な反面、影では神話狂いだと揶揄されることもあった。ただ、それくらいしか彼を批判するものがないのもまた事実であるが。
皇太子は第一王子アレックスであると内々に決まってはいるものの、現段階では暗黙の了承にすぎず、水面下ではそれぞれの王子を擁立した派閥ができつつあった。各派閥に組せず、王家を守るために遣わされるのが王家の騎士たちである。そういった意味ではハロルドもシリルもともに王子たちを守る同志といっても過言ではない。が、どうやらシリル自身はハロルドに第一王子の第一騎士の座を奪われたことが鼻持ちならないらしい。自分が第二王子の第一騎士であるにも関わらず、どこかアレックスに傾倒している節がある。
アレックスもハロルドも一応の危惧はしているが、シリルの剣の腕前はたしかであるし、護衛対象をないがしろにする性格でもない。たとえ気に食わない相手でも王族を守る任務だけは全うするだろう。
(いやはや――あいつが俺のまえでロバート殿下を中傷したととってもおかしくないことを口にするなど……なにかあったのだろうか)
ここまではっきり第二王子を揶揄する言葉を直接用いたことはなかったシリル。そういえば幾分やつれていたな、とハロルドは眉根をひそめた。
(とはいえ、俺が今の地位を譲ることなどありえないしなあ)
アレックスは常々、猫かぶりのシリルと頑固者のロバートが仲良くなればよいのに、とぼやいている。
どうしたものかと頭をひねっていると、今度はまだあどけなさの残る少年が頬を真っ赤にして走ってきた。
「はっ、ハロルドっ」
「カルリト」
カルリト・アシュリーは第三王子の騎士だ。小柄ですばやい動きを得意とする彼は、童顔であるがれっきとした騎士であり、実をいえばハロルドやシリルより年上だったりする。
「おまえ! だから言ったじゃあないかあ! すこしは遊べって! 娼婦を買うのも勉強だって!」
ハロルドの背中をびしばし叩いて、カルリトは褐色の肌を精一杯赤くして怒鳴った。ちなみに、彼の祖父母から異国の血が混じっているらしい。
「聞いてるのかハロルド! 俺は前から心配してたんだ。おまえは真面目だし、曲がったことがだいきらいだし、それに――色っぽいことを毛嫌いする潔癖さがある。だろう?」
大真面目に眉根を寄せると、カルリトはいかに女の肌が滑らかで柔らかくていい匂いがしてすばらしいかを昏々と語り出した。
まだあどけなさの残る幼い顔立ちに、真面目そうで真摯な目元のカルリト・アシュリーは、しかし、見た目を大いに裏切り立派な成人男性生活を謳歌していた。
「なあカルリト。もしかしておまえも、俺が、その……悪女に騙されたって言いたいのか?」
「え? あ、ああ。そうだろう? 噂を聞いてすっ飛んできたんだぜ、相棒」
「ありがたいが、その噂はデマだ。俺はあんな女に弄ばれて捨てられたわけでもないし、遊びすぎて足腰立たなくなったわけでもないし、そのせいで王子からお咎めを受けているわけでもないし、フラれて傷心しているわけもいないし、悪女に再度交際を申し込むという馬鹿なことも考えていないからな」
「え、ええ? そんな噂まであんのかよ」
「ここ数日いやというほどな」
「俺が聞いたのはまた別さ。『悪女と実の兄とのめくるめく性行為に溺れてついに男に走った』と」
今ならまだ間に合うかもしれない、女はすばらしいと再度口をひらいたカルリトに肩を揺さぶられながら、ハロルドはいっそ意識を失ってしまいたいとすら思った。なにが悲しくて悪女のみならず、実兄とのあらぬ噂をたてられねばなるまいのか。
(これも、全部、あのいまいましいセシリア・アルバートのせいだっ)
ただの八つ当たりであるが、それを指摘してくれる人はどこにもいなかった。




