26 元聖女とバトルドレス
意識の底に沈んでいた私は、激しく身体を揺さぶられた。
「う……」
まぶたが重い。
耳鳴りがいまだに続いているけれど、その奥から誰かの叫び声が聞こえてくる。
温かい光が私を包み、耳鳴りが収まった。
イレーネが【中治癒】をかけてくれたのだろう。
おかげで、はっきりと声が聞こえるようになった。
「おい、起きろ! フィアナ! おい!」
「フィアナ様! フィアナ様! 死なないでください……! 嫌です、こんなの!」
聞き覚えのある声――サリアの必死な怒号と、イレーネの悲痛な声だ。
ああ、そういえば私はイレーネの守りを優先させたのだった。
爆風に吹き飛ばされ、飛んできた石礫が頭に当たり、意識を手放した。
(……気を失っていたのは、ほんの一瞬ですね)
私は力を振り絞り、薄っすらと目を開けた。
治癒魔法のおかげで、視界もクリアだ。
そこにはついさっきまで救護テントだったものの残骸が散らばっていた。支柱は折れ、天幕は無惨に引き裂かれている。
身体を起こそうとしたが、動かなかった。
腰から下が瓦礫に埋もれている。左足に痛みが走る。
「ぐ……っ」
「フィアナ! 気がついたか!?」
サリアの顔は砂で汚れているものの、無傷だ。無事なようで何よりだ。
「だ……い、じょう……ぶ、ですわ」
喉が砂でザラザラする。何とか声を絞り出した。
隣でボロボロ泣いていたイレーネが、私の声を聞いて弾かれたように顔を上げる。
「フィアナ様!? ああっ、よかった……!」
「生きてるな。今、瓦礫をどけるからじっとしてろ」
サリアが私の下半身を埋めている瓦礫に手をかけて、持ち上げる。
露わになったのは、奇妙な方向に曲がった私の左足だった。曲がったというか、ぐちゃっとしている。
【中治癒】で治らないのも無理はない。
イレーネが顔を青ざめさせ、震える手を私の左足にかざした。
「動かないでください、今すぐに治しますから!」
だが、私はとっさに手を伸ばし、彼女の腕を掴んだ。
「いれー、ね様……待っ、て」
「フィアナ様!? 何を……足が、足がぐちゃぐちゃになっているのですよ!?」
「魔力は……温存して、ください」
「なっ……」
イレーネが息を呑む。彼女は私の意図を図りかねて、困惑の表情を浮かべた。
「何を言っているのですか! 貴女の命の方が大事です!」
「いいえ……これからが、本番ですわ。貴女の魔力は、騎士たちのために……取っておいて」
私は首を横に振った。
これは痩せ我慢でも、自己犠牲でもない。
純粋な事実として、私にはイレーネの治療は必要ないのだ。
不意に、私の全身が淡い緑色の光に包まれた。
「え……?」
イレーネが呆気にとられた声を出す。
バキバキと音を立てて骨が繋がる。骨が動く不快な感触に、僅かに眉をひそめる。
「ぐっ……ぅぅ……」
けれど、それもすぐに終わる。
筋肉や血管が元通りにくっつき、皮膚もきれいに再生していく。
緑の光が消えた後に残ったのは、きれいな卵肌である。
左足だけではなく、私の全身から傷が一つとして残らず消え失せていた。
これが私の秘策だ。自分が一定以上のダメージを受けた際、意識を失っていても死ぬ前に、治癒魔法が自動的に発動する。
気絶している間に死ぬという間抜けな事態を防ぐことができるのだ。
聖女時代の苦労の賜物だ。
即死と老衰以外で、私が死ぬことはおそらくない。
「……マジかよ」
サリアが残りの瓦礫をどけながら、呆れたように呟いた。
「フィアナ様……! よ、良かったです……!」
イレーネはその場にへたり込み、安堵のため息を漏らした。
私はゆっくりと立ち上がり、身体の調子を確認する。
顔にべったりとついている乾きかけた血糊が気持ち悪いが、それ以外は万全だ。
少々血を失って、ふらつくくらいか。けれど、それも大した問題ではない。
私は手についた埃をパンパンと払った。
「ふぅ……まったく、やれやれですわ。まさか直撃をもらうとは思いませんでした」
