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一ヶ月後。
流産の後遺症も癒え、ケイの母ポーラは決意を固めていた。
恐る恐る、下腹部にふれる。
そこにいたはずの胎児はもう、いなかった。
ポーラはまだ心の傷が癒えていなかった。
だが、ケイのために決断の覚悟を決めた。
「私は……ユヴェルナート様と別れて、実家に戻る。ケイを守るためには、この屋敷を去らねばならない……」
ずっと考えていたことだった。
夫の愛は確かにポーラにあった。
だが、貴族の法は正妻に有利で、妾には厳しい。
(私もユヴェルナート様も若かった。愛さえあればどんな困難にも立ち向かえると、そう思っていた……)
「ごめんなさい、ケイ……でも、あなたを守るためなの……」
ポーラは一人、別邸の部屋にこもって荷物をまとめることにした。
ケイを守るためには、この屋敷を出るしかない。
妾という立場のままでは、ケイの立場はいつまでも危ういままだ。
ポーラが流産して子供を失ったように、ケイが殺されてしまったら?
母親として、それだけは何としてでも回避せねばならなかった。
「ごめんなさい、ケイ、旦那様……」
ポーラは涙をこらえ、震える手で荷物を詰めた。
回想がよみがえる。
当時まだ婚約者だったユヴェルナートが、王命でセオドラを正妻に迎えることになったとき――
彼は苦渋に満ちた表情でポーラに言った。
「ポーラ、お前のことは第二夫人として迎えることになる。……大丈夫だ。王命には逆らえないが、お前の身の保障は婚前契約書にしかと記しておく。これでお前の立場は守られるはずだ」
ユヴェルナートは知将とも呼ばれる優秀な頭脳の持ち主だ。
自分たちの関係を、ただ〝真実の愛〟の言葉だけで済ませず、法に基づいて婚前契約書を修正した。
王命を下した王の面子も、ポーラを愛する一人の男としての面子もどちらも守ったのだ。
ポーラとユヴェルナートは幼馴染みだった。
アルトレイ伯爵家とポーラの実家の子爵家は隣り合わせだったから、幼い頃から親しく、やがて互いに恋をして結婚を誓い、ずっと生きてきたのに……
まさかの王命で、彼が王女を迎えねばならなくなった。
ポーラは絶望した。
だけど、どんな立場でも構わない。
彼の側にいられるのなら、それで良かった。
(けど、セオドラ様が伯爵家に降嫁してきて、初めてお会いしたとき……)
結婚式でのセオドラは幸せそうだった。
銀の長い髪と赤い目の王女様は、白いドレス姿で輝いていた。
その姿を見てポーラは悟ってしまった。
(あなたも、ユヴェルナート様をお慕いしているのですね)
だから、ポーラは正式な第二夫人ではなく、自ら妾に身を下げた。
「正妻様に迷惑をかけるわけにはいきません。私は妾で構いません」
その一言で、婚前契約書の効力は消えた。
セオドラは当然、正妻としての権利を独占し、ポーラは妾として日陰の身に甘んじることになった。
妾となっても、ユヴェルナートは生まれる子供は伯爵家の籍に入れると約束してくれたので、それで十分だと思ったのだ。
ポーラは目を閉じ、涙を流した。
自分は愚かだった。自分から身を引くことで、良い人ぶりたかったのだ。
「ケイが生まれて思い知ったの。妾の立場の何と弱いこと……セオドラ様に遠慮なんかしなければ良かった」
「でも怖かった。あの方は王女だし、私は下級貴族の娘でしかなかったから……」
悔やんでも遅い。
夫との子供すら失った今、ポーラも控えめで弱い母親のままでは、いてはならなかった。
今は、ケイを守るために、夫と別れるべきだ。
「お母様?」
ケイが部屋に入ってきた。
ポーラは慌てて涙を拭い、微笑みを浮かべた。
「ケイ、どうしたの?」
「お母様、どこかに行くの?」
荷物が散乱する母の部屋を見て、ケイの瞳には不安の色が滲んでいた。
ポーラは心が締め付けられる思いだったが、笑顔を保って答えた。
「ちょっと部屋の整理をしているだけよ。大丈夫よ、心配しないで」
「……そうなんだ」
ケイは納得していない様子だったが、それ以上は問い詰めなかった。
ケイが部屋を出ていくと、ポーラはその背中を見送った。
(ごめんなさい、ケイ……でも、これがあなたを守るためなの……)
正妻セオドラの行動は既に常軌を逸している。
ポーラは流産させられたことを逆手に取って、セオドラを逆に脅してケイの、伯爵家での立場を固めさせるつもりだった。
(妾とはいえ、私こそが本来の婚約者だった。だから私が産む子供は伯爵家の籍を持つと王家との契約が定められていた)
(なのに、セオドラ様は私の子を殺した。これは重大な契約違反になる)
(セオドラ様がこれ以上ケイを害するなら、私は今まで彼女がしてきたことを、裁判所を通じて公表するわ)
(セオドラ様も王家も、……伯爵家も甚大な被害を受ける……でも、被害者のケイだけは守り通せる)
信頼できる者に、裁判所に送る書簡は既に預けていた。
あとは、ポーラが夫とセオドラの三人での話し合いをするだけだ。
「お母様、俺も一緒に行くよ」
ハッとしてポーラは振り返った。
驚き、目を見開いた。
部屋を出ていったと思ったら息子が、そこにいた。
ケイはポーラを強い決意のこもった瞳で見つめていた。
「ケイ……?」
「俺はお母様を守りたいんだ。お母様がどこに行っても、俺が一緒にいるよ」
ポーラは涙を流しながら微笑んだ。
「……ありがとう、ケイ。でも、大丈夫よ。あなたには、あなたの未来があるの。将来を考えたら伯爵家に残るべきで……」
「いいや、俺はお母様についていく! 母様を守るためなら、俺はどこへだって行く!」
ポーラはケイの強い決意を受け入れた。
こんなに強い意志を見せた息子は初めて見る、
「わかったわ、ケイ……。一緒に行きましょう」




