#1
式典に間に合うには十分すぎるくらい早めに家を出る。爽やかな朝の陽光は、となりの妹・ローズをまばゆくきらめかせているようだった。
ミツハルが何もわからぬままユーリに成り代わってまだ十年は経っていないが、数年は子どもの成長には十分な年月である。
今日はルミナス魔法学園高等部の入学式がある。うっとりするような美少女に育ったローズは、それに参加する新入生である。と、言っても初等部からの持ち上がりで、感覚的には始業式とそれほど差はない。だが、外部からの入学生もいるため、行事は仰々しく行われる。
最高学年に在学しているからなのだが、上級生代表として王子様が話すらしい。同じ学校に通っているとは、いえ学年が違うため接点もない。クラスの女子生徒がいろめきだっているのを眺めているばかりだった。文武両道、眉目秀麗、完璧超人の王子様・エリックをローズも楽しみにしているのでは……。
「ん? どうかしたかい?」
ローズはニコニコしながらミツハルを見つめている。
「ユーリ兄様とまた同じ学び舎で過ごせることが嬉しいのです」
「去年は離れていたと言っても、同じ学園内だろう」
ローズはユーリの一つ年下だ。ユーリは一年早く高等部へ上がっており、初等部とは少し離れた校舎にいた。同じ学校内だ。離れていたと言っても大した距離ではない。
「ユーリ兄様と一緒がいいんです!」
「うんうん、僕も一緒で嬉しいよ。外部入学の生徒も入ってくるから、気が合わない人とは無理に付き合うことはないけど、友達とも遊ぶんだよ」
「あら、学校の花壇か家の庭を探せば見つかるユーリ兄様が、そんなことを言いますの?」
「僕は花が友達だから、それでいいんだよ」
「もう! 知っていますわ、ユーリ兄様が一生かけていく探求をもう見つけてしまったことくらい」
「理解ある妹は頼もしいな。ローズも頭がいいんだから、すぐに見つかるよ」
幼い頃、ユーリの中にミツハルが入ってから、兄に諭されたことが効いたのか、ローズはどこに出しても恥ずかしくない淑女になった。ご近所の覚えも良く、ユーリも鼻が高い。通学の道すがら、わざわざ顔を出してくれる人もいる。
「おはようございます」
「おはようございます」
「あら、おはようございます」
通学中に通る、花の世話をしているご近所さんの一人であるマーサだ。
「今日は入学式なのでしょう? 私の姪も学園に入るのよ。エリィっていう子。もしよかったら、仲良くしてあげてね」
「はい、もちろんです。私も今年から高等部に上がります。同じ学年ですね。新しいお友達候補が早速できました」
「よろしくね、ローズちゃん。ユーリくんにもちょっと聞きたいのだけど」
「どうしましたか?」
「この鉢、すくすく育ってくれたんだけど、最近あまり元気がないみたいに見えるのよね」
木で作られた台の上に並んだ一つの鉢を指す。
「ええ、そうですね。元気に育ちすぎて、葉っぱが多くなりすぎているんだと思います。ほら、この葉っぱの縁の色が悪くなっているでしょう」
「あら、本当ね」
「思い切って何枚か葉っぱを間引いた方がいいですよ。やってもいいですか?」
「ええ、お願いできるかしら」
「はい」
ざっと全体を眺め、何枚か葉を摘んでいく。
「とりあえずこれでしばらく様子を見てください。元気にならなかったら、その時は僕が何とかしますから」
「助かったわ。ありがとうね」
「お役に立てて何よりです。きっとマーサさんがよくお世話しているから、張り切ってたくさん葉っぱを出しちゃったんでしょうね」
「ふふっ。学校まで気をつけてね」
「はい」
マーサと別れ、また歩き出す。
「前から思っていたのですけど、魔法は使いませんの? ユーリ兄様の才能は髪に出ているくらいですのに」
「それは最終手段だよ。長期的には、植物にはよくないこともある。薬になるわけでも、食料になるわけでもない植物を、愛でるために育てているんだ。手塩をかけて育てているのに、魔法でポンと治してしまうなんて野暮だよ」
