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ケイは別邸の庭で剣の稽古をしていた。
正妻の影を振り払うかのように、剣を振るう音が響く。
「ケイ、そんな振り方じゃ隙だらけだ」
背後から優しい声が聞こえた。
ケイが振り向くと、兄テオドールが立っていた。
「兄さん。来てたの?」
本邸にいるはずの兄が別邸まで来るのは珍しかった。
テオドールは微笑みながら、ケイの手元を優しく修正する。
「剣はこう握るんだ。身体の重心にも気をつけて。そうすれば、もっと速く振れる」
「う、うん」
ケイは戸惑いを隠せなかった。
(前の人生では、兄は俺を見下して、虐げていたはずなのに……)
兄が自分に近づくときは、ろくなことがなかった。
今回の人生では、妙に優しく、親しげだ。
「ケイ、母上が何かしてきたら、すぐに私に知らせるんだよ」
テオドールは真剣な表情で言った。
「え?」
「母上が君に意地悪をするなら、私が止める。だから、安心して」
テオドールの瞳は真剣で優しさに満ちていた。
(兄が俺を庇ってくれている?)
ケイは混乱していた。
(もう間違いない。今回の人生では、兄は味方のように優しい)
「ケイ、君は私の大事な弟だ。だから、何があっても守ってみせる」
テオドールの笑顔は本物のように見えた。
ケイは心が揺れた。
(兄の態度は本物なのか?)
(それとも、これも正妻の策略なのか?)
しばらく、兄の指導を受けながら素振りを続けていた。
ケイの稽古着は汗を吸って絞れるほどぐっしょりだ。
荒い息を整えているケイに、兄が気づいた。
「ん? 少し水分補給しようか」
本邸から持って来ていたのだろう。
水筒を投げ渡された。
「え、これ兄さんのじゃ」
水筒は一つしかない。兄だって体を動かして汗だくなのに。
「私にはこれがあるから」
兄が懐から小瓶を出した。
「兄さん、それはなに?」
「母上から貰ったポーションでね。飲むと元気になるらしい」
小瓶の中身は無色透明だ。
言うなりテオドールは蓋を開け、ものすごいしかめっ面で中身を一気に飲み干した。
(母上。あなたの思い通りにはさせません)
(ケイの能力を奪う秘薬。奪った力は溶かした髪の持ち主に付与される)
(だが、髪の持ち主の私が飲んだら? 決まってる、効果は無効だ!)
今朝、テオドールは母からこの毒薬をケイに飲ませよと命令されて、この別邸までやって来た。
今のセオドラは、息子テオドールが反抗するなど思ってもいない。
完全に自分の支配下に置いていると油断している。
薬を飲み干したのは、テオドールの決意と反抗の第一歩だ。
(もう一刻の猶予もない!)
だが、母セオドラのほうが一枚上手なことを思い知らされるのは、すぐのことだった――
☆ ☆ ☆
その夜――
別邸のケイの部屋の中に、誰かが忍び込んできた。
「だ、誰か来たのだ、なんなのだ!?」
「しー、ピアディ。お前は隠れてろ」
枕元で寝ていたピアディをシーツの中に隠した。
「……誰だ?」
ケイはベッドから降りて身構えた。
相手はご丁寧にドアから入ってきている。
ケイの寝室はドアとベッドの間に衝立がある。
衝立の向こう側に侵入者がいる!
「おや、ケイ坊ちゃま。こんな夜中にまだ起きてらっしゃるのですか?」
暗い部屋の中で、不気味な女の声が聞こえた。
(……この声は)
正妻セオドラの侍女の声だ。
「お前、何をしている。誰の許しを得て別邸に入った?」
「坊ちゃまの様子を見に来ましたの」
声だけでも相手が冷たい笑みを浮かべているのがわかる。
「私ども使用人は、本邸、別邸問わず見回りしているのですよ。今晩は私の当番でしたの。ケイ坊ちゃまのお部屋に異常がないか確認しに来たのですが……起こしてしまいましたね」
「白々しい。騎士でもない侍女のお前に見回り任務などあるわけがない。俺たちを監視しに来たのだろう?」
「フフ。嘘を見抜く目をお持ちですね。ええ、本当はテオドール坊っちゃまが愚かなことをしたから、私が代わりにと思いまして」
(兄が愚かなこと? 確かに今日の兄はいつにも増して変だった。脈絡なく俺の目の前で、くれるのかと思ってたら自分でポーションを飲んでたしな……)
「テオドール坊ちゃまは、奥様からあなたに毒を飲ませよと命じられていたのです。でも、あなたを庇うため自分で飲んでしまった。奥様はたいそうお怒りです」
「毒だと?」
まさか、昼間兄が飲んでいたあのポーションのことか。
「今宵は警告に参りましたの。ケイ坊ちゃま。もうあなたに平穏はありません……」
メイドは意味深な言葉を残して、闇の中に消えていった。
ケイは恐怖を感じた。
(正妻の影が、俺を監視している……)
もう、おちおち寝ていられる状態ではなかった。
「ケイ。あの女、雰囲気がヤバかったのだ」
「ああ。只者じゃない」
「前々から不穏な影を感じていたが……間違いないのだ、あの女なのだ」
「ただの侍女ではないってことか」
よちよちと歩いて震える声で呟くピアディを、ぷにっと胸に抱き上げた。
そのまま、まんじりともせず不安を抱いて夜を明かした。




