表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
AI芥川龍之介-ラノベを書く  作者: 橋平 礼
玻璃の黙示録

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

15/16

第一節 銀色の泡沫と沈黙の領分

 三月の風は、まだ剃刀かみそりのような鋭さを孕んでいる。


 古い校舎の廊下を抜けるたび、佐倉凛は制服のブレザーをきつく合わせ、己の存在を外界から遮断しようと試みる。彼女にとって、週に一度の「化学基礎」の時間は、灰色の日常において唯一、極彩色の光を放つ特異点であった。


 「今日の実験は、水の電気分解だ。各班、装置を準備しろ」


 理科教師の野暮ったい声が、墓地のような静まり返った実験室に響き渡る。


 この学び舎では、実験は出席番号という無慈悲な数字の羅列によって、四人一組の「運命」が定められている。凛の班には、常に一滴の香水が混じったような、特別な空気が漂っていた。  向かいの席に、瀬戸悠真がいるからである。


 瀬戸悠真。彼は、決して衆目を集める派手な道化ではない。


 しかし、その佇まいには、今昔物語に登場する高潔な貴公子のような「りん」とした静謐があった。彼が指先を動かすたびに、周囲の卑俗なノイズが吸い込まれ、真空の静寂が生まれるような錯覚を凛は覚える。


 「佐倉さん、こっちの電源装置、繋いでもいいかな」


 瀬戸の声は、チェロの低音のように耳に心地よい。


 「あ、うん。お願い」


 凛は努めて冷徹な観測者を装い、手元の教科書に視線を埋めた。彼女の自尊心は、己の動揺を他者に、ましてや彼に悟られることを何よりも忌み嫌っていた。


 実験が始まれば、瀬戸の手際は正に「理知の化身」であった。


 迷いのない指先がゴム管を繋ぎ、H型枝付試験管に水酸化ナトリウム水溶液を満たしていく。それは、熟練の外科医が臓器を扱うかのような、冷徹で美しい所作であった。凛を含む他の凡庸な三人は、彼の放つ圧倒的な「有能」という圧力にされ、ただの補助機械と化すしかなかった。


 「スイッチ入れるよ」


 彼が電源を投入した瞬間、装置は低い、獣の唸りのような作動音を上げた。


 やがて、プラチナ電極の表面から、銀色の粒が湧き上がり始める。それは、水の中に閉じ込められていた時間が、泡となって昇天していく儀式のようであった。


 「出たね。こっちが酸素で、こっちが水素」


 瀬戸の指先が、メモリを愛撫するようになぞる。


 気泡が水の中を昇る様は、砂時計の逆回し、あるいは失われた記憶の再生を思わせた。もともとは一つの「水」であったものが、電気という暴力的な介入によって、二つの異なる存在へと分かたれていく。


 (ずっと、このままでいられたらいいのに)


 凛の胸を、青臭い、しかし切実なエゴイズムが掠めた。


 理科室を支配する薬品の匂い。窓から差し込む、死人の肌のように淡い午後の光。


 この閉ざされた空間、四人一組という人工的な境界線。そこには、教室の醜悪なスクールカーストも、未来という名の不確かな地獄も届かない。ただ物理の法則だけが統治する、潔いほどに純粋な世界。


 泡が昇るたびに、二人の距離が縮まるような「甘い錯覚」に、彼女は永遠に沈溺ちんできしていたかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