「驚かせやがって……寿命が縮んだぜ」
サリアが私の肩をバシッと叩く。
「治癒魔法では寿命は伸ばせないので、気をつけてくださいね」
「こんな時に何を言ってんだよ……ま、あんたが無事ならそれでいいんだけど」
サリアはそこで言葉を切り、私の全身を上から下までジロジロと眺めた。
そして、言いづらそうに顔をしかめた。
「しかし、なんつーか、ひでぇ格好だ」
「え?」
言われて、私は自分の姿を見下ろし――思考が停止した。
そこにあるはずの、白地に赤いラインが入った可愛らしいバトルドレスは見る影もなかった。
爆風と熱波、そして瓦礫との摩擦によって、布地はズタズタに引き裂かれている。
スカートの半分は消し飛び、太ももが露わになっている。上着も肩から脇腹にかけて大きく破れ、インナーや肌が直接外気に晒されていた。
土と血で汚れ、もはや「服」としての体裁すら保てていない。ただの「布切れ」だ。
「え……なんで……?」
一瞬、頭が真っ白になった。
もう一度、私のバトルドレスに目を向ける。
けれど、私の瞳に映ったのは、悲惨な現実だけだった。
熱いものがこみ上げてきて、視界が歪む。
ポロポロと、大粒の涙がこぼれ落ちた。
「フィアナ様……」
イレーネが悲痛な面持ちで私を見る。
彼女は勘違いしているのだろう。
死にかけた恐怖が遅れてやってきて、私が泣いているのだと。
「フィアナでも泣くことってあるんだな」
サリアもまた、少し気まずそうに視線を逸らした。
しかし私としては、とても冷静ではいられない。
「……貯金の大半を、つぎ込んだのに……」
「は?」
「一目惚れした服だったのに……」
わなわなと肩が震える。
悔しさが波のように押し寄せてくる。
こんな酷い仕打ちを受けたのは初めてだ。
金貨の枚数が頭の中を駆け巡る。まぁ、支払いはカードだけれど。イメージの問題である。
「高かったのですよ……!!」
魂の叫びだった。
「そっちかよ」
サリアの乾いたツッコミが響く。
「フィアナ様は一体、何を仰っているのですか……?」
「てっきり死にかけた恐怖で泣いてるのかと思えば、服代かよ。逞しいというか、なんというか……」
「笑い事ではありません! これは私にとって、とてもとても大事なものだったのです! あの可愛らしい意匠に出会うことはもうできないのですわ!」
私は拳を握りしめ、足元の瓦礫を踏み砕いた。
「いや、また装備屋の大将に作ってもらおうぜ?」
「そういう問題ではありません!」
胸の内にふつふつと怒りがこみあげてくる。
「イレーネ様……」
イレーネがビクリと肩を震わせる。
「は、はい」
「魔力回復薬は無事ですか?」
「あ、はい。あの爆風の中でも、騎士の方々が身を挺して守ってくださいました。一本も割れていません」
イレーネが指差した先には、瓦礫の陰に無傷で残された木箱があった。
その横で、盾を持ったまま座り込んでいる騎士たちがいる。
「そうですか。それは重畳」
私は涙を拭い、ニッコリと笑った。
極上の笑顔を作ったつもりだが、なぜかイレーネが「ひ……」と小さな悲鳴を上げて後ずさった。
「サリア様、イレーネ様」
「おいおい、何をする気だよ」
「決まっています」
私はボロボロの服を風になびかせ、戦場を見据えた。
遠くでは、まだ爆発音が断続的に響いている。
私の平穏を、そして私の大事なものを奪った不届き者たちが、そこにいる。
「私の本気を見せて差し上げますわ」
もう自重なんてしない。
これだけ感情が昂ったことなんてそうそうない。
「その笑顔が怖ぇんだよ……しっかし、ブチ切れてんな」
サリアが呆れ半分、感心半分といった様子で肩を竦める。
「ふふ、ふふふ……」
思わず笑い声が漏れ出た。
「誰に手を出したのか、思い知らせてあげましょう」
私のバトルドレスはもう戻らない。
これは無残にも破られたバトルドレスの弔い合戦だ。
さぁ、元聖女の戦い方を見せてやろうじゃないか。