「育てるというところも楽しさなのですね。確かに、一から育てたのであれば愛着もわきます」
「この辺りは貴族街との境だから、余裕のある庶民が住んでいる。軒先で花を育てている人が多いのも、金銭的にも精神的にも余裕があるからだろう」
「ユーリ兄様の影響もありますよ。もうすっかりその道の専門家ですもの。私たちが歩くようになってから、ますます増えましたのよ」
「そうだったら嬉しいな。花が日常の中にたくさんあると、僕も楽しいからね」
そんな風にご近所さんと挨拶をしながら学校へ向かう。十分に余裕を持って家を出ているのはそのためだ。
馬車の渋滞を避けて、校門の前までたどり着く。
「それでは私はここまでです。お気をつけて」
「うん、いつもありがとう。行ってくるよ」
何も口を挟まず一歩離れてついてきていた護衛のガルドは、軽く頭を下げてから見送ってくれた。ミツハルたちも、馬車で通学した方が、時間的にも防犯的にも都合がいい。しかし、ミツハルの興味が通学路の草花に発揮されてから、歩ける距離なので歩くようになったのだ。ただし、護衛をつけることを条件に。妹が美少女すぎるため、不埒な輩はたくさんいるのである。
「初等部から通っていますけど、今日から新しいことが始まりそうでワクワクします」
今の妹は今日も輝くようにかわいい。
「新しい友達が増えるといいね。無理して仲良くなろうとしなくてもいいよ。お互いに悪いところがなくても、合う合わないはある。ローズは僕の大事な妹だから、無理して苦しい思いをして欲しくないんだ」
「はい! ユーリ兄様へかける心配は最低限にします」
「少しは心配させるんだね。うん、かわいい妹のことはずっと気にかけているよ。お兄ちゃんだからね」
(ミツハルの)母に言われたことがあるのだが、妹が生まれるより前からミツハルはお兄ちゃん然としていたそうだ。母いわく、一姫二太郎というけれど、先に生まれたのがミツハルでよかった、とのこと。兄とは、弟妹がいなければ兄ではないものだが、生まれながらにそういう性質だったらしい。 何もわからぬままユーリの体に放り込まれて数年。妹という存在がミツハルを兄たらしめてくれた。今まで生きてこられたのも、兄であるというアイデンティティを継続してこれたからだ。
「私も……ユーリ兄様は、私の大事なお兄様です」
あぁ、今日も妹がかわいい。それだけであたたかい気持ちになるミツハルだった。
ルミナス魔法学園は、文字通り魔法を学ぶ学校である。
──そう、この世界には魔法がある。魔力という汎用性の高いエネルギーに属性や方向性を与え、様々に利用することを魔法と呼ぶのだ。厳密な定義はあるが、それは研究者向けの話になるのでここでは割愛する。
ユーリの中に入り込んだミツハルは、当初、時代や国が異なるところにやってきたのかと思ったが、魔法の存在がそれを否定した。ミツハルには、魔力は未知のエネルギーであるため、ミツハルにとっての未来という可能性も考えたが、そうなると一度文明が断絶でもしていなければ、残っていそうな仕組みがないのである。そして、ミツハルには不便だったり非効率だと思うものが少なくなかったのだ。物語の中のファンタジー世界と考えるのが一番しっくりしたのだ。
ミツハルの元の世界と一致することは、世界とはそういうところに集約するものなどだろうということにしている。しかし、四季があり、体感する気温や湿度、(名前は異なるが、植物の見た目から推測する)植生などに、極端に端の方ではない本州を覚えるのは、ただの偶然なのだろうか。
解決していない疑問は多いが、しかたなくそういう世界だと折り合いをつけて、ミツハルはユーリとして生きていた。
魔法を学ぶ学校と言っても、初等部では魔法は一つの科目という扱いだ。国語・算数・理科・社会と言いたいが、この世界の科学の一部は魔法である。理科を「魔法科学」と「それ以外」に分けたような分類の科目を学ぶ。
