43,春の風
練は、湊がここを去った日のことを思い出す。あの日、湊の告白を聞いて、自分も母の死にまつわる話をしたのだった。
ずっと、弟と母を死に追いやった自分に、何かを楽しむことなど許されないと思っていた。
だから、友達を持つことも、趣味を持つことも避けてきた。膨大な一人の時間を埋めるために、ネットを見たりテレビを見たりすることはあったけれど、そうすることにも罪悪感を持っていた。
ただ人に迷惑をかけず、淡々と生きる。自分がしていいのは、それだけだと思っていたのだ。
でもあの日、東吾は「もう自分を責めるのはやめろ」と言い、里樹は「もう十分苦しんだんだから、そろそろ自分を解放してもいい」と言ってくれた。
ふと気づけば、湊も含めて、いつの間にか心が通い合う人たちに囲まれていた。
あの日から、少しずつ自分は変わったのだ。そして今、演奏する東吾を見て、自分も、あんなふうに音楽を奏でてみたいと思ったのだった。
「ギターを買うにしても、とりあえず、学校が始まってからだな。近いうちに、帰りに待ち合わせて楽器店に見に行こうぜ。
あっ、初心者用の教本もいるな。こうなることがわかっていたら、俺の教本を持ってきたんだけどな」
東吾は、まるで自分のことのようにあれこれと一人で話している。それを聞きながら、練は思う。
思わず口にしてしまったけれど、もう後戻りはできない。これから自分がギターを習うことは、すでに決定事項になっている。
本当に自分にもギターが弾けるようになるだろうか。ちょっと心配だけれど、でも、すごくワクワクする!
「わあ、やっぱりカッコいいですね」
リビングルームに入って行った里樹を見て、練が歓声を上げた。
「えっ、照れるな。練くんこそ、初めて制服姿を見たけど、すごく似合っているね」
ブレザーにネクタイの制服を着た練は、凛々しくも上品なおぼっちゃまといった風情だ。
「えへへ、ありがとうございます」
これから三人で学校に向かう。今日から練は新学期で、里樹は東吾の大学の入学式に行くため、新品のスーツを来ているのだ。
だが、東吾の姿が見えない。
「東吾くんは?」
「今、門の外にマスコミがいないかどうか、偵察に行っているところです」
「ああ、なるほど」
できることなら、スーツに革靴で石塀を超えて、茂みの中を歩くことは避けたいが。
二人でリビングルームを出て、廊下を玄関ホールに向かって歩いていると、ドアが開いて、東吾が顔をのぞかせた。
「見たところ、マスコミはいないっぽいっす」
「そう、よかった」
「里樹さんが交番に電話してくれたおかげですね」
「じゃあ、堂々と表からバス停まで行こうか」
「そうっすね」
「行きましょう」
外に出て、里樹は玄関に鍵をかける。三人は、アプローチを門に向かって歩き出した。
三人の背中を押すように、気持ちのいい春の風が吹き抜ける。(終)