打って変わって高等部は、半分以上が魔法に関することを学ぶ。魔法は持って生まれた才能が物を言うため、高等部から市井の魔法の才能がある若者が外部入学生として入ってくるのだ。
学年は制服のリボンタイでわかる。そわそわと浮き足だって見える一年生は、おそらく外部入学の生徒だろう。お兄ちゃん目線からも、とても微笑ましい。
と。にわかに伝播するようにざわめきが聞こえてきた。
「なにかしら?」
ローズも気づいたようで周囲に目を向ける。
「あっ!」
その瞬間、何かがローズに飛び込んできたように見えた。
「大丈夫?」
「大丈夫ですか?」
「大丈夫かい?」
三つの声が重なった。そのうちの一つはミツハルのものである。(リボンタイの色から判断するに)新一年生の女の子が、ローズにぶつかってきたのだ。ローズはしっかり受け止め、ミツハルともう一人の腕がとっさにローズの背中を支えたので、惨事に至らなかった。
「ありがとうございま……す!?」
ミツハルと、もう一人、ローズの背中を支えたのはエリックだった。学年が異なるため間近で見たことはないが、よく知っている。この国の王子様である。
「怪我はないかい?」
眉目秀麗、成績優秀、超絶完璧のエリックは、声までとろけそうなほどかっこよかった。
「は、はい、私は大丈夫です。あなたは?」
「えっ……大丈夫、です」
ローズの腕の中の女の子は、困惑の顔をしていた。雪うさぎのような少女だ、とミツハルは思った。
「今年から入る新入生ですね。私は初等部からいますから、受付の場所はよく知っています。一緒に行きましょう」
「え、あ、はい……」
挨拶もそこそこに、ローズは女の子と連れ立っていく。学園はあの新入生が思っているよりずっと広い。各所に案内のための教師や上級生が立っているが、それでも迷子になる新入生は毎年出てきてしまうものだ。ローズの判断は正しい。
「あぁ、君は緑の髪の……」
単純な引き算で、その場に残るのはユーリ(ミツハル)と王子様・エリックだ。
「は、はい! ユーリ・フロリエと申します! 支えて助けていただいたのは、僕の妹のローズです」
「君のことは知ってるよ。私はエリック・アルビオンだ」
「よく存じ上げております」
「そんなにかしこまらなくてもいいよ。同じ学校に通う学友なんだから。……いい妹さんだね」
「えぇ、どこに出しても恥ずかしくない、よくできた妹です。どこにも出したくないくらいに」
「ふふっ、兄弟の仲がいいのはいいことだ。引き止めて悪かったね」
「いえ、お話できて光栄に思います」
エリックは微笑みで答え、離れていった。いつもの時間が戻ってくる。一瞬で一生分のロイヤルを浴びた気分だ。王子様の登場で滞っていた人の流れも、再び動き始めた。
──いや、一人、立ち尽くしている少女がいる。赤毛の女の子。リボンタイの色から判断するに、彼女も新入生のようだ。
「ねえ、君はどうしたの? 受付まで案内しようか?」
「あっ、いえ、その……さっきの女の子、結構な勢いでぶつかってたから大丈夫かと思ったんだけど、全然動じてなくてすごいなーって」
「そんなに勢いがあったのかい? 毎日歩いているから足腰が鍛えられているのかな」
「毎日歩く?」
「うん。ぶつかられた方が僕の妹なんだけど、通学で毎日歩いているんだ」
「悪役令嬢の兄!?」
「悪役令嬢はひどいなあ。どこにも出したくないくらい愛らしくて、どこに出しても恥ずかしくないレディだよ。こっちでは聞いたことないけど、最近は流行っているのかい? 『悪役令嬢』って」
言ってから気づく。“最近の流行り”なんて、流行りに疎いおじさんの言い方ではないか。あながち間違ってもいないのだが。
「……こっち?」
「あぁ、気にしないで。たいした意味はないから」
三十年以上のミツハルとしての人生は、そうそう覆されない。ユーリとして生きているが、己のベースはミツハルなのである。
「……あ、もしかして」
「ん?」
「私、エリサって言います。こっちでは。あっちではモチヅキユイカでした」
「あっち……?」
こちらでは聞かない、明らかに日本人の名前だ。
「僕はユーリ。あっちではサノミツハルだった」
エリサ(ユイカ?)の目が見開かれる。
「もう一声!」
「もう一声って……えーっと、にんべんに『左』、野原の『野』で佐野。『光る』『晴れる』で光晴です」
「っ!? 私、藤原道長の『望月』に、『結ぶ』『花』で、望月結花です!」
ユイカは何かつまむような手で両手を出してきた。賞状や書類などを差し出すには、こじんまりとした手つきで。
「名刺? あぁ、これはご丁寧に」
受け取るふりをして、ミツハルも名刺を差し出すふりをする。理解し合えたことを確認するように頷きあう。お互いに社会人経験のある日本人である、と。
「『望月』の歌はわかるけど、そこは『望む月』ではないんだね」
「あ、すみません。教養を測ってるんです」
「気持ちはわかるけど……。新入生の受付はあっちだよ。案内するよ」
「ありがとうございます。二十五歳、会社員で事務の仕事をしていました」
「三十三歳、植物園職員、半分研究員。今は時間ないけど、また話せるかな? 僕のクラスは二の三だ」
「もちろん! 私のクラスはこれからですけど、おそらく妹さんと同じです。あのぶつかっていた女の子も」
「そうなんだ。なんだか予言者みたいに言うんだね」
「フラグがすでにバキバキなんで、どうなるかわからないけど、そのあたりも含めて話します」
「フラグ?」
******
「ざっくり言うと、ここは乙女ゲームの世界。お兄さんのおかげで、おそらくたくさんのフラグがすでにへし折られている状態の」
入学時から数日後、ミツハルはどうにかユイカと連絡を取り合い、放課後に落ち合うことができた。開口一言目がそれである。
「えっと、乙女ゲームって、響きから察するに、女の子向けのゲームのことかな?」
「あ、そこからか。わかりました。わからない用語はいくらでも説明するから、話を止めてもいいのでどんどん言って」
ざあーっと、少し強い風が吹いた。広い学園の敷地内には、学校に通っているだけでは足を踏み入れないような場所がたくさんある。ミツハルは元植物園職員であったため、こちらでも植物に詳しくなった。学校内の植物もだいたい把握しており、その中で見つけた東屋に来ている。持ち込んだ焼き菓子をつまみながらユイカの話を聞いて、疑問の一部が解決することになったのだった。異世界転生の概念も含めて。
乙女ゲームとは、女の子を主人公として男のキャラクターと仲良くなっていくゲームである(例外あり)。この世界は学校名と同じ名前のゲームの世界で、主人公は入学式にローズとぶつかった女の子、マリアなのだそうだ。そのゲームの中で、ユイカが入っているエリサは、マリアの友人で情報通キャラ。ローズはマリアに何かと突っかかる“悪役令嬢”キャラ。
「うちの妹はそんなことしない」
「そこはめっちゃ怒るんだ。ローズちゃんがめちゃくちゃいい子ってことは、この数日だけしか見れてないけど、実感してる。よっぽど裏がない限り」
「ないよ、裏なんて! ご近所さんにも覚えのいい、優しくて気立てのいい、賢い妹だよ!」
「そうなんだよね。私の印象もそんな感じだし、お兄さんの影響が強そうだけど、どうやったらああなったの?」
「いじめをするやつは性根が腐っていると教え込んだだけだよ」
「“だけ”じゃないと思うなぁ。それにしても、いじめへの憎しみが強い」
「あっちの世界で、妹がいじめられていたことがあったからね。そんな輩は風上にも置けない」
“いじめ”と口にするだけで憎しみがくすぶる。反射の領域である。
「マジで憎しみが強い。あっちでもお兄さんだったなんて、生粋のお兄ちゃんなんだ。ローズの兄、『私のお兄様が』くらいのセリフはゲームの中であったけど、立ち絵もないし、こんなビジュアルだったんだ。緑の髪は、植物園勤務って言ってたよね、ミツハルさんから?」
「うん、たぶん。でもこの世界の植物もまだ知らないことばかりだから、ただの経験則と一日の長ってだけだと思うんだけどな」
「息をするみたいにできて、大したことないと思えるくらいなんでしょう、きっと。私はまだミツハルさんがどれくらい詳しいのかわからないけど、ミツハルさんが思っているよりずっと詳しいと思うよ」
「そういうものかな……?」
“髪に才能が現れる”。顕彩と呼ばれているそれは、ミツハルにとって不思議の一つで、この世界では普通の現象の一つである。ユーリはもともとローズと同じように金髪なのだが、今は二束メッシュに染めたように緑色の髪が生えている。それは植物に関する才能があるという表れなのだ。なにか才能があると、稀に髪にその色が出る。それが顕彩だ。特定の才能があれば必ず現れるわけでもない。元の髪色と同じ系統の色で気づかれないこともある。才能があると確定している、という意味を持つ程度のものだ。エリックがユーリのことを知っていたのも、緑の髪というわかりやすい目印があったからだろう。
「プレイヤーキャラのマリアっていう子は、色が出たらわかりやすそうだね」
雪うさぎのようだと思ったのは、白に近い髪色をしていたからだ。
「合ってる合ってる。色が出るのは稀って言っても、この学校の中でも何人かいる。その中での攻略対象とくっついた時は、影響を受けて同じ色が出るエンディングもあるよ。あと攻略をほっぽって勉強をバリバリやってステータスを上げると、魔法の才能が開花して色が出るエンディングもある」
「へぇ。ここにいるマリアも、ユイカさんの知っているゲームのどれかのエンディングにたどり着くのかな?」
「それが、うーん……」
ユイカは何やら難しい顔をしていた。
「二つ引っかかるところがあって。マリアの中にも私たちと同じように、あっちの人間が入ってそうなのよ。しかも、私と同じように、ゲームのことをよく知ってる人が。まだ数日なんだけど、すごくシビアにできるかぎりのフラグを立てに行ってるように見えるの」
「前に聞きそびれたけど、その『フラグ』っていうのは?」
「フラグ……フラグはねぇ……。段階的に進む行動チェックリストの一つのチェックポイント、みたいなものかな。例えば、今、私とミツハルさんがこうして密談しているのも、偶然が重なったようなものじゃないですか。私が立ち尽くしちゃったからミツハルさんが声をかけた。そこを起点とすると、私が足を止めていたから会話のきっかけができて、ミツハルさんと知り合うというフラグが立った。もし、私がおかしいなと思いながらも、歩いて行ってしまっていたら、このフラグは立たず、たぶん今も話ができていない可能性が高い。結果的に今こうなってるけど、そこに至るまでに必要なチェックポイントをちゃんとチェックしていくことを『フラグを立てる』って言う。私は一方向の時間の流れに乗っているからやり直せない。フラグは後から考えたら『あれがきっかけだったな』くらいのものだけど、繰り返しプレイできるゲームはやり直せるから、フラグを意識することになる」
「なるほど、丁寧にありがとう。よくわかったよ。それで、そのマリアには声をかけていないの?」
自分たちと同じように、この世界の人間の中に意識が入っているのであれば、この場にいてもいい人物であるように思えるのだ。
「それはそうなんだけど……。感覚的な話で申し訳ないんだけど、なんか怖くて。あんなにシビアにフラグ回収してるなら、よっぽどやり込んでいるだろうから、逆に口を挟めなくて。プレイヤーが想定している『エリサ』しか見せられてない。穏やかで人当たりのいい感じなんだけど、あのフラグ回収を見ると裏表があるようで、ちょっと様子見中」
「そうなんだ。僕はそのゲーム、詳しくないから、その判断はユイカさんに任せるよ」
「うん。都度報告する。ミツハルさんは近づかない方がいいと思う」
「そうなの?」
「『悪役令嬢ローズ』が、めっちゃいい子の『ローズちゃん』になってるのは、ミツハルさんのおかげでしょ? 回収が難しくなったり、できなくなったフラグに心当たりがありすぎるから、バレたらどうなるかわからないよ」
「そんなに?」
「入学式の時、ローズちゃんにぶつかるところまではシナリオ通りだけど、私が知っているのは『ローズがその勢いで転んで、めちゃくちゃ怒って、そこに王子様が仲裁に入る』っていう自動通過イベントだもん」
「うちの妹はそんなことしません」
「う、うん。エリック王子との出会いフラグなんだけど、微妙な感じになってたから、フラグとしてはどうなったんだろうね。あと、ローズが無理難題を押し付けたり、空き教室に閉じ込めたりして、攻略キャラに助けられるとか」
「うちの妹はそんなことしません」
「うん、強火お兄ちゃんだな。ローズが悪役令嬢だから発生するイベントで立つフラグが結構あって、それが全部パーになっている可能性があるのよね。スチル回収のイベントで、本筋には影響のないフラグもあるけど、そのキャラクターと深く関わるきっかけになるフラグもあるからね。攻略への影響が出てくる。ローズの通学中の馬車が襲われるっていうイベントもあるけど、今は馬車じゃないのよね?」
「そうだね。通学路の植物観察と、ご近所さんとのコミュニケーションのためだよ。暴漢に襲われる可能性は否定しきれないと思うけど?」
「本来のシナリオから、馬車の有無で変わることもあるかもしれないから……」
「うーん……。あ、そうか。馬車だとガルドじゃない可能性がある」
「ガルド? 知らない名前」
「家に住み込みで働いてくれている使用人。力仕事担当で、護衛として通学の時の送迎もしてくれてるんだ。うちの妹がかわいすぎて発生した誘拐事件も、未遂に納めてくれたことがある」
「うーん、これは強火お兄ちゃん。シナリオ通りに動いていないイベントがこれから出てきそう、っていうことはわかった。意識したところでどうにもならないから、今まで通り生活するしかないかなと思う。ミツハルさんは何か気づいたことは?」
「気づいたというか、納得したことはあるかな。そこの木、ブナの一種なんだけどね」
「ブナ?」
ユイカはミツハルが指し示した樹木を仰ぎ見る。
「太平洋側の植生の典型的な特徴が見られる。それも含めて、気候や植生が照葉樹林帯っぽい。常緑樹が多くて、ヨーロッパって言うとざっくりしすぎちゃうけど、向こうより、黒潮の影響を受けている本州・太平洋側みたいな気候だなと思ってたんだ。冬は一番寒い時期、少し積もるくらいに雪が降るのに、冬も比較的暖かい地域の植生でちょっと不思議だったんだ。雪に強くない植物も生えているな、って。日本の会社が国内向けに作ったゲームでしょ? 街並みは欧米風だけど、気候や植生に日本を感じていたんだ。あぁ、地震はないけど。日本人が作ってるからなのかな、って」
「さすが植物園職員……」
「理科や生物で習わなかった? 照葉樹林帯とか針葉樹林帯とか。地理でもあるでしょ。望月の歌を求めるなら、それくらい知ってるよね?」
「知識と現象を結びつけられるのかは、知っているだけではどうにもならないって。そういうのは『解像度が高い』って言うんだよ。緑の髪が出るわけだ」
情報交換をしているうちに、時間はあっという間に過ぎて行った。元いた世界では、おとなりの県に住んでいることもわかった。
「もし戻れたら、現実でも会いましょうね。ユーリ・ミツハル、めっちゃ探すから」
「それじゃ名前、名前だよ。僕もエリサ・ユイカで探さないと」
「響きがまどかマギカみたい」
そうやって、第一回会合は終わったのである。




